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参照用 記事

僕がエフイチにハマる打算的理由(と、ステファネスク師匠)

前置きみたいことばかり書いてないで、そろそろF1の実質的な話をしようか、とも思うわけですが、もう1回僕の動機や気分について述べます。

いわゆる一元体F1には、なにかと好奇心を刺激されるのですが、それだけでは「ハマる」まではいかないと思うんですよ。ある程度は「役に立つ」という見通しもないとね。打算というか、「あわよくば」という下心ですね*1

内容:

シャイ・ハラン

「僕がエフイチにハマる理由」でも書いたように、「F1の計算て、デジャブな感じ、何かと思い当たるふしがある」ことが僕が下心をいだいてしまう背景です。「デジャブな感じ、何かと思い当たるふし」が何に由来するのかハッキリとはつかめなかったのですが、シャイ・ハラン(Shai Haran, 恐ろしくヤル気のないホームページ)の「足し算なし幾何」の冒頭を読んで少しだけ事情が見えてきました。

ハランの方法は、ペーニャ/ロアシャイド(Javier Lo'pez Pen~a, Oliver Lorscheid)の「エフイチ大陸の地図」(Mapping F1-land)に紹介されています。僕にとってはハランの方法が一番ピンときます(つうか、他の方法わからん)。

F1を定式化する方法(提案、試み)はたくさんありますが、多くは代数幾何のバックグランドがないと手も足も出ない感じで、僕には辛すぎる。そのなかで、ハランの方法は行列の圏を使う比較的に分かりやすい方法です(圏論知っていれば)。ハランはF1という代数系を直接定義することはやめて、足し算なしの線形代数を行列計算を使って導入しています。

ハランが定義した行列の圏はFという名前を持ちます。行列のインデックスは自然数(番号)に限らず、任意の有限集合の要素を使えます。つまり、Fの対象の集合Obj(F) = |F|は、有限集合の集まりです。X, Y∈|F| に対してホムセットF(X, Y)を、FY,X(XとYの順序に注意)とも書きます。特に、F(X, X) = F(X) = FX と表記しましょう。特定された単元集合を1(イチ)で表すと、F(1, 1) = F(1) = F1 = (一元体!) となります*2

ハランとステファネスクの接点は?

ハランの行列の圏Fのなかでは、通常の足し算はありませんが、圏としては直和(双積)を持ちます。直和とは別にテンソル積もあり、どちらも圏Fの対称モノイド積であり、テンソル積は直和に対して分配法則を満たします。つまり、圏全体としては可換環と似た構造を持っているのです。ハランは、分配法則を満たす2つのモノイド積を持つ圏を可換環圏(a commutative-ring category)と呼んでいます。可換環の圏(the category of commutative rings)とはまったくの別物です。メンバーが可換環なのではなくて、圏全体が可換環のように振る舞うということです。

ハランのいう可換環圏は、圏のモノイド積としての“足し算”(直和、双積)を持ちますが、必ずしも引き算はできません。ですから、むしろ可換半環(commutative semiring)に似ているのです。(可換)半環と似た構造を持つ圏は、ステファネスクが半環圏(semiringal category)と呼んでいたものです。半環圏は分配圏と呼ばれることもあります。

さて、「ステファネスク」「半環圏」「分配圏」といったキーワードが僕のブログでどのくらい登場するでしょうか?

ステファネスクの半環圏は、フローチャート・モデルから発展したプログラム意味論のためのものです。一方のハランはF1の定式化として半環圏を採用しましたが、コンピュータや計算科学に興味はないようです。ハランの動機はやはり代数幾何や数論です。特に、代数体の実素点(real prime)の謎を解こうとしているようです("The Mysteries of the Real Prime")。

フローチャートと数論?? 何の関係もなさそうなんですけどねぇー。でも僕は「いわゆる「一元体」の正体をちゃんと考えてみる」で「おそらく最も重要なポイントは、一元体が、今までうまく繋がらなかった分野・領域をつなぐ可能性でしょう」とも言いました。あまりにかけ離れた分野で繋がる実感が湧かないのですが、状況証拠がないわけでもありません。

Seven Treesのパズルの結果は、ラベルなしニ分木のデータ領域*3が、1の6乗根で生成される代数的整数環と同じ構造を持つことでした(「Seven Trees:最後のヒント+もっと面白い話」参照)。Seven Treesの対応はやたらにうまくいく例ですが、まったく孤立した事実であるとは考えにくいですよね。むしろ、氷山の一角であり、同じような現象が他にもあると考えたくなります。


ハランとステファネスクの接点つうか共通点として、二人とも九州大学に来てたんですね。ステファネスクは1997年に教えに来ていて、ハランは2005秋年から2006年冬まで学生として滞在しています。

そして、アブラムスキー/クック

ここで話が変わりますが、「A/C流の量子情報処理の理論とは、たぶんこんなもの」などで紹介したアブラムスキー/クックなどの量子力学(つうか量子情報学)では、ヒルベルト空間を一切使わないので、結果的に足し算がなくなっています(Non-Additive :-))。アブラムスキー/クック流ではコンパクト閉圏から出発するので、ベクトルもスカラーもないんです。しかし、コンパクト閉圏(若干の追加構造あり)からスカラーを搾り出すことはできます。次の論文に書いてあります。

アブラムスキーの「スカラーを搾り出す」方法と、ハランが圏Fから行列の係数域F1を構成した方法は同じです。スカラー=係数域は、必然的に可換モノイドになりますが、可換性の証明はエックマン/ヒルトン論法を使います*4。ちなみに、可換モノイドありきで出発するのは、F1の別な(そして現在主流の)定式化であるデイトマーやコンヌ/コンサニの方法です*5

アブラムスキーは、以前は並列処理やプロセス代数を熱心にやっており、コンパクト閉圏はその頃から使っている道具です。互いに通信・対話する自律的ソフトウェア・コンポネントの定式化にコンパクト閉圏が使えるのです。最近は同じ道具=コンパクト閉圏をヒルベルト空間なしの量子力学に使っているわけね。後になってアブラムスキー一派も、コンパクト閉圏に直和(双積)をいれたモノも使うようになりました。これは半環圏になります。

足し算なし幾何のハランと、フローチャートのステファネスクと、ヒルベルト空間なし量子力学のアブラムスキーが共通に使っている道具は半環圏です。色々な半環圏のベースとなる圏は実は簡単で、アミダの圏です。例え話や矮小化して言っているんではないですよ、ほんとにアミダの圏が基本です。ハランの圏Fは、アミダの圏をわずかに拡張したものです。


脈絡の無いことを書きましたが、ハランの定式化を見て僕は、私淑しているステファネスク師匠を思い浮かべたわけです。師匠は、迫害されながらも(って、ホントは知らない。別に迫害されなかったかも。注目もされなかったようだが)、フローチャートの研究を続け半環圏に到達したのです*6。ステファネスク師匠、先見の明があるなー、さすがだ。と言いたかった。

*1:下心大事 -- これ一般論。

*2:ハラン自身は、このような記号法のつじつま合わせを書いていません。ハランの記法だと、F(A)は別な意味に使っています。

*3:同値関係を入れて商を取りますが。

*4:直接的な証明もあるかも知れませんが、結合とテンソル積が一致することを経由するなら、エックマン/ヒルトン論法でしょう。だと思った、たぶん。… 確認しないと^^;

*5:トゥエン/ヴェキ(Toen-Vaquie)の方法もとりあえず可換モノイドの圏を作ります。

*6:Catyの意味論は半環圏をメイッパイ使っています。