はてなダイアリーのコメントではちょっと辛いので、ここに書きますね>hubrisさん (hubrisさん以外にも、どうも圏はなじめないぞ、って方はいることだろうし。)
オートマトン(状態機械)を圏とみなすことは確かにあります(状態点が対象で、遷移弧が射ですね)。が、「圏とはオートマトンみたいなもの」というのは、あまり一般的なイメージ(理解のための描像)ではないでしょう。
僕は歴史を知らないのですが、おそらく、圏(むしろ関手)が意識されはじめたのは、幾何学的な対象(空間)に対して代数的な対象を割り当てるような状況からでしょう。このとき、あらゆる空間を全部一度に考えた方がなめらかに議論が進むので、「すべての空間の集まり」が考えられたのだと思います。
このテの状況では、空間Xになにか代数的なものF(X)(例えばXの基本群とか)が対応しますが、それにとどまらず、連続写像f:X→Yに対して、F(X)→F(Y)(またはF(Y)→F(X))という代数的な写像も定義できたので、結局、次のような認識にいたったのだろうと推測できます。
- 空間X, Y, ... とそのあいだの連続写像の“世界”がある。
- 代数的なもの(例えば群)とそのあいだの代数的な写像(準同型)の“世界”がある。
- 空間Xに代数的なものF(X)が“対応”している。
- 連続写像f:X→Yに代数的準同型F(f):F(X)→F(Y)が“対応”している。
そしてさらに:
- モノ(集合)と矢印(写像)からなる“世界”が圏として抽象化され
- “この世界のモノにあの世界のモノ”を、“この世界の矢印にあの世界の矢印”を割り当てる“世界間の対応”が関手として抽象化された
ということかと思います。