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参照用 記事

圏論番外:米田の補題に向けてのオシャベリ

気まぐれに、米田の補題(Yoneda lemma)について書きたくなって、「はじめての圏論」第8歩を書いたわけです。が、コメント欄に自分で書いたごとく:

「はじめての圏論」のここで米田の補題を突っこむのは、解説の流れとしてはムチャクチャですな。

教科書や講義の構成だったらマズイのでしょうが、まー、思い付きと気まぐれの産物だから、こんなこともあるのよね。で、第8歩から何回かに渡って、米田の補題を目指して書くだろうと思います。

米田の補題の具体例が欲しかったので、順序集合、プレ順序集合から話をはじめたわけですが、なんか唐突な印象があるでしょうね。そこでここでは、当面の目標としている米田の補題について、それが何であってどんな意義を持つかをしゃべってみます。まったく系統的なハナシじゃないし、そもそも僕の知識が断片的なのですが、少しでも米田の補題に親しみが持てれば、と思いまして。

内容:

ランドマークとしての米田の補題

米田の補題を述べるには、圏の定義以外に、関手(functor)と自然変換(natural transformation)の概念も必要です。この事実は、米田の補題のひとつの位置づけを示しています。つまり、米田の補題は、圏論という分野内の、あるいは圏論学習過程のランドマークとなりえます。

米田の補題の記述と証明には、「圏、対象、射、関手、自然変換」という基本概念が重層的に何度も繰り返し使用されます。よって、米田の補題を理解できるかどうかは、圏論の基本概念を習得できたかどうかの良い試金石でしょう。つまり、米田の補題は、圏論(圏の一般論)の入門コースのゴール(あるいはマイルストーン)として適切です。

米田の補題に必要な予備知識は意外に少なく、"Handbook of Categorical Algebra 1"(ISBN:0521441781)では、圏の定義が4ページからはじまり、11ページには米田の補題が登場します(この間 self-containedです)。圏論の基本概念を正確に運用するだけで、米田の補題に到達できます。ただし、個人的には、圏の具体例をたくさん知ったり、関手圏(圏の指数)を理解した後のほうが、米田の補題が腹に収まるとは思います。

「米田の補題」の米田さん

いまや、物理学やコンピューティング・サイエンスの人も、米田の補題を(ときに、そうとは意識さえせずに)普通に使うご時世ですが、この補題(名前は補題だが、圏論の大定理)の発見者である米田さんはいかなる人物でしょう。Wikipediaの項目もないし、Googleイメージで肖像を探しても出てこない。ウーン、困ったな。*1

Web上では見つからなかったけど、とある書籍のなかに、米田信夫先生の肖像がありました。スキャンしたものを載せるくらい許されるでしょう(と思う)。

とある書籍とは、加藤五郎・著『コホモロジーのこころ』(ISBN:4000053841)です。この本のAppendixにいろいろな人の写真が載っていて、そのひとつが上の画像です。ちなみに、『コホモロジーのこころ』の第1章(1章、2章とAppendixしかない構成)は、「カテゴリーと関手」で圏論の解説。米田の補題は、1.2節(15ページ)「カテゴリー論の大黒柱、米田の補題」で登場します。

コホモロジーのこころ』は、読者に語るような文体でself-containedに書かれています(著者・加藤五郎さんはそう述べておられます)。しかし、その“語り”はのっけからジェットコースターで、僕にはとてもついて行けません。が、Appendixは歴史と展望のハナシなので、眺める程度のことはできます。

このAppndixによれば、米田の補題は次の論文に現れたそうです。

  • Yoneda, N. "On the Homology Theory of Modules" J. Fac. Sci. Univ. Tokyo, Sect.I.7 (1954), 193-227

なんと1954年。そんなに前だったのかぁー。圏論の基礎概念は1945年にアイレンベルクとマックレーンにより整備されてはいますが、それにしても早い。

自然変換の具体的表示としての米田の補題

この記事では、圏をC, Dなどのイタリック大文字、圏の対象をノーマル大文字A, Bなどで表します。Setは集合と写像の圏(を表す固有名詞)です。以下では、関手と自然変換の概念を断りなしに使います。

