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マクスウェルの悪魔がこの世に降臨するとき

昨日(8月31日)、とりあえずやっちゃう君・ジョニー(a.k.a. id:hiroki_f)が企画した講演会に行ってきました。沙川貴大さんによる Information Thermodynamics のお話

僕は物理のバックグラウンドがまったくないのでチンプンカンプンかと思っていたのですが、沙川さんの分かりやすい語り口で、なんとか雰囲気くらいはつかめた(かもしんない)気分。沙川さんご自身の意図やストーリーを紹介するのは僕には無理なんで、個人的に「ヘーッ」とか「面白い」と思ったことを以下に:

マクスウェルの悪魔というのは、思考実験に現れる理念的な存在で、現存するとは思えないし、現存すると仮定しちゃうと、なにか矛盾が起きるだろう -- と僕は思っていました。おそらく多くの人が、僕と同様に漠然と、あるいは物理的・熱力学的にちゃんと考えて、同じような印象なり信念なりを持っていたのではないでしょうか。

沙川さんによれば、マクスウェルの悪魔がいても別に不都合は起きないそうです。しかも、単に理論上存在を許されるというだけではなくて、現代あるいは近未来の工業技術のなかで“製造”可能らしい。うーん、ちょっと驚いちゃうよね。

マクスウェルの悪魔の工業的実現(デーモンデバイスとでも呼ぶのが適当か)は、従来の熱力学的な限界値(不等式の上限/下限)を超えるので、より効率的な情報処理、制御などに使えるそうです。ウムムムム。今のコンピュータは「マイクロ・コンピュータ」と呼ばれているわけですが、分子レベルの素子で組み立てられたコンピュータができたら、それは「ナノ・コンピュータ」か「ピコ・コンピュータ」か? BSD系OSを載せれば、あのロゴがハードウェアにもピッタリかもね。

ここ2,3年僕は、なんとなくだけど「計算のコスト」が気にかかっていたんですよね。ここでいうコストは実行効率とか最適化とかの文脈でのことではなくて、計算実行による環境へのインパクトを問題にしていて、エコロジカルな意味ね。

グリーンとアルテンキルヒ(Alexander S. Green, Thorsten Altenkirch)の定式化などを参考にすると、計算そのもののコストはゼロだと思っていいのだけど、初期化(例えばメモリのゼロクリア)にコストがかかってしまうようです。初期化とは、以前の状態を捨てること/忘れることなので、忘却にコスト(エネルギー)がかかると言ってもいいでしょう。

忘却こそコストなんだ -- というドグマを僕も(強い信念はないけど)信じていたのです。が、沙川さんは、「忘却のコストもゼロにできる」と。測定(情報の入手)と忘却(情報の破棄)がトータルとしては限界値を持つが、個別にコスト最適化すれば、コストゼロ(またはマイナス)が達成できるとのこと。となると、「コストゼロの可逆計算に、忘却を入れたら現実の計算だ」ってモデルも根本的に変更しないとダメなのかもなー、とか思いました(<子供の夏休み日記風)。

いずれにしても、架空の存在だと思われていた悪魔が、(ひょっとして天使の姿*1で)現実世界に降りてくるかもしれないという物語はワクワクするでしょ。

*1:天使と悪魔って、たしか同族だったよね。