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参照用 記事

それは誠意か? 無駄か?

今朝スターバックスでコーヒーを飲んでいたら、カウンター席の隣に座っていた青年が、万年筆でなんかを一所懸命に書いていた。お手本を見ながら十枚以上も同じ文面を書いている。どうも、営業の訪問先への謝礼らしい。葉書ではなくてカード状の便箋(資料とかも一緒に入れるのかな?)。長文ではないが、手書きだと決して楽ではない分量だ。

自発的なのか、上司に言われたのか、マニュアル化されているのか; ともかく、万年筆・手書きで礼状を書くことに意味があると思って頑張っているのだろう。

もし、僕がブルーブラックのインクでシタタメられた礼状を受け取ったら、「バカか、こいつ」となげいて千切ってゴミ箱に捨てる。「なんてひどいことをするんだ」と思われるかもしれないですね。

「わざわざ万年筆・手書き封書の礼状を出すこと」が、営業上の手法/戦略として有効である、という主張には特に反対はしない。理屈はわかるし、実際、効果があるのかもしれない。

でも、そんな無駄でバカなことを誠意や熱意だと解釈するようなメンタリティが僕は耐えられない。もちろん、「営業上の手法/戦略として有効である」を論拠とすれば、決して無駄でもなく、効果・効率を追求した合理的行為と言えるのだろうが …、なんつーかね、理屈と効果を頭で理解できても「ムカついて気持ち悪い」んですよ。生理的嫌悪感に近い*1。だから、さっさと千切って捨ててしまい、二度と見たくない。

*1:強いて説明的に言えば、無駄と思えることが合理的行為として成立している現実が腹立たしい、って感情かな。