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参照用 記事

必然性なき選択と過剰な表示

書籍『〈現実〉とは何か』(筑摩選書)への谷村省吾先生による言及に触発されて、「根拠なき選択」という記事を書きました。そのなかで、何かを選ぶとき、選べるものが一個しかない(一択)なら、それは「根拠がある選択」だと言いました(脚注)。それしかないんだから、「根拠」とか「選択」という言葉も不適切かも知れません。

選択肢がひとつしかない状況での選択は極端な例なので、次のような断りを入れました。

[選択肢の]一意性は、up-to-isomorphism, up-to-equivalence でもかまいませんが、isomorphism class、equivalece class からの代表の選択はまた根拠なき選択になるでしょう。

これは、「同値類からの代表元の選択は、根拠がない」ということですが、この“選択”は当初の話題とは違っています。当初の話題は、何かを記述するときの基準・枠組みを準備するための選択でした。

基準〈規準 | 参照枠〉の選択と代表元の選択は目的が違いますが、どちらの選択も(多くの場合)根拠なき選択になります。今回は、代表元の選択のほうを考えてみます。なお、「根拠なき選択」より「必然性なき選択」(谷村先生の示唆)のほうが語感が良い、あるいは揶揄的印象が薄くなるので、「必然性なき選択」も使います。『〈現実〉とは何か』で使われていたもともとの言葉は「非規準的選択」です。

内容:

有理数の代表元あるいは表示

Z := {n∈Z | n ≠ 0} として、直積集合 Z×Z を作ります。Z×Z の要素 (n, m) を n/m だと思えば、分数 -- つまり有理数の表示になります。

同じ有理数を表す分数はたくさんあります。例えば 2/3 と 6/9 は同じ有理数を表します。7/-3 と -7/3 も同じ有理数を表します。このケースでは、必然性/根拠がある選択〈規準的選択〉が可能です。分数表示に次の条件を付けます。

  • 分母と分子に1以外の公約数がない*1
  • 分母は正の整数。

この条件を満たす分数は、各有理数に対して1個しかないので、一意的選択になります。しかし計算の際、例えば 2/3 + 2/9 を計算するとき、2/3 = 6/9 を利用します。表示が一意的でないことを積極的に利用しています。

有理数と、その表示である分数に関しては:

  1. ひとつの有理数に対して一意的な分数を規準的に選択できる。
  2. しかし、規準的ではない分数表示も必要になる。

ひとつの有理数に対する分数表示がたくさんあることを、過剰な表示を持つと言いましょう。この過剰さは、無駄ということではないです。非規準的な表示も役に立っっているので豊富な表示を持つと言ってもいいでしょう。

射影平面の点の代表元あるいは表示

別な例を出しましょう。射影平面(2次元射影空間)は、3次元空間R3の原点を通る直線を点とみなした図形です。R3内で見れば直線の集まりですが、直線内から代表点を1個ずつ選びましょう。

原点から距離1の点、つまり単位球面上の点を選べばよさそうです。この選択は規準的のような気がします。しかしさらに、球面上の向かいあった二点(対蹠点)のどちらか一方を選ばなくてはなりません。例えば、(地球で言えば)北極点か南極点のどちらかを選びます。こうなると、規準的な選び方はないように思えます。

下の図は、地球で言えば南半球(通常の3次元座標だと z ≦ 0 の部分)に対して、赤道上の対蹠点〈たいせきてん | たいしょてん〉を同一視しようとしている絵です。

*2

赤道をつまみ上げる感じで交差させて縫い合わせます。

*3

3次元空間内に押し込めた射影平面は次のような図形(クロスキャップ)となります。

*4

射影平面の一点に対応するR3内の直線から、代表点を選ぶ」という選択では、原点から距離1の点まではマアマアの必然性がありますが、それから先は必然性なき選択です。これは、半分は必然的なのかな? いや、よく分からん。

根拠なき選択」より:

何が規準的で、何が非規準的かが問題になります。これは難しいですね。線形代数の話ならば、関手や自然変換を使って規準性を(ある程度は)定義できますが、一般論になると(僕は)よく分かりません。

ともかくも、射影平面の点の表示となるR3の点はたくさんあり、過剰な表示を持ちます。「射影平面の点の表示」としての (x, y, z) は、連比 x:y:z と解釈するので、分数表示とちょっと似ています*5。比が同じなら、表すモノが同じなのです*6

