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参照用 記事

ベキ等、正規化、計算、射影、観測

足し算や掛け算が考えられる状況で、X + X = X とか X×X = X であるようなXはベキ等(idempotent)だといいます。今日は、掛け算のベキ等性 X×X = X2 = X を話題にします。

内容:

  1. 数と関数におけるベキ等性
  2. 正規化、あるいは計算
  3. 射影とものを見る行為
  4. 観測量と安定な状態
  5. ベキ等な操作は、分けること、分かること

●数と関数におけるベキ等性

常識的な数の範囲で e2 = e であるようなeは0か1です。「x×y = 0 ならば、x = 0 または y = 0」(零因子がない)が成立するなら、e2 = e ⇔ e×(e - 1) = 0 から「e = 0 または e - 1 = 0」が導けるので、ベキ等元は0と1しかありません。よって、自明でないベキ等元を持つような計算体系は零因子(ゼロじゃないものを掛けるとゼロになるペア)を持つことになります。

0, 1以外のベキ等元の例を出しましょう; 実数の順序対 x = (x1, x2) と y = (y1, y2) の掛け算を x×y = xy = (x1 y1, x2y2) と定義すると、(1, 0)と(0, 1)は自明でないベキ等元の例です(この2つを掛けるとゼロなので零因子の例にもなっています)。

実数の順序対は、2点からなる空間{1, 2}からRへの関数とみなせます。R×R = {関数f:{1, 2}→R の全体}。この観点を一般化して、位相空間Xに対して連続関数の空間をC(X)とすると、C(X)で普通に足し算/掛け算ができます。Xが連結だと、自明でないベキ等元がうまく作れません。「Xが連結 ⇔ C(X)に自明でないベキ等が存在しない」が成立します。もう少し詳しく言うと、fがC(X)のベキ等元のとき、f と 1 - f が空間Xの分割 X = X1∪X2 を与えます -- X1 = f-1(0)、X2 = (1 - f)-1(0) = f-1(1)。C(X)の大小順序で極小なベキ等元がXの連結成分に対応します。

この例から、ベキ等元が、全体を分解した各成分を表現するような役割があるとわかります。

●正規化、あるいは計算

式とか項とか呼ばれる記号表現の全体をEとして、RはE→Eという写像だとします。Rはなんらかの記号的操作(を写像だと思ったもの)です。x∈Eが R(x) = x であるとき、xはそれ以上は操作しても変化しない記号なので、正規形(normal form, canonical form)と呼びます。Rを計算だと考えると、R(x) = x は、xがもうそれ以上計算(単純化)できないことを表すので、xは(計算の結果)だと思ってもいいでしょう。

正規形、あるいは値の全体をV(V⊆E)とすると、R(E) = V であり、V上では R(x) = x となるので、R・R = R です。「・」は写像の結合(合成)です。計算、還元、簡約、書き換え(rewrite)などと呼ばれる記号操作Rは、R・R = R を満たします。つまり、「・」を掛け算だと思ってベキ等です。

まとめると、記号表現の集合上のベキ等写像は、正規化または計算を表すと考えられます。ベキ等写像Rの像V = R(E)は、操作Rに対する不動点集合になっています。「正規形=値(計算結果)=不動点」ですね。

●射影とものを見る行為

Uがベクトル空間で、線形写像 P:U→U がベキ等であるとき、つまり P2 = P のとき、Pは射影(projection)と呼ばれます。P(U) = Im(P) (Pの像空間)はUの部分ベクトル空間ですが、Pの不動点(不動ベクトル)の集合でもあります。

P2 = P であるPは、実際に、日常的な意味での“射影”となっています。Pは、平行光線により影を作る操作なのです*1。影は部分ベクトル空間Im(P)のなかに作られます。一方、Ker(P) = {u∈U | Pu = 0} として定義される核空間は、影が原点1点となるような部分空間で、Ker(P) 内の図形の影は一点に縮んでしまいます。

Pにより、UがIm(P)とKer(P)に分解されるので、Pは「全体を分解した各成分を表現する」面を持ちますし、Im(P)に入るベクトルを一種の正規形と思えば、Pは、Uの元をIm(P)に正規化(還元、簡約)する操作だとも思えます。

さて、我々の視覚的認識を考えると、両眼による立体視ができるとはいえ、基本的には2次元の像を通して外界を把握しています。つまりは、射影の像が見えているだけです。見る行為、観測する行為というのは、世界の全体を一挙にまるごと把握する(把握できる)わけではななくて、ある側面、ある方向からの情報を取り出すのです。見る行為は射影だと言えます。この射影の核空間は、その方向へのひろがりが1点に見えてしまう(むしろ、隠れてしまう、見えなくなってしまう)ような方向に対応します。

●観測量と安定な状態

ベクトル空間Uのベクトルが、なんらかの重ね合わせ可能な状態を表しているとします。状態を観測する手段/行為は、コベクトル f:U→K でモデル化できます。典型例は、Uが有限次元で、{e1, ..., en}が基底(枠)のとき、その双対基底{f1, ..., fn}です。fi:U→K はベクトルの第i座標を計る座標関数になっています。すべての座標成分を知れば、ベクトルを完全に決定できるので、{f1, ..., fn}は完全な観測手段を提供します。

観測量の空間であるスカラー体Kは、Uの外側に考えました。Uの内部に観測量の空間を設定してみます。{e1, ..., en}が基底として、各eiで張られる1次元部分空間Xiは確かにUの内部にあります(Xiはi番目の座標軸です)。Pi(U) = Xiとなるような射影Piを作れます。Piは座標軸Xiに影を落とす射影です。Xiは1次元、つまり直線なので影の長さを測ることができます。その長さはスカラーで、コベクトルfiで計った値と同じです。

上手にP1, ..., Pnを選ぶと、射影のセット{P1, ..., Pn}はコベクトルのセット{f1, ..., fn}と同じように、完全な観測手段を提供します。つまり、座標関数のセットと射影作用素のセットは似たようなもんで、どっちも観測手段として使えるということです。

上記の例では、スカラーと同一視が可能な1次元部分空間を観測量の空間と考えたわけです。射影Pの像空間Im(P)が必ずしも1次元でなくても、Imp(P)を観測量の空間としてもよいでしょう。射影Pは、ある方向から“見る行為”に対応するのですから、「見えた像=観測された値」と考えるのです。

射影Pがベキ等であること「P2 = P」は、観測は繰り返し行ってもいいことを示します -- 観測量である v = Px にもう一度Pを作用させても Pv = PPx = Px = v と変わりません。v = Px と書ける状態vは、操作Pに対して安定しています。安定してないと、観測量(何かを計った結果)にはなれません。

●ベキ等な操作は、分けること、分かること

以上の事例から、ベキ等な操作とは、任意のモノから、安定した標準的な成分を取り出すような操作だと言えそうです。「成分を取り出す」ときに、一部の情報は捨てられます(ベクトル空間では、捨てられた成分は射影の核空間としてハッキリと定義できます)。「取り出す、捨てる」とは、2つに分けることです。日本語の「わかる」が、「分割」「分解」の「分」の字で表記するのは、けっこう本質を突いているようですね。

*1:ほんとの光線は1次元ですが、多次元の光線(部分空間)のたばも考えます。