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再考: クリーネスター・圏論・計算の離散力学

今週末に「物理と情報と幾何のインフォーマルかもな勉強会@スマートニュース株式会社 渋谷」があるんですが、原稿&資料として書いた「予定: クリーネスター・圏論・計算の離散力学」を今読み返してみたら、ウーム、この話題を全部話すのは無理だわなーー。

足し算と掛け算しか使わないので、内容はとても初等的なんですが、計算方法(絵算)が大部分の人にとって経験がないであろうエキゾチックなものなので、「小学生レベルの話も外国語でされたら分からない」という意味では難しいかもしれません。でも、難しさは慣れの問題で、ボブ・クック教授は、絵算なら「幼稚園児でも出来る」と語っているくらいです。

絵による計算をプロモーションするのも僕の目的だし、「計算方法は置いといて結果だけ」と披露するほどの結果はないし、となると「絵算入門」になっちゃうかもなー。

ところで、アテンドを見たら、25人だった定員がなぜか40人になっています。満席かと思ったらまだ空席ありですよー。

このエントリーの続きとして、考えなおした予定を書くつもりです。

(たぶん、以下に続きを書く)


  • 2013-10-09 : 今日はまだ考えてません。


ヘロヘロだったけど、多少気分を持ち直したのでちょっと書いておきます(2013-10-10)。ほぼ独り言ですが。

KSHH定理は紹介したいですね。KSHH定理の一般的な形は、

デカルト圏に余デカルト性を足して双デカルト圏(双積を持つ自己双対的な圏)の話にすると:

デカルト圏の典型例は(適当な係数半環上の)行列の圏なので、行列圏に特殊化すると:

同値性(⇔)の半分だけにして、

とすれば予備知識は減らせるでしょう。

でも、こうするとコンウェイ代数(コンウェイ半環)の出番が不明になるなー。トレース Trn,mk を、Trn,m1 から作り上げることにすると、その過程でクリーネスターが出てくるはずだけど、不動点と無関係にクリーネスターが登場したら唐突すぎるか? ウーム。もう少し考えます。


  • 2013-10-11

KSHH定理は紹介したいですね。

KSHH定理は、中心的なトピックのつもりだけど、「Cはトレース付きデカルト圏 ⇔ Cはコンウェイ圏」という形でまともに紹介すると、トレース付きデカルト圏とコンウェイ圏の両方を定義しないとステートメントが意味をなしません。これはちょっときびしいなー。

KSHH定理が言っていることは、デカルト圏という“環境”では、トレース理論と等式的不動点理論が同じものだってことです。さらに、双デカルト圏というより整った環境(あるいは、強い前提)のもとでは、トレース理論と等式的不動点理論と等式的クリーネスターの理論の三者が同じになります。

デカルト圏の典型的な例である行列圏だけを扱うことにして、トレース付き行列圏のなかで等式的不動点理論と等式的クリーネスターの理論が展開できることを示せば、おおよそKSHH定理の雰囲気は伝わるでしょう。両方向の同値性(⇔)は面倒なので、次のような片方向にします。

  1. トレース付き行列圏では不動点オペレーターが定義可能である。つまり、Cがトレース付き行列圏 ⇒ Cは不動点オペレーター付き圏。
  2. トレース付き行列圏ではクリーネスターが定義可能である。つまり、Cがトレース付き行列圏 ⇒ Cはクリーネスター付き圏。

行列圏の場合、トレースの(したがって不動点、クリーネスターの)情報がスカラー半環の構造に集約されます。つまり、スカラー(と2変数斉一次形式)に圏全体の構造が全部詰まっていて、そこだけ局所的に調べれば圏の構造が完全に分かります。このことは、行列スター公式(または行列プラス公式)から示せます。

この流れだと、次の2つのことが目標になります。

  1. 天下り(公理的)に与えたクリーネスターに対して、露骨な表示を求める。
  2. 同じく、行列スターの露骨な表示(行列スター公式)を求める。

ただし、ちょっと問題があって、行列スター公式は完全に等式的だけど、クリーネスターの露骨な表示は無限級数なんですよね。無限な絵ってのは何だかわかんないし、絵の収束や極限ってのも(やれば出来るのかもしれないが)定義がない。無限な絵の代理としてサイクルが出てくるので、それでいいっちゃいいのだけど、割り切れない感覚は残るかも知れませんね。

僕自身も、絵の無限展開がサイクルで表象されることを完全に納得しているわけではありません。どうも割り切れない。「割り切れない感覚」は「不思議さ」や「謎」とも言えるので、まーいいとしましょう。