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参照用 記事

手塚治虫とデカルト閉圏

「圏論勉強会:ちょっとずつ、いろいろ」にて:

ちょっと思い出したり考えたことがありました。

手塚治虫は、僕がまだ子供の頃から『火の鳥』という壮大なシリーズを書き進めていました。大人になってからは読んだことがないので、以下、曖昧な記憶に基づくものです。

火の鳥』では、仏教のような原始宗教のような人生観/世界観が描かれている(みたいな)のだけど、手塚先生は「時間も空間もサイクリック、あるいは再帰的な構造を持つんだ」と言っているように思えます(僕の勝手な解釈かも)。

地球も太陽系も宇宙も生命体なんだ、とか、そういうハナシがあったような。それでまた、原子や素粒子のミクロの世界にいくと、そこもまた宇宙であり生命の世界があると、そんなことだったかと(うろおぼえ)。世界が無限階層であり、そのどの階層でも生命の営みがあるんだ、とね、たしか/たぶん。

こういう世界観はかなり素朴なもんだけど、「原子核と電子は、太陽と惑星に似ている」とかの中途半端な知識に訴えて、子供の僕にはとても受け入れやすいものでした。電子の上に誰か住んでいる気がしたもんね。

さてここで、圏論勉強会のテキスト"Categories, Types and Structures"なんですが、やっぱり「世界が無限階層であり、そのどの階層でも生命の営みがあるんだ」と書いてます。「スノーグローブの世界観」と言い換えてもいいでしょう。

デカルト閉圏は、各々の対象が型に対応しますから、猛烈に細かく強く型付けされた体系です。当然にこれは、型付きのラムダ計算に対応します。しかし、デカルト閉圏内に都合のよい対象(reflexive object)があれば、それは型無しラムダ計算のモデルとなります。

多様の世界のなかに、たまたま多様性が欠けたモノが見つかる、ってことならそんなに不思議じゃないのですが、レトラクション(ベキ等射)を対象としてミクロな圏を作ってやると、またデカルト閉圏ができるんですよ。一階層下がった小さな世界にもとの世界と同じような多様な世界が再現。さらに、もとの世界の完全なミニチュアになったりします。この階層化はいくらでも続けられるので、「世界が無限階層であり、そのどの階層でも生命の営みがあるんだ」ってことになるでしょう。

また、なんの個性もない単一の素材(型のないデータ)からものすごく豊かな多様性が作れるってことでもあるし、逆にどんな多様性も単一の素材に還元可能だとも言ってますよね*1

無限の階層性や無限の繰り返しは、実は循環しているんだ、というのは「輪廻」の発想になるんだと思うのだけど(ほんとか?)、サイクルを扱うトレースの計算あたりが暗喩を与えるのかな?

*1:コンピュータの世界なら、「結局、ビット模様でしょ」って散文的な話ですけど。