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さらに「水は生きている」-- ウチには子供がいるってこと

実は僕、昔からトンデモ系/電波系が好きで、随分“楽しませて”もらいました。つまり、僕にとってトンデモは娯楽であったのです。僕自身/僕の周辺では(少数の例外を除いて)、トンデモは笑いのネタとして捉えられていたわけで、シリアスになるような事態はまったくありませんでしたね。

僕の(なんとなくの)認識は、「トンデモの当事者やシンパは愛すべき少数派であり、社会の趨勢ではない(ありえない)」というものでした。よって特段に危機感を抱くわけでもなく、かつての大槻教授の言動などは「あれは、また別種のトンデモだな」と捉えていたくらい。

で、僕が今回なんでショックを受けてしまったかというと、江本本<えもと・ぼん>へのコメントが43件もあるのに、ほとんどがマジに書いてること。ムキになっての批判や意地悪な揶揄<やゆ>はともかくも、オチョクルのが健全でしょ。「おまえら、ここは笑えよ」って感じなんだけど。

さらに決定的に笑いが恐怖に変わってしまったのは、江本氏講演のビデオ(別ウィンドウ;スクロールして、演題「水からの伝言」という項目の左側、Bが講演内容)。江本さんの話自体は想像の範囲内だったけど、しかし、あんな話を子供の前でさせるってことが一体全体どういうこと?! 「象の写真を水に見せたら、象さんの形の結晶ができて、しめ縄の写真を見せたらしめ縄の形の結晶ができる」とか、そんな話ですよ。

校長先生をはじめ教員のみなさん、職員、父兄、たくさんの大人がいたわけよ、その場に。はじまったイベントをぶち壊すには度胸がいるにしても、つつがなく進行させて、さらに授業までさせるなよ、あのオッサンに。自分の子供にこんな刷り込みされたら、普段は教育にも学校にも無関心な僕でも怒り狂うだろう。「グォラァー、責任者だせ、校長だせよォ」と言いそうだ。

ほんとにいったいどういう了見なんだろう、大人達は。「いい子にしないと、カミナリ様におへそを取られるぞ」とか「サンタクロースが来てくれないぞ」と同じような、徳目的な教訓のための方便として捉えているのだろうか。だったら、もっと別な方便(いや、方法)があるだろうに。

僕はトンデモ好きだし、トンデモが出現できない社会はそれはそれでヤバイとも思うし、精神世界も超能力も超常現象も宗教も、その他オルタナティブなナントカカントカにも、ある程度の共感を持つし、寛容なほうだと思う。それは、合理主義的な理性だけでは、精神総体のバランスを保ちにくい、生きにくかろうと感じるからだ。しかしそれらオルタナティブは、理解、判断、認識の枠組みとは別物であって、現象理解や知的判断の中核にトンデモを紛れ込ませるのはダメだろうよ、カンベンしてくれ。理性が理性でなくなり、知性が知性でなくなる。

僕は、自分の子供達が(犯罪者とかは困るにしても)どんな生き方をしようと、かまいはしないのだけど、理性とも知性とも呼べないような、朦朧とした世界像のなかで暮らすとしたら、それは哀れ過ぎる。いくらなんでもそれは避けたい -- つまり、僕の身近にトンデモをゲラゲラ笑う能力を身につけてない者がいたから、とたんに防衛的態度をとって(とらざるをえず)笑いが恐怖に変わった、ってことでしょう。

なぜに「恐怖」なのかといえば、戦っても勝てる気がしないし、逃げ場もないからです。そもそも今までは、戦ったり逃げる対象ではなくて、笑い/楽しむ対象だったのだから、そりゃもう勝手が違う。実験的な事実や理論的な整合性を手段に使えるなら、いくらでも叩けるけど、そういう手段は無力。理解/判断の枠組みを共有してないのだから。

僕がシリアスに暗くなって、なかば途方に暮れているのは、こんな事情です。