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参照用 記事

追記:水は生きている

前のエントリーは、幾分ふざけた調子で書いているけど、僕、ほんとに強いショックを受けてしまいました。もう、肉体にも影響出てしまいそう。hooさんのコメントにあるURLをたどって小学校での江本氏の講演とか見てたら、彼への怒りは生じないのだけど、恐怖感ですかね、ほんとにコワイ! 震えと吐き気をもよおす。いやっ、他意はなくて、単に自分の身体的反応を記述しているだけ、事実なんです。

笑い事かと思っていたけど、認識が甘かったみたい。マジに「自分の子供達をどう守るのか」と考えると、的確な手法/手段を思いつかない。手強いな、これは(大きなため息)。

僕自身もすべてを(悪しき)合理主義的に解釈しようとは思ってないし、ファンタジー(童話、寓話)や一種の宗教だと思えば、江本理論(or 江本教)の存在を否定するものではないですが、当事者・江本さんも江本シンパ/ファンもファンタジーや宗教だと自己規定はしないでしょう。このての構成を突き崩すのは困難ですね。

たとえば、アマゾン・レビューで茂木健一郎さんは、「『おはよう』と『ばかやろう』の意味が日本語と逆転している言語が世界のどこかにあったら」という思考実験を提案しているが、たぶん、これは通用しない。言葉の字面や音が問題ではなくて、「意味」あるいは言葉を発する人間の「感情」が問題だ、といった展開が容易に予想できる。もちろん、そんな展開が茂木さんへの反論になろうはずがないが、問題は、その展開をもって反論になっていると納得・了解してしまう人がいることです。

トンデモだ、ファンタジーだ、写真集だ、宗教だと境界線を引いて笑い飛ばすなり、無視することは、僕だけの問題としては簡単なんだけど、多くの人が“オルタナティブな科学”のように、あるいは科学であるかどうかを問わずに“人生哲学”として受け入れてしまうことが心底こわいな、僕は。江本さんの主張が「悪い言葉を使わない」とか「みんなに感謝する」とか、カビくさいがわかりやすい道徳訓であることも、江本理論を受容しやすく/批判しにくくしているようだし。

それにしても、この生理的ともいえる恐怖感はなんだろう? 細胞内の水たちが警報を鳴らしているようだ(こんな書き方すると、オフザケだと思われそうだけど、そうではありません。)