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根拠なき選択

谷村省吾先生(TANIMURA Shogo (@tani6s) | Twitter)が少し前のツイートのなかで、『〈現実〉とは何か―数学・哲学から始まる世界像の転換』という本を紹介なさっていました。

〈現実〉とは何か (筑摩選書)

〈現実〉とは何か (筑摩選書)

僕はこの本を読んだことはないし、今後も読まないでしょう(ごめんなさい)。が、とても気になった言葉があります。

https://twitter.com/tani6s/status/1220706787877257217

とくにこの本で強調されている「非規準的選択」という概念はよかったと思います。何かを述べるために特定の基準や特定の記述様式を選ばないといけないけれども、じつは選んだ基準や記述様式には依らないことを言いたかった、そういう選択のことを指しています。

非規準的選択」 -- これです。何かを述べるための基準として、恣意的でもイイカゲンでも何でもいいからトニカク選んだ、というやつ。あるある。ものすごくあるある。あるあるなのに、適切な言葉がなくて困っていたんですわ*1

これはいいな、と、「非規準的選択」「非標準的選択」を、口頭で使ってみたのですが、耳慣れない言葉なので、意味が伝わりにくいですね。「皆んな、使ってみて」とプロモーション活動をするのもアリですが、当座の策として、「根拠なき選択」にしてみました。印象は強くなるけど、品がなくなりますね。僕が使うぶんには、品がなくてもいいや。

根拠なき選択の一例を挙げましょう; 平面内の回転の向きは時計回りと反時計回りがあります。どちらかを正の向きだと決めたいとき、その選択に根拠はありません*2。が、「反時計回りを正の向きにする」と既に(根拠なく)選択・決定されています*3

平面といえば、平面の座標軸はお馴染みですよね。二本の軸を縦(鉛直方向)と横(水平方向)に取るのは前提だとして、どちらを第一軸とするかは根拠なき選択です。我々は横軸を第一軸だと(根拠なく)選択しています。横軸の正方向を左右どっちにするかも、その選択に根拠などありません。が、我々は(根拠なく)右向きを正方向に選んでいます。横軸を何と呼ぶかに根拠などありません。が、我々は(根拠なく)「x-軸」と呼んでいます。根拠なき選択のオンパレードです。

一度根拠なく選択されると、我々はそれを前例・習慣・伝統として守ります。前例・習慣・伝統を守るのはまーいい(あえて逆らう理由もない)のですが、その前例・習慣・伝統が、根拠がない恣意的・偶発的な選択・決定によるものだ、という事実を忘れがちなんです。神様が決めた絶対的なルール、あるいは自然の摂理のように思い込んでしまう人がいます。

こういう思い込みがなぜマズイのかと言うと、「根拠なく選択したのだから変えてもいい」という発想を邪魔するからです。根拠なき選択は、なんの必然性もないので変えてもいい、いやっ、むしろ変えるべき -- 変更・変換の自由さを持つものです。根拠なき選択を絶対視してしまうと、それを変更・変換したときに、違和感・困惑・抵抗感が生じます。これがマズイ。

マズイのだけど、僕の乏しい経験で言えば、変更・変換を拒否する心理は一般的みたい。根拠があろうがなかろうが、一度選択した基準を変更・変換するのは、皆んな本能的(?)に嫌うんじゃないのかな。変えない/変わらないことは、安心感をもたらすから、かも(よく知らんけど)。

非規準的な繋がりを規準的(系統的、必然的、根拠あり)と思い込みたい心理として思い浮かぶ一例は、「双対ベクトル空間」。有限次元ベクトル空間 V と、その双対ベクトル空間 V* = {f:V→R | fは線形} は、別なベクトル空間です。非規準的には同型だけど、規準的(系統的、必然的、根拠あり)に同型ではありません。同一視不可能です。でも、同一視したがる人はいます(僕の乏しい経験で言えば、です)。

もとのベクトル空間 V に内積があれば規準的同型になるので、V と V* を同一視したい心理とは、「すべてのベクトル空間に内積が決まっている」と考えたい心理です。もっと強い要望・要請は、「すべてのベクトル空間に基底が決まっている」。確かに、すべてのベクトル空間に基底と内積が決まっている*4なら、事情は単純であり、安寧な世界を保てるでしょう。しかしそれは、世界を矮小化して*5得られた安寧です。

V と V* の同型は非規準的ですが、V とその二重双対空間 V** との同型は規準的です。となると、何が規準的で、何が非規準的かが問題になります。これは難しいですね。線形代数の話ならば、関手や自然変換を使って規準性を(ある程度は)定義できますが、一般論になると(僕は)よく分かりません。でもそれにしても、明らかな根拠なき選択(非規準的選択)は数多〈あまた〉あります。そんな根拠なき選択は、変えてもいいんだよ、変えてみそ。

*1:「あるある」とか言って、本読んでないから「非規準的選択」の意味が実はズレていた、とかだと恥ずかしいですけどね。[追記]ズレてはなかったみたい、https://twitter.com/tani6s/status/1228888451858067460[/追記]

*2:ここでは、歴史的経緯とか、選択・決定のときのエピソードとかは根拠とみなしません。根拠とは、なんらかの条件のもとでの一意性定理です。一意性は、up-to-isomorphism, up-to-equivalence でもかまいませんが、isomorphism class、equivalece class からの代表の選択はまた根拠なき選択になるでしょう。

*3:その選択は、平面に向き〈orientation〉という構造を追加しています。単なる平面が、恣意的かつ強制的に向き付けられた平面にされています。

*4:そして基底は、都合のよい正規直交基底ですね、トーゼンながら。

*5:「過度に単純化〈over-simplify〉して」と言ってもいいでしょう。単純化は、何かを削ぎ落とすことだけではなくて、余分な構造や条件を恣意的に付け加えることもあります。