同情と鼓舞はしても、具体策は何もなし -- という批判はもっともだと思います。が、この文章に出現する「明けない夜はない」に食い付いている人がいたりします。なんでそこに食い付く?
曰く; シェイクスピアの原文 "the night is long that never finds the day" の意味は「夜明けの来ない夜は長い」であり、誤訳・珍訳だ。文化庁長官ともあろう方がそんなことも知らんのか、と。こういう文句の付け方はホンットに嫌い。
「古き良き日本語を守ろう」も「外来語は原義に忠実に使おう」も、反対はしません、そういう態度が教養の一部を形成するのかも知れません。だけど、既に一般化し定着した“言葉の意味・運用法”にイチャモンを付けることには、腹が立つ。なぜ腹が立つのかは自分でも分からない。
僕も、「意味が分からなくて困る」という理由で、日本語が激しく変化していくのは歓迎はしていません。できれば変わってほしくない。と言ってみても、日本語が変化するのを止めることは出来ないし、外国語由来の言葉が、日本で独自の意味・運用法を持ってしまうのも避けられないでしょう。
極度に汎用化された「やばい」や、もって回った「わかりみが深い」とか、最初は意味不明であったり、自分はうまく使えないので困惑しました。が、皆んなが使えば、もはや通用する日本語なのだから、自分の日本語のボキャブラリーにも組み入れざるを得ません(積極的に使う気はしないけど)。
「DMM英会話 英語でなんてuKnow?」に、Sayaka Nakaiさんという方がまっとうな説明を書いてくださっています。'['と']'のなかは檜山の注釈です。
[原文は]シェイクスピアの悲劇マクベスの中の台詞で、そのまま訳せば
明けぬ夜は長い夜だ
となります。まるで夜明けが来ない長い夜のようなひどい時代だと私たちは思っているが、(マクベスを倒せば)夜明けは来る というニュアンスなので「明けぬ夜はない」と訳されたようです。[日本語での意味・運用法を、逆に英語にすれば]
Through every dark night, there's a bright day.
暗い夜を抜ければいつも明るい朝が来る。
これが一番希望や励ましのニュアンスを持っているかもしれません。
起源である英語とその意味がどうであれ、日本語を使う人々が「明けない夜はない」を"Through every dark night, there's a bright day."〈今は辛いけれども、いつか状況は好転する〉の意味で使うことが、いったい何が悪いっつうの?
ちなみにに、僕は新型コロナ禍には悲観的(より正確には反楽観的)想定をしていて、「この夜はなかなか明けないだろう」と思っています。