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参照用 記事

ウーム、面白いっ

きくちさんに教えていただいた http://d.hatena.ne.jp/mittyu/20061014/p1 の本文とコメント欄(コメントが膨大)を読みました。ちょっと読むのが苦痛ではありましたが、面白い!

この藤原さんてかた、まさに「なにがしたいのか、全然わからない」。議論は重箱の隅とアゲ足取りに進み、あきらかにオカシイのだけど、それにもかかわらず、藤原さんが無知だとも頭悪いとも思えない。

この噛み合わない感じは、藤原さんの根本的な性向が絡んでいるようにも感じられるのですが、表層的には、非常に基本的な語彙で既に齟齬があるような:

  • 「××を肯定する」/「否定する」
  • 「××が在る」/「無い」
  • 「××は意味がある」/「意味がない(無意味)」
  • 「××を完全に(絶対的に)否定できない」と「××かもしれない」と「××と○○(××と反対の説)はフィフティフィフティ」
  • 「××と言える」/「言えない」

それと、合理的な判断と恣意性/趣味/好みが切り分けられてない、とかも特徴かな。

それで、この藤原さん(僕よく知らないのだけど)、弾さん、あと音羽理史さんとかは、相当数の人(鳥越俊太郎さん含む)から高い評価を受けているわけですよね。これがまた現象として面白い。いったいどういう構造と機構なんだろう?

で、この人々には共通の論法というか技<わざ>がありそうな気もします。それは、通常のナントカ論理というようなものでは定式化できないのだけど、多くの人に共感や納得感を生み出しているのだから、ナニカがあるに違いない。そのナニカの追求は(例えばアブダクション研究のように)有意義かもしれない(無意味な徒労かもしれない)。

さらに、この人々(とりあえず、藤原さん、弾さん、音羽さん)との“普通の議論”つうか“合意を求めたコミュニケーション”に成功した人はいるのでしょうか? 僕がみた範囲(ごく一部だろうが)ではうまくいってない、困難そうです。では、彼らと合意(その結論がどうであってもいいのだけど)に至るプロセスをちゃんと制御できるコミュニケーション技術は可能なのでしょうか? それができたらスゴイことだなー、とは思うけど、具体的には全然イメージできないわ。

弾さんに関しては:

[檜山] 言ってる内容そのものもバカバカしいけど、僕の興味を引くのは(強いて言えば)やはり彼の話芸内で使われている詭弁(論理のアブユース)の数々。悪い意味での”レトリック”の宝庫ですね。論理ネタ(当ブログのレパートリー)で取り上げる価値はあるかもしれません。

[西村] 詭弁の分析! 実はそんなにパターンは多くない気がしますが、類型化して実例分析をすると面白そうです。

やってみたいのだけど、今それをやると、「はじめての圏論」のテンションが落ちそうだから、やらない