同世代にオンラインとウォーターフォールに身を投じた人がいるとはいえ、僕自身には、ウォーターフォールを真剣に擁護すべき強烈な理念も怨念もありません。
にもかかわらず、擁護論を口に出してみたのは、何の弁明も聞かずウォーターフォールを一方的に葬り去ることに、ある種の危険性を感じるからです。
その1つ: ウォーターフォールにダメと烙印を押すことにより、本来もっと考えるべき/論じるべき課題が覆い隠されてしまうのではないか。
例えば、ウォーターフォール的(亜流も含めて)プロセスを採用せざるを得ない組織風土、管理体制、商習慣などは(その改善のためにも)、もっとフォーカスされていい論点だと思います。
2つめ: ウォーターフォールがソフトウェア工学のシンボルとして取り扱われることにより、ソフトウェア工学/計算科学が不当に低い評価を受けているのではないか。
科学/工学が20年も30年も足踏みして、古い説に固執しているなんて、そんなことあるわけないじゃない! でも、そういう印象を持っている人もいるようですしね、、、
3つめ: アカデミックな工学への不信は、ブードゥー工学への傾斜を助長しないか。
「ブードゥー工学」とは、『わたしたちはなぜ科学にだまされるのか―インチキ!ブードゥー・サイエンス』という本の"VOODOO Science"を真似たものです。実は僕は、トンデモ・ネタが好きで、ソフトバンクやトレンドマイクロも出資してしまったジェーシーエヌなどには大いに楽しませてもらいました。が、我が身となれば笑い事ではない! また、精神論/根性論も困りもので、最悪のケースでは人の心身共に破壊します。
m-hiyama:20050328:1111995182で書いた「迷信、伝承、噂、星占い、根性、躾、軍隊、神風、詐欺などに頼らない」態度を維持したいですね。風評、権威、シンボル、アジテーションだけによる判断は、「迷信、…、詐欺などに頼る」に近いものです。