技量(スキル、何事かをなしとげる能力)は、“理論”を通しては伝えられないこともあります。もちろん、技量の背後に理論が皆無ってわけではないでしょうが、技量の要素を網羅し、それらを体系的に整理できるかというと、そうとも限りませんよね。仮にロジカルな理論があっても、それが教育/トレーニングにおいて効果的かどうか分かりませんし。
それで、しばしば方便が使われます。例えば、子供に逆上がりを教えるとき「オシリの穴をすぼめる感じ」とか、走るフォームについては「親指で鼻を触るつもりで手を振る」とか。でも、逆上がりとオシリの穴に本質的因果関係があるかというと疑問です。ほんとに親指で鼻を触りながら走ったらバカみたいだし。
それでも、「××な感じ」とか「△△のつもりで」とかは、技量を伝えるうえである程度の効果を発揮します。伝達/教示の方法論として許されるものでしょう。つうか、たいていは方便が入り込んでしまいます。しかしやはり、方便には危険性があります。
- 困難その1: 方便を文字通りの真実と受け取られてしまう。
- 困難その2: 方便に含まれる嘘に過剰に反応されてしまう。
例えば、(僕はボクシング全然知らんが*1)フックの打ち方を「肘を入れるつもり」と教えて、ほんとに肘打ちやったら反則負け。セコンドで言ったら亀田事件みたいになっちゃいます。一方、「どんなパンチも拳を入れるんですよ。肘は入れません、コーチ」と反論されてもコーチ困惑するよね。
「××な感じ」、「△△のつもりで」の部分がうまく伝わってないせいでしょうが、「そんなに本気にとられても困るよ」とか「これは客観的事実つうより心構えのようなもんだから」とか、つい愚痴っぽく言いたくなりますね。トホホ。
*1:知らないのに例え話に使うのは方便。