昨日の「ボブ・クックの『物理系実務者のための圏論入門』」に補足。
実際にそうなんだからしょうがない、っつうの!
まず、「物理系実務者のための圏論入門」の要旨(abstract)をイイカゲンに訳すと:
この論説の目的は、物理関係者 -- 特に量子力学/量子情報学の研究者や利用者に、圏論が日々の実践に必須な道具であることを納得してもらうことである。圏論が役に立つ理由は、それがよりカッコヨク数学を行う手段であるからではない。そんなこっちゃなくて、モノイド圏が、実務上の物理システムを実際に表現する代数構造に他ならないからである。
この解説では、精密厳格な定義や数学的に整合した理論を提示することはしない。その代わり読者を、圏論の世界(その一部だが)を周遊する旅に招待しよう。それは、物理関係者にも十分に楽しめる旅だと思う。
注目して欲しいのは、「モノイド圏が、実務上の物理システムを実際に表現する代数構造に他ならない」ってところですね。この主張には共感できるので、少し敷衍<ふえん>しておきます。
圏論の利用法やご利益として、異なる分野の共通性を抜き出して定式化できることがあります。なんつうか、抽象的なフレームワーク(概念的枠組み)として役に立つってことです -- これ、良い意味でのアブストラクト・ナンセンス。この点に全然異論はないのだけど、別な側面として、実際(アクチュアル)に圏がそこかしこに実在している、だから圏論で調べる、ってこともあります。
ボブ・クックが言っていることは; 「アブストラクト・ナンセンスとしての圏論カコイイ」とかはどうでもよくて、物理的システムと物理的操作(物理的過程)の全体は、実際に具体的にモノイド圏なんだから、もうしょうがないだろうよ。しのごの言ってないで圏論(特にモノイド圏論)使えよ、オマイラ。
第12節「結語 (Conclusion)」でも、圏論の教育や啓蒙に関して不満のような提言のようなことを書いています。アブラムスキー/クック流の幼稚園量子力学(Kindergaten Quantum Mechanics)では、絵算(お絵描き計算;graphical calculation)しか使わないのだから、誰だって(ってのはたぶんウソ)わかるじゃん*1、と。
絵算とその一般化
絵算は僕も好きです。ピクチャーパズル、迷路、あやとり、針金細工(ワイヤークラフト)、積み木などに似た素朴な楽しさがあるからです。
アブラムスキー/クックの絵算は、ファインマン図と線形代数(ヒルベルト空間)の計算を統合して簡易化したもの(らしい)です。ロジャー・ペンローズ(Roger Penrose)やルイ・カウフマン(Louis H. Kauffman)の不思議な絵記号による計算も、名人による絵算の例です。そういえば、上下に付いたタクサンの添字をあやつるテンソル計算も名人芸みたいですが、あれも、やっていることは絵算と同じです。
幼稚園量子力学の絵算は、実質的には線(両端がある線分、端が片一方しかない2種の線分)と交差(X字形)と半円形しか使いません。四角や三角による縁取り(箱)は、わかりやすくするための装飾に過ぎないのです。つまり、1次元図形の絵算なんです。次元を上げて、2次元図形の絵算を考えることができます。
1次元絵算 | 2次元絵算 |
---|---|
頂点 | 円周 |
辺 | 曲面図形 |
両端がある線分 | まっすぐなパイプ(丸い筒) |
端が片一方しかない線分(2つ) | 帽子形(2つ) |
半円(2つ) | ズボン形(2つ) |
交差(X字形) | 交差したパイプ |
まっすぐなパイプ以外の基本図形は次のものです(http://arxiv.org/abs/math.QA/0508349より)。
それで、計算法則の記述(の一部)は例えば次のような感じ。
事情が複雑になると、こんな絵(↓)も必要です。
2次元以上の絵算と物理との関係(の一例)を知りたい方は、ジョン・バエズ(John C. Baez)のスライド http://math.ucr.edu/home/baez/quantum_spacetime/qs.pdf を眺めるといいかも知れません。
2次元以上の絵算でも、1次元のときと同じで、図形(円周やらパイプやら)にヒルベルト空間や線形写像を対応させて計算をします。より一般に、「図形→ベクトル空間/線形写像」という対応をベースに計算する仕組みはTQFT(Topological Quantum Field Theory)と呼ばれます。
TQFT -- 名前はすごく物理的ですが、いろいろな非物理的現象もTQFTで説明できます。例えば、マーク・ホプキンス(Mark W. Hopkins)が「形式言語理論と場の量子論は似ている」と指摘してます(「形式言語理論への疑問など」参照)が、その背景は「形式言語理論がTQFTによる定式化を許す」ことだと思います。別な言い方をすると、形式言語理論的システム=オートマトンの全体が、モノイド圏(のある種の拡張・変種)になっている、ってことですね。
ところで
プログラミング/ソフトウェア開発における“お絵描き”というとUMLになるんでしょうか? 実は、UML-RT (Real Time)の一部(たぶん提案レベル)には、次のような図があります。
右下の絵はどこかで見たことが…… そうです、量子テレポーテーションで出てきたヤンキングです。ソフトウェア・コンポネントへの操作や結合方式を記述するこの図式記法は、トレース付きモノイド圏(traced monoidal categoriy)/コンパクト閉圏(compact closed categories)における絵算そのものなのです(「お絵描き圏論」参照)。よって、幼稚園量子力学の絵算と(レイアウト/デザイン的好みを除けば)同じなんです。なんか不思議ですね。
※ 上の図は、"WHAT IS BEHIND UML-RT?" http://www.cs.sunysb.edu/~grosu/bsbs99.pdf に載ってますが、現時点では http://www.cs.sunysb.edu/ が死んでいるようです。
[追記]CiteSeerにありました。
- "What is behind UML-RT?" -- http://citeseer.ist.psu.edu/235802.html
それと関連する論文。こっち(↓)のほうが読みやすいかも。
- "Towards a Calculus for UML-RT Specifications" -- http://citeseer.ist.psu.edu/47340.html
[/追記]
*1:ボブ・クックの発言を紹介すると、なんでハスッパな言葉使いになるんだ? あのヤンキーな風貌からついつい…