yoriyukiさんからトラックバックを再びいただきました。細部はともかく、おおすじにおいて誤解は解けたようです。これで、内容的に意義のある議論、検討もできそうで、少しウキウキした気分になっています*1。ただし、このテの話題を本編に書く気はないので、書くとしてもメモ編のほうにします(書きました、コレ)。これから書くのは、内容的議論ではありません。
まず、停止問題の部分は分かりやすい解説であると思います。
ありがとうございます。僕の目標と希望は、停止問題の部分と同様な分かりやすさ(予備知識を要求しない、直観に訴える)の説明を、ゲーデルの不完全性定理(「の一変種」と言うべきでしょうか:-))に対して行うことです。
そのとおりですね。もう少し注意します。僕は、ゲーデルという人物や伝記的な事柄にはあまり興味がないので、そこの記述はかなりイイカゲンでした。僕の記述では、「ゲーデル」という固有名詞が、ある種、象徴的な意味合いで使われていて、“ゲーデル型不完全性定理群の抽象的(あるいは架空の)当事者”みたいになっています。正直いって僕は、ゲーデル本人とタルスキーやロッサーのやったことの境界線があまりわかってません(調べてみます、できるだけ)。
よって、決定不可能性から不完全性が帰結するわけですが、その論証が一文で済まされているので、正直分かりませんでした。
あー、スミマセン。ここは、誰かに何かを分からせようとして書いてないのですよ。そもそも、「ゲーデルの不完全性定理への(ほんの少し)展望」という見出しが問題で、実際は、ゲーデル型の不完全性定理・檜山風(シリーズが目標とする定理)への展望なのです。展望というのは、恐ろしく手短に今後の展開のシナリオを伝えるということです。よって、ここの内容は「ゲーデルが云々した」ではなく、僕(檜山)が何を書こうとしているかの予告だったのですね、実態は。
ちょっと言い訳しますが、この展望の部分をマジメに分析的に読む人間がいようとは、僕はまったく予想してませんでした。ていうか、マジメに分析的に読むのは不可能でしょうよ、これ。もし、マジメに分析的に読むご希望があれば(どなたでも)、普通の記号論理の記法でメモ編にでも書くので、いってくださいませ。
それはそうと、今回僕は、自分の反省も含めて、なかなかに興味深い(ゲーデルや論理とは別な)論点があるなーと感じました。それはまた、(この本編の)別エントリーで語ろうかと思います。
*1:くどくて長いエントリーを書いたことが報われた気分。