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微分幾何の特殊な習慣 -- 知らんかった

「郷に入っては郷に従え」という諺がありますが、従うべき郷の習慣を知らないと、何がなんだかサッパリ分からなかったり、とんでもない誤解をしたりします。

内容:

  1. 微分幾何の習慣は知らない
  2. 特別な意味の文字
  3. dsって何だろう
  4. 接ベクトル場、余接ベクトル場
  5. 内積場、ノルム場
  6. 内積場/ノルム場の表示
  7. ノルム場がdsだった
  8. 習慣の由来は

微分幾何の習慣は知らない

添字をたくさん使うテンソル計算と、そんなテンソル計算を使う微分幾何は、早い段階で「やってられん!」と投げ出しました。そこらへんの事情は昔書いたことがあります。

後になって、ネルソン〈Edward Nelson〉の本で少し勉強しました。

ネルソンの本はモダンですが、ネルソンが考案した記法で書かれていて、伝統的な微分幾何とはだいぶ違います*1

そんな事情で、伝統的な微分幾何では常識であっても、僕はまったく知らないことが多々あります。

特別な意味の文字

特定の文字が、固有名詞として特定の対象物を指すことは珍しくありません。ギリシャ文字・小文字'π'は円周率を表します。ラテン文字・小文字'e'はネイピア数ですね。もちろん、この約束が破られることもあります。正確に言えば、特定の分野や文脈において、特定の文字が、固有名詞として特定の対象物を指すことがある、です。

微分幾何にけるラテン文字・小文字's'、物理の相対論におけるギリシャ文字・小文字'τ'が、そのような特別な意味を持つ文字だったようです(知らなかった)。s, τは、「特定の対象物を指す」というより、「特別な使い方の習慣がある」ということです。ほんとに特別なんです。なかなか推測は出来ないので、知ってないとアウトだと思います。

以下では、ラテン文字・小文字's'の特別な使い方の習慣を話題にします。実は、's'については「そう言えば、そんな習慣あったな」くらいの記憶はあるのですが、'τ'についての習慣はまったく知らなかったので、ホントに何がなんだかサッパリ分からなかったです*2

dsって何だろう

多様体を持ち出すと面倒なので、関数やベクトル場を考える領域は、Rnの開部分集合Uに限定します。なんなら、n = 2 とか n = 3 に次元を固定してもいいです。

's'について特に何も知らないとして、ds と書かれていたら、どう解釈するでしょう? 僕は、dは微分(外微分)と思うので、sは関数 s:U→R で、それを微分してdsなんだ、と解釈します。dsは、U上の1次微分形式(の場)ですね。

ds2 ならどうでしょう? d(s2) とは考えにくいので、(ds)(ds) と解釈します。dsの併置(並べること)は、なんらかの掛け算でしょう。1次微分形式には自然な掛け算があります。αとβが1次微分形式だとして、

  • (αβ)(v) = α(v)β(v) (右辺の併置は実数値関数の普通の掛け算)

ここで、vはU上の接ベクトル場です。Uの一点pで考えるならば、

  • (αβ)p(vp) = αp(vpp(vp) (左辺の併置は実数の普通の掛け算)

ds2 とは、たぶんそんなもんだろう、と思いますよね。実際はまったく違うんですわ。

接ベクトル場、余接ベクトル場

Uの一点pでの接ベクトルの全体を TpU と書きます。U⊆Rn なので、TpU \stackrel{\sim}{=} Rn です。点pごとに、TpU の要素(つまり接ベクトル)を割り当てる写像接ベクトル場です。接ベクトル場vは、v:U→Rn と考えてかまいません(あくまで U⊆Rn, TpU \stackrel{\sim}{=} Rn だからです)。点pでのvの値は、v(p)ではなくてvpと書くことにします(後で理由は分かるでしょう)。

TpU の標準双対空間を T*pU と書きます。

  • T*pU := (TpU)*

T*pU の要素を、点pにおける余接ベクトルといいます。点pごとに、T*pU の要素(つまり余接ベクトル)を割り当てる写像余接ベクトル場です。余接ベクトル場αは、α:U→(Rn)* と考えてかまいません。しかし、(Rn)*Rnを同一視することはしません。点pでのαの値は、α(p)ではなくてαpと書くことにします。余接ベクトル場の一点での値αpは、TpU→R という線形写像です。

