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VOODOOな理論達:僕の立場を少し

僕、日曜日は忙しいのです。今、子供達は『マジレンジャー』を見てます(続けて『仮面ライダー 響鬼』)ので、そのあいまに、、、
「お水」とVOODOOの件でコメントをいただきました。それに個別には答えませんが(後で答えるつもり)僕の立場を一部書いておきます。

まず言っておきたいのは、僕は、スピリチャル全般を否定する気はないことです。科学であるかどうかは別にして、場合により、ある種の効果効能はあると思っています。テレビでたまに拝見する江原啓之さんなどは、話し方、物腰、対応など、超一流のカウンセラーだと思います。その卓越したスキルを“超能力”(言葉の定義を棚上げして)と呼ぶことに違和感もありません。

そもそも僕は、トンデモをお気楽に娯楽と捉えてきたのです。いちいち目くじら立てるような了見はないんですよ。っていうか、ともかくシリアスになるのが苦手、いやむしろ物事をシリアスに捉える能力が欠如していて、面白半分(あるいは面白全部)で生きてきてしまったのです(「『バカなこと』は難しい」あたりを読むと、若い頃の行動様式が多少は察せられるかと)。

VOODOOサイエンス/VOODOOテクノロジーの存在はいたしかたないし、存在しないなら僕はさびしい。ですが、問題はVOODOOサイエンス/VOODOOテクノロジーへの評価と受容なのです。ごく一部の人が信奉しているぶんには心配はしません。他人事だと傍観して笑っています。それが詐欺に近いモノであっても、僕は「だまされるほうが悪い」、「一度痛い目にあわないと気付かない」と考えるので、身内でない限り助言する気さえありません。

しかし、VOODOOにやすやすとハマってしまう人の比率が高い(その閾値は示せませんが)と、これはさすがにヤバイ。社会全体としてヤバイ気がするのです。実は、問題が“社会全体”であってもなお僕は傍観者的なんですが、歳をくってから生まれた子供がいるせいで、利己的遺伝子(これもトンデモくさい概念だが[追記]コメント参照[/追記])にスッカリ支配されていまして、“社会全体”が自分の子達に影響する事態は懸念するわけです、利己的に。

僕が抱いている恐怖感というのを、あえてたとえ話で示せば: レイザーラモンHGの無意味な(それゆえに面白い)ゲイを僕がゲラゲラ笑っているとします。周りを見渡すと、観客のみなさんが、真剣にマインドマップでメモするやら、PCのキーボード叩いているやら、腕組みして考え込むやらだったら……それは怖いでしょう、ホントに。
何が怖いかといえば、舞台のHGではありません。観客の集団です。笑いを、すなわち、価値観や判断をまったく共有できないとしたら、エイリアン(未知の生物)に囲まれているようなものです。

「お水」の江本さん自体は怖くもないし、敵視もしていません(ちょっとヒドイとは感じてますが)。江本理論を受容する人々の態度や発想が怖い。多くの人が江本シンパになり得るとすれば、それは何かが狂っているとしか思えません。つまり、「戦っても勝てる気がしないし、逃げ場もない」ナニカが迫っているように感じるわけです。もちろんこれは、僕の過剰反応、思い過ごしかも知れません。VOODOOにハマりやすい人の比率を正確に知るスベがないので。

また、「ハマる」とはいっても、精神の支えとしての非合理性なら話はまた別で、すべてに合理的であることは無理(つうか辛すぎる)だから「合理とは、“合理的に区別された”非合理」を僕は認めます。自分自身、そのような非合理に逃げていることもありますからね。