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分類と予測、恐怖と執着

ここであんまりプライベートなことを書く気はないのですけど、「分類と情報整理という難問について、また考えてみた」とか「ブックマークと分類タグと強迫症」とか書いた行きがかりで、僕の個人的な、恐怖と執着の感覚について記してみます。まー、テーマは「分類と予測」だから、(視点は極私的だが)普遍的な話題といえなくもない。

僕は、世界のほんの小さな一部分でもうまく分類できないし、少し先の未来でさえうまく予測できない、と強く確信しています。だから、なにをするにも、分類不可能、予測不可能が前提に入ってきてしまう。

だけど、この(ネガティブともいえる)確信がどこから来るかと言えば、それは、世界のほんの小さな一部分でもいいから分類したい、少し先の未来くらいは予測したい、という欲望からなんでしょう。

そういう欲望があっても、実際にはサッパリうまくいかない。その手ひどい挫折感から、分類と予測にある種の恐怖感をいだいて、一方ではそれへの執着から抜けることもできない、と。

「無秩序につけたタグから秩序が生まれ、それが発見になることもあるから、適当でいいのでは?」by id:RanTairyu、「ここまで考えていくと本当にハマる。考えないようにした結果、私はタグがごっちゃになった。」by id:hiromark というご意見は、まったく健全で妥当なものです。でもね、そこのバランスがとれなくなっちゃってるのが、こりゃ強迫症だと認識する所以<ゆえん>。

にもかかわらず! タグ3つまででなんとかならんか?とかジタバタしていたりもするのです。タグ3つを超えてしまったら、[foo][bar][foo+bar]にするとか、コメントとして foo, barと入れておくとか…(ダサ過ぎ?)。