余接ベクトル場と1次微分形式はまったく同じ概念です。ここから先は、「余接ベクトル場」のほうを使います。

α:U→(Rn)* が余接ベクトル場、v:U→Rn が接ベクトル場のとき、

  • U∋p |→ αp(vp) ∈R

は、U上の実数値関数、つまりスカラー場になります。点引数pを下付きにしたのは、α(p)(v(p)) だとちょっと分かりにくいからです。

内積場、ノルム場

Uの点pごとに、接ベクトル空間TpUに内積が入っているとします。点pにおける内積を (-|-)p と書きます。ハイフン'-'は無名変数です。(-|-)p:TpU×TpU→R で、(-|-)p内積の公理を満たす双線形写像です。

  • U∋p |→ [内積 (-|-)p:TpU×TpU→R]

これは、点pごとに内積を割り当てているので、内積という言い方をしてもいいでしょう。普通は、内積場とは言わないで計量場ですけど。

v, w:U→Rn が2つの接ベクトル場のとき、

  • U∋p |→ (vp|wp)pR

スカラー場です。内積場があれば、2つの接ベクトル場を内積してスカラー場を得ることができます。例えば、(vp|wp)p がpによらず恒等的に0なら、「vとwは直交する接ベクトル場だ」とか言えます。

接ベクトル場 v:U→Rn に対して、

  • U∋p |→ sqrt((vp|vp)p) ∈R

と定義すると、これは、各点pでの接ベクトルの長さを与えることになります。長さはノルムとも言うので、p |→ sqrt((vp|vp)p) という割り当てをノルム場と呼びましょう。点pでのノルムは |-|p と書きます。この記法を使ってノルム場を次のようにも書けます。

  • U∋p |→ [ノルム |-|p:TpU→R]

接ベクトル場 v:U→Rn に対するノルム |v| は、次のようなスカラー場(U上の実数値関数)になります。

  • U∋p |→ |vp|pR

内積場/ノルム場の表示

v:U→Rn をU上の接ベクトル場とします。成分表示して、

  • v = (v1, ..., vn)

とします。横ベクトル形式で書いてますが、実際は縦ベクトル形式なんだと思ってください。vの転置 vT が横ベクトル形式です。点pごとの値は、

  • vp = (vp 1, ..., vp n)

vp i と書くか、vi p と書くか悩みますが(どっちでもいい)、この形式にします。

U上の内積場 p |→ (-|-)p を具体的に定義するとき、点pごとにn×n行列を与えればいいですね。Gがそのような行列の場だとします。

  • G:U→Mat(n, n)

ここで、Mat(n, n)はn×n行列の空間です。この行列場Gを使って、

  • (vp|wp)p := (vpT)Gpwp

内積の値を定義できます。n = 2 の場合をもっと具体的に書けば:

(\begin{pmatrix}v_{p\, 1} \\ v_{p\, 2}\end{pmatrix} | \begin{pmatrix}w_{p\, 1} \\ w_{p\, 2}\end{pmatrix})_p \: :=\: \begin{pmatrix}v_{p\, 1} & v_{p\, 2}\end{pmatrix}\begin{pmatrix}G_{p\, 1 1} & G_{p\, 1 2} \\G_{p\, 2 1} & G_{p\, 2 2} \\\end{pmatrix}\begin{pmatrix}w_{p\, 1} \\ w_{p\, 2}\end{pmatrix}

対応するノルム場は、

  • |vp|p := sqrt((vpT)Gpvp)

n = 2 の場合のノルム場は、

\|\begin{pmatrix}v_{p\, 1} \\ v_{p\, 2}\end{pmatrix}\|_p \: :=\: \sqrt{\begin{pmatrix}v_{p\, 1} & v_{p\, 2}\end{pmatrix}\begin{pmatrix}G_{p\, 1 1} & G_{p\, 1 2} \\G_{p\, 2 1} & G_{p\, 2 2} \\\end{pmatrix}\begin{pmatrix}v_{p\, 1} \\ v_{p\, 2}\end{pmatrix}}

上記のルート内を展開して書いてみます。ここから先では、下付きpが煩雑なので省略します。点pごとではなくて、U全体に対して記述していると思ってください。

\|\begin{pmatrix}v_{1} \\ v_{2}\end{pmatrix}\| \: :=\: \sqrt{G_{1 1}v_1 v_1 + G_{1 2}v_1 v_2 +  G_{2 1}v_2 v_1 +  G_{2 2}v_2 v_2}

あるいは両辺を二乗して:

