夜の街が暗い。節電で照明が消えちゃっているからね。
もともとが明るすぎた、という気もするが、照明のない夜の街を歩くとやはり沈んだ気分になる。「明るい/暗い」という言葉は、物理的には照度に関する形容詞だろうが、「明るい未来」とか「暗い世相」とか転用される。この相関(?)を利用するなら、照度を上げると人の気分も明るくなるのではないだろうか。
節電の主たる目的は、電力使用のピーク時に給電側が破綻することを防ぐことだろう。とすると、電気をたいして使わない時間帯に節電してもあまり意味がない。夜の11時くらいから翌日早朝あたりの電力を照明に使うのはさして弊害がないと思う。弊害があるなら以下の文言は撤回するが; 深夜電力で、以前のように明るく街を照らしてくれないだろうか。いや、以前ほどじゃなくてもいいから。
それに何の意味があるかって? 気持ちだけ。でも、景観ってのは人の心にかなり影響するよ。例えば、僕は田舎育ちだから、里山の景観は珍しくなんともなく、あえて賛美するなんてことはしないが、それが失われたら悲しい。東京の暮らしのほうが長くなった今は、明るい(ひょっとすると明るすぎた)夜が、里山の景観のように「失われたら悲しい」ものに感じられる。
この機会に、無駄なエネルギー消費をやめてしまおう、って意見はごもっともだと思います。しかし、一人で歩くのを躊躇するほどに暗い街にすることがイイとは思えない。深夜電力で街を少しだけ照らしてよ。