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参照用 記事

量子テレポーテーションの楽屋裏

アブラムスキーは、彼の解説論文のなかで、ピンクの三角形のなかをロープが通っている図を見せて、「ロープを引っ張るとマッスグになるだろ、これが量子テレポーテーションだね、ウン」と言っている*1のですが、そんなこと言われてもサッパリわかんないわけで、みなさん、アブラムスキーがなにを言いたいのか首をひねっています。

あと、僕(檜山)のエントリーでは、「ベル状態、少し分かった、がやっぱりよくは分からん」

参考資料とご意見

みなさんその後、色々な論文や教科書にあたっているようです。列挙しておくと:

さらに、たけをさんの考察:

これ(↑)は、現実の実験装置との対応を取ろうとしているもので、話がかなり具体化してきたし、おそらくは正しい理解に向かっていると思います。がしかし、

Abramsky流量子テレポーテーションは、一般的に言う量子テレポーテーションから古典チャンネルと復元回路を取り払った部分のみを扱ってる、

古典情報の転送と復元回路(ユニタリ変換)を省略しちゃう、ってのは考えにくい気がしました。そこがテレポーテーションのキモだとすると、骨抜きの定式化になってしまう。そこまでひどいことはしないのでは?

まー他にも、みなさん、いろいろとブーたれていますよね。


nucさん
> 具体的にどうなっているのかの対応をつけようとするとどこかしら不自然さが残ります。

hiroki_fさん
> Abramskyの理論は、観測に伴う射影演算子についての考察が抜けているように思えます。

> 既存の理論体系(ヒルベルト空間をつかう量子力学)との対応を明らかにしてほしいなぁ。

> 観測による状態の収縮がAbramsky達がどのように説明しているかが気になります。
> それがベル状態を考える基礎となるので‥



bonotakeさん
> Abramsky達のお絵かきはその古典情報の転送以降を見た目省いちゃってるので、
> その[檜山注:量子テレポーテーションの]醍醐味が伝わってこない感じがするんですよ。

あの解説は、ジョーンズ多項式の説明を一段落で済ませちゃうような書きっぷりなんで、定式化を省略したんじゃなくて、説明を省略した気がします。つまり、hiroki_fさんの:

Abramskyの説明はそっけなすぎて、わかりにくいです。

このへんが真相かなー、っと。

クックとバヴロヴィックの最新報告

アブラムスキー一派の定式化や計算法の裏側がどっかに書いてないかと探してみたら、こんなのが見つかりました。

今月 (Aug 2008) の7日にアップデートされている論文です。ザッと目を通しただけですが、僕らが「実は考えてないんじゃないの?」と疑っていたことが、ほとんどすべて書いてあります。
純粋状態、混合状態、密度行列、量子測定、射影演算子を値とするスペクトル分解(単位の直交分解)、フォン・ノイマンの射影仮説、古典的対象(classical objects)と古典チャンネルの扱い方、など。
最後のほうで量子テレポーテーションを扱っていますがけっこう複雑です(これはこれで、やっぱり分からん(苦笑))。

基本的なポリシーや方法論は、他の資料にも書いてあるのと同じですが、説明はかなり詳しいです。位相的場の理論(TQFT)に出てくるフロベニウス代数(むしろ余代数)が定義するコモナドに、Eilenberg-Moore構成とKleisli構成を適用するなんて大技も使ってます*2が、基本的道具は例のお絵描き(pictorial/graphical/diagrammatic calculation)です。

ドライな記述と余代数の名人芸

アブラムスキーやクックは、哲学的/思弁的な話は全然しないんですよね(僕は、そこが気に入っているんです)*3。すごくドライで、実務的というか道具論的というか、「そのほうが簡単だからそうしたんだけど、なにか?」「計算がうまくいくからいいんじゃねっ」という態度で、ヒルベルト空間による定式化を圏論ベースに淡々とガリガリと書き換えています。

"Quantum measurements without sums" には、だいたいはどこかで見たような公式が並んでいるのですが、驚いたのは量子測定やスペクトル分解に余代数を使っていることでした。"Quantum measurements without sums" のもう一人の著者・バヴロヴィック(Pavlovic)は、「それ、余代数で出来るよ」な(何でも余代数にしちゃう)人なので、たぶんバヴロヴィックによる定式化でしょう。とにかく余代数の使い方が巧みで、もう名人芸ですね。しかしそれにしても、あまりにもツジツマがあっているので、単にバヴロヴィックの技というわけじゃなくて、自然が余代数を使っているってことでしょうか?

*1:[追記]たけをさんのエントリー(http://d.hatena.ne.jp/bonotake/20080821/1219316400)によると、そうは言ってないようです。早とちりと勘違いがあったみたい。[/追記]

*2:大道具を使うところは、あんまり本質的じゃないので無視してもいい気がします。

*3:実用的な計算手段に徹するという哲学があるのかもしれません。