部分対象の表示

集合Aの部分集合Bは、最初から確定した概念で「過剰な表示」とは無縁に思えます。しかし、{1, 2, 3, 4} の部分集合 {2, 3} は {3, 2} と書いても同じです。書き並べるときの並べ方の多様性が過剰な表示になっています。もとの集合に全順序〈線形順序〉があれば、書き並べる順序も一意に決まります。実体と表示は1:1になります。

集合圏ではない圏では、対象は集合とは限らないので、部分集合の概念は使えないかも知れません。部分集合が使えない場合でも部分対象〈subobject〉は定義できます。圏Cの2つの対象 A, B∈|C| のあいだにモノ射 i:B→A があるとき、このモノ射をAの部分対象だとするのです。ただし、j:C→A がもうひとつのAの部分対象であり、同型射〈可逆射〉 f:B→C があるとき、Aの部分対象 i とAの部分対象 j は“同じ”だとみなします。

Cの外から見れば、Aを余域とするモノ射の集合*7に同値関係を入れているのです。なので、Aの部分対象は同値類となります。モノ射 i:B→A は、同値類としての部分対象の代表元、あるいは表示です。

部分対象の表示であるモノ射はたくさんあるかも知れません。つまり、表示の一意性は期待できず、過剰な表示になります。過剰な表示からひとつの表示を選ぶとき、たいていの場合、必然的な選択〈規準的な選択 | 根拠がある選択〉はなさそうです。

過剰な表示と必然性なき選択の致し方なさ

幾つかの例で見たように、概念が過剰な表示を通してしかアクセスできないことがあります。過剰な表示は邪魔くさい感じがします。どれかひとつの表示に固定したい。しかし、その固定のための代表元の選択も恣意的にならざるを得ないのです。さらには、恣意的な選択を切り替えたり、過剰な表示全体を扱う必要性も生じます。

過剰な表示と必然性なき選択は、どうも避けようがない、使わざるを得ない、致し方ないモノのようです。でも、過剰な表示から必然性なき選択を繰り返す行為は、精神衛生上良くないのかも知れません。同値関係、同値類、代表元、商集合などの道具立ては、けっこう多くの人が難儀するようですが、固定できない状況を受け入れ難いっていう心理的な要因もあるんじゃないのかな。根拠ある確定的な表示が欲しい人が多いのでしょう、たぶん。

例えば、多様体コホモロジークラスは、定義からして同値類です。表示であるコサイクルを通してしかアクセスできない概念です。コサイクルの選び方は恣意的なので、コホモロジークラスは、モヤッとした実体感のないものです。しかし、多様体にリーマン構造を付け足してやる*8と、コホモロジークラスと調和形式が1:1で対応します。根拠ある確定的な表示が得られます。調和形式は物理的な意味もあるので実体感を伴います*9

過剰な表示と必然性なき選択が生じること/使わざるを得ないことは致し方ないのだけど、根拠ある確定的な表示が得られるならばそのほうが気持ちいい -- と、そんな感じ。

*1:公約数は正の整数だけを考えるとします。分子が0なら分母は1になります。

*2:記事: https://topologia.wordpress.com/2008/12/25/5-el-plano-proyectivo-y-la-cinta-de-mobius/ 画像: https://topologia.files.wordpress.com/2008/12/plano-proyectivo.gif?w=480

*3:記事: https://www.mat.uniroma2.it/~flamini/classification.html 画像: https://www.mat.uniroma2.it/~flamini/crosscap1.gif

*4:記事: http://www.shawcomputing.net/racerx/trek_stuff/gravity/ 画像: http://www.shawcomputing.net/racerx/trek_stuff/gravity/crosscap.png

*5:射影直線(1次元射影空間)の表示なら、もっと分数と似ています。

*6:表すモノが同じときに「比が同じ」とも言えます。

*7:大きい集合かも知れません。

*8:[追記]リーマン構造(接バンドルの計量)の与え方がまた必然性なき選択になります。ひとつの多様体に色々なリーマン構造が入りますが、特権的な/標準的なリーマン構造はありません。[/追記]

*9:僕のように、物理を知らない人だと、たいして実体感はないですが…