F, G:CDを2つの関手として、FからGへの自然変換の全体をNat(F, G)とします。このNat(F, G)というのは正体不明な不気味な集合です。いやっ、はたして集合と言えるかどうかもあやしい。しかし、米田の補題は、特別なケースとはいえ、Nat(F, G)に関してものすごくハッキリとした記述を与えます。

その特別なケースとは、圏DがSetであり、関手F, Gの片方が主具象表現(principal concrete representation)のときです。主具象表現(主表現具象表現、あるいは単に表現とも呼ぶ)とは、ホムセット関手C(-, -)*2の片一方の変数を固定して定義される関手です。いまは、A∈|C|を選んで F = C(A, -) のケースを考えましょう。

F = C(A, -) で定義されるF:CSetは、共変関手となります。記号を簡略化するため、C(A, -) を A~ と書きます。F = C(A, -) = A~ ですね。定義から:

  • A~(X) = C(A, X)
  • A~(f:X→Y) = (f*:C(A, X)→C(A, Y))

ここで、f* は、f*(u:A→X) = (u;f:A→Y) で定義されるf-後結合(post composition)写像です。このA~が、対象Aが定める共変の主表現関手です。

いまは共変のケースを考えていますが、まったく同様にして、反変の主表現関手A~を定義できます。

  • A~(X) = C(X, A)
  • A~(f:X→Y) = (f*:C(Y, A)→C(X, A)) (f*はf-前結合写像。)

ここまで記号の準備ができれば米田の補題を述べることができます。

  • Nat(A~, G) は集合であり、集合G(A)と(集合として)同型である。

より具体的に、y:Nat(A~, G)→G(A)という集合の同型写像(つまり、双射)が、あからさまな(explicit)、そしてやたらに単純な表式で定義できます。このyは米田写像(Yoneda map)と呼ばれています(さらに、米田写像は自然変換の成分と解釈できます。)

特に、G = B~のときは、Nat(A~, B~) = B~(A) = [C(B, -)](A) = C(B, A) となり、主表現のあいだの自然変換達は、もとの圏Cのホムセットと1対1対応します。つまり、A~⇒B~という自然変換(自然変換は二重矢印にする)は、C内のB→Aなる射から誘導(induce)されたものに限るのです。

これは、(少なくとも僕には)驚くべきことに思えます -- 自然変換の全体がホムセットと同じだったなんて!

オシャベリはまだ続く(たぶん)

Nat(A~, B~)とC(B, A)が1対1に対応することから、米田写像の逆 y-1:C(B, A)→Nat(A~, B~)を全部寄せ集めて、(反変の)米田関手(Yoneda functor)Y:CSetC が構成できます。これは埋め込み(CSetCの部分圏とみなせること)になっているので、米田埋め込み(Yoneda embedding)とも呼ばれます。

米田関手の行き先(codomain category)であるSetCは、関手圏(functor category)と呼ばれる圏(圏の指数(exponent, exponentiation, exponential object)とも呼ばれる)ですが、関手圏は非常に重要な概念です。特に、圏Cに対してSetC*3は一意的に構成できますから、米田関手も圏に対して一意的な存在となり、the Yoneda functor (embedding) は、圏Cに特定固有のものです。米田関手は、実は、圏Cに対して、便利できれいな拡張を一意的に与える機構になっているのです。

と、最後はあまりにも急ぎ足だったので、このへんのハナシはもう少しゆっくりするかもしれません。

*1:僕自身の記憶のなかでは、「米田信夫」なる名前は、アルゴル、エイダ、パスカルC言語などのプログラミング言語の教科書をたくさん書かれた著者、としての印象が強い。

*2:ホムセット関手は、第1変項に関して反変、第2変項に関して共変な2変項関手(双関手ともいう)、つまりHom:Cop×C→Setです。

*3:Cの前層(presheaf)の圏といいます。正確には、SetCの反対圏のほうを前層と呼ぶのですけどね。「前層」は歴史的な用語法で、その由来の説明は面倒です。