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参照用 記事

ネアンデルタール算術

メモ編に書いたほうがよさそうな内容ではあるが:

0, 1, 2, 3, ... のような非負の整数は、現代人にとっては常識で、ほとんどの人が同じ概念を共有しているように思えます。「4は死で縁起が悪い」「7はラッキー」「8(八)は末広がり」とか、数に関する周辺イメージは文化的な差異がありますが、順序数(ordinal)、基数(cardianl)としての非負整数の概念は、世界中でほぼ一律なのではないでしょうか。

これは、数概念(とりあえず非負整数に限定)は普遍的で、必然的に唯一の概念となるからでしょうか? 僕はなんとなくそう思っていました。しかし最近は「それは違うかも」と考えたりします。今みんなが共有している数概念は偶然の産物だったのかも、と。

現在の数概念はかなり高級で進化したものです。義務教育で非負整数を習うのは小学校一年生でしょうが、その段階の数概念でも既に十分に進化しています。もっと原初的な数概念を考えるには、現代という時代はふさわしくなく、ネアンデルタール人の時代まで戻ったほうがいいでしょう。

ここで、「ネアンデルタール人」と言っているのは単なる狂言回しです。動物がおしゃべりするアニメの登場人物(登場動物)のようなもので、動物が話すわけないのと同じようにネアンデルタール人が算術することもないでしょうが、おとぎ話のキャラクターとしてネアンデルタール人を選んだわけ。

僕達が知っているような 0, 1, 2, 3 を、まだ知らないネアンデルタール人が、洞窟の壁や地面に絵を描いているとき、なんかのはずみで今とは別な数概念を獲得するかもしれません。すると、勘定するとか計算するとかの行為も今のそれとは違ったものになるでしょう。

より具体的に言うと、点と線を描いたり変形したりする操作がまずありきで、順序数や基数のような概念が先行しない状況では、「勘定する/計算する」も随分と変わってくるだろう、と思うのです。

一元体F1(エフイチ)が認識されたのは20世紀末で、21世紀の今でも謎の代数系です。しかし、歴史をやり直せるなら、ネアンデルタール人F1を発見したかもしれない、とも夢想できるのです。

僕がエフイチにハマる打算的理由(と、ステファネスク師匠)」で触れたシャイ・ハランの定式化を見ると、足し算を知らなくても(知らないからこそ)F1に到達できます。ここでいう「足し算」は抽象化された整数の演算です。それ以前のより原初的な「モノ達を寄せ集める」直和は必要です。順序数や基数として蒸留される前の、指やオハジキを使うような計算です。

現代風ではない、原初的なネアンデルタール算術を使ったほうが、自然現象やコンピュータに対してより適切な説明ができるんじゃなかろうか、と。… まー、妄想ですがね。