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参照用 記事

なかなか分からない、という能力

なんらかの分野の初心者、なんらかの技量に習熟してない人、そういう人は全然ワカットランな状態にあるわけです。でも、わかっていないのが問題かというと、それは事実ではあっても、特に問題ではないですよね。だって、まだよくわかってない人を「初心者」とか呼ぶんだから、定義上当然にワカットランわけです。

僕が問題だと感じること、困ったもんだと思うことは、ワカットランの反対、つまり、ワカッテシマウことです。ほんとに分かってしまえば、ベテランやエキスパートの域に達したってことですが、初心者/未習熟なのにワカッテシマウのがちょっと困るのです。

僕自身もよくあることだから、自戒も込めて言うのですが、ワカットラン状態のときって、早とちりや誤解から「ナールホド、ソウカ!」とバカな納得をしてしまうことがあるんですよね。実は全然トンチンカンなんだけど。そういう軽率な了解・納得を後で思い起こすとスッゲー恥ずかしい。

たまたま自分が知っていることのアナロジーで納得したり(実はアナロジーが成立している保証/根拠がない)、表層的な推論を繋げた結論で満足したり(まさに自己満足)、それですっかり分かった気分。そういう恥ずかしいハズシを何度か通り抜ける過程も大事だし、教育上の方便ってのもあるんだけど、分かった気分だけで、それ以上前に進もうとしないなら、過程(プロセス)も教育もないよなー。

「うーん、分からないなー」とか「分かったような気もするが、ほんとにこんなんでいいのかなあ?」とか、アッサリとは了解・納得しないことは、一種の能力であり、そういう能力は高く評価すべきだと思うのですよ。