このブログの更新は Twitterアカウント @m_hiyama で通知されます。
Follow @m_hiyama

メールでのご連絡は hiyama{at}chimaira{dot}org まで。

はじめてのメールはスパムと判定されることがあります。最初は、信頼されているドメインから差し障りのない文面を送っていただけると、スパムと判定されにくいと思います。

参照用 記事

なにかを主張すれば、なにかを否定することになる

ニセ科学を擁護<ようご>はしないまでも、反ニセ科学論が「狭量である」「思考が硬直している」「むしろ非科学的態度だ」などと批判的に扱う意見を目にします。それらに共通したパターンは、一面的には正しいことを言ってはいるのだけど、議論の別の側面をゴッソリ落としているってことですね。

「一面的には正しい」だけに、稚拙な議論にアッサリ納得してしまう人もいそうだから、絵をまじえて説明しておきましょう。そう思った直接の動機は、最近のタミフル問題なんだけど、直接タミフル問題に言及することはしません。題材はニセ科学とします。内容的には「通常科学と真性ニセ科学の両立不可能性について」とほぼ同じですが、説明の仕方は変えてあります。

科学的に正しい言明

実験的または理論的に真偽が確認できそうな言明(今すぐ真偽を確認できなくてもいい)をイッパイ考えます。そのなかのいくつかは、現在の(普通の)科学で正しいと認定できるものでしょう。例えば、「質点に力が加わらなければ、質点は等速直線運動をする」という言明(力学的命題)は正しいと認定されます。一方、「地球以外にも知的生命体がいて、地球をおとずれている」は正しいと認定はされないでしょう。が、間違っていると断定もできないので、正しいか間違っているかわからない言明です。

以上の状況を図に描けば、次のようになるでしょう。

ここで、「すべての言明」とは「考えている範囲内でのすべて」のことで、この世のありとあらゆる言明というわけではありません。また、「科学的に正しい言明」の外にある言明が間違っているとは限りません。真偽が(現状においては)不明な言明も含まれます。

科学だって変化する

「水は言葉を理解する」のような言明は、「科学的に正しい」とはいえません。しかし、現在の科学が絶対不変なものではないので、将来の科学では正しと認定される可能性まで否定することはできないでしょう。つまり、次の図のような状況も可能性としてはあります。

ニセ科学やトンデモ学説を全否定してしまうのは、いま図に描いたような可能性までも否定することで、「狭量である」「思考が硬直している」「むしろ非科学的態度だ」となるわけですね。

科学が変化し、科学的な真偽基準も変化し、それに伴い、科学的に正しい言明の範囲も変動する -- このハナシはまったくそのとおりです。が、これだけで議論を終わらしてしまっては重大な見落としをしていることになります。

肯定には否定が伴う

最初の図で、「科学的に正しい言明」の外の部分すべてが「科学的に間違った言明」ではない、と注意しました。では、「科学的に間違った言明」というものはないのでしょうか。あります。確実にあります。例えば、「質点に力が加わらなければ、質点は等速直線運動をする」を正しいと認めるなら、「質点に力が加わっても、質点は等速直線運動をし続ける」とか「質点に力が加わらなくても、質点は加速度運動を自発的にする」は間違った言明となります。

Aという言明を正しいと認めると、not A という言明を間違った言明と断定することになります。ですから、科学的に正しい言明があるなら、必ず科学的に間違った言明があるのです。これを絵に描いてみましょう。

この図はあくまでも説明用の方便で、あまりマジメに受け取られると困るのですが、正しい言明達と点対称の領域として間違った言明達を描いています。

現代科学の否定を受け入れるような変化は何を引き起こすか

「水は言葉を理解する」のような言明は、真偽が不明な言明ではなくて、明らかに科学的に間違った言明です。「でも、それは現代の科学の基準から言っているに過ぎない」 -- そうです。科学が変化すれば、その命題が正しくなる可能性は確かにあります。

ここからが問題です。「水は言葉を理解する」を正しいとするような“科学”は、現在の科学で正しいとされている大部分の言明を否定します。否定されてしまった現代科学は、コンピュータ、インターネット、携帯電話、その他の通信、交通、建築、薬品、食品、… などなど、現代の物質文明を下支えしている基盤です。

(念のため再度注意; 図を文字通りには受け取らないでね。)
「物質文明を否定したいのだ」ということであれば、それはもう別な議論です。また、物質文明の弊害云々<うんぬん>も、別なハナシにしてください。重要な点は、現代の物質文明を下支えするほどの巨大な体系である科学を、ガサッと置き換えることは不可能なことです。一部分を修正するにも、全体の整合性を維持するために多大な労力を必要とします。現在の科学を否定して、それをガサッと置き換える体系に、はたして現実性があるかどうか想像してみてください。

「全体の整合性を維持する」という部分は、ある意味“保守的”な態度ともいえるので、「狭量である」「思考が硬直している」という反応になるんでしょう。そして、科学の発展プロセスをなんかすごくロマンチックに捉えて、「自由奔放な天才が、既存物を全否定して根底から作り変えていく」ようなイメージを持つから、間違った言明を「間違っている」と言うと「むしろ非科学的態度だ」となるのかもしれません。

それで結局、言いたいこと: あなたの素朴な言明により(必然的に)否定される理論体系の代替物を提示できますか。あなたのロマンチックな主張を通すためには、どれほどに現実的な犠牲が伴うか、ちょっと見積もってみませんか。