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温度計

僕は小さい頃は甘えん坊だったと聞かされたが、母親と特に親密だったおぼえがない。むしろ、小学生/中学生くらいのとき、何度か母親にひどく腹を立てた記憶のほうが残っている。

小学生の頃、理科実験器具のタグイが好きだった僕は、ガラス製温度計を持っていた。デジタルじゃないよ、赤く着色された液体がガラス管に入っているヤツね。

たぶん、その温度計を気に入っていたのだろう。母親がなんかのはずみでそれを踏み付けて壊してしまったとき、僕は激しく怒った。泣きわめいたかも知れない、ふてくされたかも知れない。

その日だったろうか、翌日だったろうか、母親が背中を丸めて何かしているのを後ろから見た。割れて2つになった温度計を接着剤でくっつけようとしていた。今なら、ガラスも接着する強力な接着剤があるかもしれないが、母親が使っていたのは、どちらかというと「糊」というシロモノで、割れたガラス棒がつながるわけもない。仮にくっついても、温度計としての機能は元に戻らない。

その程度の道理は分かる歳だった僕は、「なんてアサハカな母親だ」と思った。母親に気付かれないように家を出て、裏の竹藪に行った。竹藪にしゃがんで僕は泣いた。なぜか涙が出た。

それでも僕は、「自分が怒り過ぎた」とか「床においた自分が悪かった」とか言うことはなかった。言えなかった。母親に対する態度はずっとそんな感じだ。ずっと親不孝な息子だ。

あの頃の母親より今の自分は一回りも年を取っている、子供もいる。今頃になって分かることも確かにある。それでも僕は、「あのときはゴメンナサイ」と言えない。ずっと言えなかったし、たぶん言えないままに母親か僕が死んでしまうのだろう。

他人が家族になることは出来るかもしれない。だが、家族を他人にすることはできない。ほんとうにヤッカイでどうにもならないモノだ -- 僕はあと何回、竹藪にしゃがみこんだような気分を味わうのだろうか。母親(あるいは他の家族)を肯定はできないけど、そんな自分が腹立たしかったり、情けなかったり、やりきれなかったり、と。