『頭がいい人、悪い人の話し方 (PHP新書)』、ざっと眺めました(“眺める”以上に読む価値があるとは思えない)。
著者は頭が悪いか? については判断が難しいですね。もし本気で書いているなら、だいぶイカレているだろうけど、売るための戦略だとしたらとても賢い人でしょう。
この本は、酒場の愚痴、給湯室のかげ口、便所の落書き、などなど、いくぶん陰湿ではあるものの、ある種のカタルシスをもたらす点において意義を持つ存在、みたいなもの。
それが端的に示されているのは、カバー裏の「内容紹介」、そこに曰く:
巷にあふれる愚かな話し方の実例をあげ、…(省略) 思わず身近なあの人の顔が浮かぶ。
「あー、いるいる、こういうバカ、××課長とかさ」と溜飲を下げるネタとして好都合です。それだけで相当な需要が見込めるはず。
内容は「愚かな話し方のサンプルを集めたもの」(プロローグより引用)、賢い話し方の例はありません。それで、「バカな話し方がわかれば、知的な話し方は身につく」(プロローグ)と強弁しておられる。まずい料理を食べ歩くと、うまい料理を作れるのか?*1
「知的に考える訓練を受けていなければ、いつまでも愚かなことしか考えられない」(プロローグ)は同意しますが、バカを小馬鹿にするのが「知的に考える訓練」になるの? いや、訓練になるかのごとくに思わせてしまう点が、この本の戦略のすばらしさであり、売れる要因でもありますね。
*1:こういう論法の例がないかと探したけど、「無理な例えで押し切る」はなかったね。強いて言えば「詭弁を用いて自説にこだわる」か?