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参照用 記事

タチの悪いエリートとは

なんらかの面で平均よりはるかに高い能力を持った人を「エリート」と呼ぶことにします。エリートは、おおむね世の中の役に立つ人ですが、本人がその優秀さ/特別さを意識してないときは弊害をもたらすこともあります。

「俺って優秀なんだぜ、お前らとは違うんだぜ」と鼻にかけたような態度。そんな人は嫌な奴かもしれないですが、無害なエリートです(実際に優秀だとして)。優秀なだけでなくて人格的にもいい人、「僕は特別じゃないですよ。中の上くらいかな。ちょっと運が良かったところもあるし」と本音で言うような人、これは危ないです。タチの悪いエリートかもしれません。

渡邉美樹氏の謙虚さが生むブラック性」には、渡邉美樹氏のタチの悪い面=ブラック性が記述されています。渡邉氏は、多少の運もあったでしょうが、もともと高い能力を持ち大変な努力で成功をつかんだ人ですが、誠実で謙虚な人でもあるためにタチが悪い、と。

彼は過酷な労働の結果、夢をかなえた。成功をつかんだ。そしてこの過程で人間性も高まった。こう思っている。



渡邉美樹氏は自分のことを特別な人間だと思ってはいない。そういう謙虚さがあるので、自分ができたことは、他の人にもできると思っている。

渡邉美樹氏は「できる」と思っている。真似できる。やればできる。がんばれ! と。謙虚なだけに本気でそう思っている。

2007年の夏に、僕は「みんながとても頑健なわけじゃない」という記事を書きました。

僕が非常に腹立たしく感じる事態は、「死ぬ気でやってみろよ、死なないから」ってタイプの発言が、「とても頑健な人」の口から出ること; あんまり頑健でない人までも、そんな言葉にあこがれてしまうこと。

これも似たような話で、自分の高い能力に自覚的でない人が、他人にも「やれば出来る」とけしかけてしまう状況でしょう。

渡邉美樹氏は超有名人で、それゆえに批判もできますが、身近な人で優秀で謙虚でいい人だったらナカナカに困りますよね。優秀で謙虚でいい人がポジティブな発言してることに、横槍入れるなんて難しいもの。

エリートは何もビジネスに限らず、スポーツでもエリートはいますよね。フィジカル・エリートであるコーチは、常人の限界を超えるトレーニングを「普通に」課したりしかねない、怖いですね。

昨今の体罰・暴力問題にも同様な構造があるような気がします。上記の「渡邉美樹氏の謙虚さが生むブラック性」には、次の記述もあります。

彼の成功体験が根拠になっている。[...snip] 彼は労働を通して人間性が高まったと思っている。自分の過去が正しいと思っている。だから他の人にもそれは共通するものだと思っているし、他ならぬ自らの会社の従業員たちにも、そうして欲しいと思っている。

体罰をイヤな体験として捉えていたスポーツ選手がコーチになれば、体罰を繰り返すことはないでしょう。しかし、「自分は体罰で鍛えられた、あれで良かった」という、ある種の成功体験を持っているなら、同じ方法を採用する可能性が高いでしょう。

「僕がうまくいったんだから、君だって」論法を安易に適用するのは危ないよ。