\|\begin{pmatrix}v_{1} \\ v_{2}\end{pmatrix}\|^2 \: :=\: G_{1 1}v_1 v_1 + G_{1 2}v_1 v_2 +  G_{2 1}v_2 v_1 +  G_{2 2}v_2 v_2

一般的な次元nでは:

| v |^2 \: :=\: \sum_{1 \le i, j \le n}G_{j i}v_j v_i

ここで、vは接ベクトル場、Gは行列場ですが、添字が付いた Gji, vj, vi 達はスカラー場です。

ノルム場がdsだった

前節のノルム場をNという1文字で表すことにします。

N(v) \: :=\: sqrt{\sum_{1 \le i, j \le n}G_{j i}v_j v_i}

ノルム場Nの二乗はN2とします。

N^2(v) \: :=\: N(v)^2 \;=\; \sum_{1 \le i, j \le n}G_{j i}v_j v_i

内積場やノルム場を、dxi を使って書く場合もあります(それが普通)。

N^2 \::=\: \sum_{1 \le i, j \le n}G_{j i}dx_j dx_i

これは、完全に合理的な記法です。なぜなら、dxiは余接ベクトル場で、ベクトル場vに対して dxi(v) = vi と成分を取り出す働きがあるからです*3

N^2(v) \:=\: (\sum_{1 \le i, j \le n}G_{j i}dx_j dx_i)(v) \:=\: \sum_{1 \le i, j \le n}G_{j i}dx_j(v) dx_i(v) \:=\: \sum_{1 \le i, j \le n}G_{j i}v_j v_i

辻褄が合ってますね。

辻褄が合わなくなるのはここからです。ノルム場Nを、dsと書く習慣があるのです。ノルム場の二乗N2ならds2です。

ds \::=\: \sqrt{\sum_{1 \le i, j \le n}G_{j i}dx_j dx_i}
ds^2 \::=\: \sum_{1 \le i, j \le n}G_{j i}dx_j dx_i

dsをdとsに分解してはダメです。s自体に意味があるわけではなくて、'ds'を単一の記号とみなして、それはノルム場を表すために予約されていると解釈します。sは関数ではなく、dsは余接ベクトル場〈1次微分形式〉ではありません。ノルム場(またはその二乗)の定義式を見て、「sは何だろう?」「sはどこから来たのだろう?」「sの正体は?」とか考えるのはまったくのナンセンスです。だって、単なる習慣的記法だもの。

それ相応の文脈があれば誤解はないでしょうが、ノルム場の具体的な定義として、 ds = (なんか具体的な式) という等式がポンと出されると、「sを微分したのが (なんか具体的な式) なのね」てなことになります。で、ワケワカメ状態。

習慣の由来は

ノルム場をdsと書くようになった由来は、割と容易に想像がつきます。弧長パラメータという概念があり、その弧長パラメータをsと書く習慣があります。無限小な弧長だから「d(無限小) + s(弧長)」となったのでしょう。

「sという関数にdという作用素を適用した」のではなくて、「無限小弧長」を表す符丁だったんですね。ほぼ固有名詞みたいなもんです。

この特殊な用法でのdsを、「線素」とも呼ぶようです。「線素」という言葉は聞いたことがありますが、「線」が1次元のモノを意味し、「素」が無限小で、「線素=接ベクトル」だろうと僕は解釈していました。「線素=接ベクトルの長さ=無限小弧長」という意味もあるんですね。

理解を妨げたり、誤解を招く言葉や記法というのは、いたるところにあって落とし穴になるのですが、僕も落とし穴にマンマと落とされました。

  • dsはdとsに分解しない。単なる習慣的記法。s単独で意味などない

[追記]これ(↑)は言い過ぎかな。'd'と's'に分解した上で、それぞれ単独での意味は、探せば在りますね、解釈法を変えれば。'd'を微分(外微分作用素)と解釈している限りは's'に意味を持たせられない、ということです。[/追記]
[さらに追記]この記事の修正はしませんが、言い過ぎに対する補正をするために続きの記事を書きました。

[/さらに追記]

*1:普通のテンソル代数とは少し違った、ネルソン代数とでも呼ぶべき代数を定義して、それをベースにしています。見た目は伝統的微分幾何と似せる工夫をしているのですが解釈は違います。ちょっとトリッキーな印象を受けました。

*2:結論を言えば、's'に関する習慣と'τ'に関する習慣は同じものです。

*3:それに、dxiは関数xi微分であるという点でも整合的記法です。