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参照用 記事

イデアルと論理 番外:ベキ零(nilpotent)元のはなし

ベキ等元のはなしの続き。

●ベキ零元と無限小

環Aのなかで、適当なnに対してx^n = 0のとき、xはAのベキ零元と呼ぶ。ここでは、x^n ≠ 0 で x^(n+1) = 0 であるベキ零元をn次ベキ零元と呼ぶことにする(これはここだけの用語、一般的ではない)。特に1次のベキ零元は x ≠ 0 で x・x = x^2 = 0 となるxのこと。

「零ではないが2乗すると零になる」というのは変なものだが、こんな変なものがないと無限小解析(微積分)ができない。もっと正確に言えば、「変なもの」をナシで済ませるのが現代の解析学なのだが、ちゃんとした極限ができる以前(昔)は「変なもの」で計算していたし、極限概念がない純計算的な世界では「変なもの」を使うしかない。

δがすごく小さな数だとして、f(x + δ) - f(x) が関数fの(xにおける)微分だ。f(x) = x^2として計算してみると、(x + δ)^2 - x^2 = x^2 + 2xδ + δ^2 - x^2 = 2xδ + δ^2 となる。が、δはすごく小さいからδ^2はとんでもなく小さくて無視可能なので切り落として、f(x + δ) - f(x) = 2xδ。両辺をδで割れば、お馴染みの導関数の公式f'(x) = (x^2)' = 2x となる(が、導関数微分商=微分係数を扱うより、微小変位としての微分そのものを扱うほうがスッキリしている)。

さて、「とんでもなく小さいから無視可能」というのは、結局、δ≠0、δδ = δ^2 = 0 という計算を遂行するための屁理屈である。「δ^2がいくら小さくたって、ホントに0ってことはないでしょう?」という疑惑/違和感から極限概念が導入されたのかも知れないが、機械的な計算をするだけなら、δ≠0、δ^2 = 0 で十分。こんなδは代数的な無限小といえる。屁理屈も計算だけの世界なら合理化できる。つまり、1次のベキ零元(という環論的概念)は1次の無限小の定式化になっている。同様に、n次のベキ零元でn次の無限小の計算(テーラー展開とか)ができる。

ベキ零元を持つ環は、普通の値以外に無限小も含むような計算システムになっている。対応する空間は、点(位置)だけでなく速度(無限小移動)を考えることができるし、2次の無限小があれば加速度だって考えられるってわけ。別な言い方をすれば、曲線に対して接線や接二次曲線などを定義できるってこと。

●零因子とベキ零元、ベキ等元

a≠0、b≠0 なのだが a・b = 0 のとき、aは(bもだが)零因子と呼ぶ。零の約数(因子、因数)で零以外のものが零因子ということ。ベキ零元があれば、それは零因子になる。たとえば、xが2次のベキ零元ならx^2・x = 0 なのだから、xとx^2は零因子。

ベキ等元も零因子の素材となる。xがベキ等ならx(1 - x) = 0 だった。xが0でも1でもなければ、x と 1 - x が零因子となる。

ベキ等元もベキ零元も零因子のもとになるのだが、ベキ等元が多すぎるとベキ零元は生存できなくなる。環Aのすべての元がベキ等だとすると、x^n = 0 は x = 0 を意味するから、零以外にベキ零元がない。

ベキ等元がたくさんあると、対応する空間は不連結になる。不連結とは、連結成分の数が増えて、個々の連結成分は小さくなること。不連結の究極では連結成分は1点となる。このときベキ等元の量が最大化して(なんでもベキ等元)、結果としてベキ零元は消滅している。このことは、不連結な空間では、無限小だけ離れた隣の点がなくなるので無限小概念もなくなってしまうと解釈できる。運動もなめらかさもない世界だね。

論理で使う空間は、無限小概念がなく究極的に不連結で、にもかかわらずコンパクトハウスドルフという、かなり奇妙な空間になる。が、どんな元もベキ等元である環は、必然的にこういう空間を作り出してしまう -- 不思議だが本当だ