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苦しみを濾過した美しき武勇伝を語るな!

ムカ…ムカ…  ムカつく感情がおさまらない。単なる私憤を吐き出します。「いいかげんにしろ! 檜山でも怒る」の続き。僕がこのテの件に過敏・過剰であることは承知の上です。

最初の投稿における「残業100時間超で自殺は情けない」はもちろん論外もいいところだが、謝罪の文面がさらに僕を憤〈いきどお〉らせる。

  1. 言葉の選び方が乱暴で済みませんでした。
  2. とてもつらい長時間労働を乗り切らないと、会社が危なくなる過去の経験のみで判断し、今の時代にその働き方が今の時代に適合かの考慮が欠けていました。

1番目の「言葉の問題」へのすり替えは、別な長谷川さんも使っていた論法だが、そんな所が問題じゃない。誰も国語力の欠如を責めたりはしてない。どんなに慎重に言葉を選んだところで、考え方が狂っているんだから、ダメに決まってんだろう。言葉選び/表現に慎重になるのなら、2番目の「今の時代」の繰り返しは何だ? 確かに国語力がないのは確認できるが、そもそも国語力はどうでもいい事なので、まったく謝罪になってない。

2番目、これが酷い。「過去の経験のみで判断し」-- これだよ、コレ。これが僕が忌み嫌い憎んでいる発想。過去の経験が、現在の判断基準となっている; それは当たり前のことで、それ自体は何ら問題ではない。判断基準を形成している経験が「とてもつらい長時間労働」を乗り切った経験であること、その経験を判断基準に選んでいること、それがダメダメで、時代性云々じゃない。

「とてもつらい」と書いているのだから、実際に過酷だったのだろう。だけど、その苦労が報われてしまうと、その辛さが「いい経験だった」に転換してしまうんだよね。挙句に「思えばあれも楽しかった」とか。

それで、「楽しかった」があながち嘘でもない所がまた厄介。経験がある人もいると思うが、切羽詰まった強行軍、度を超えたハードワークには高揚感がある。あえて高いストスレを求める人や組織を「アドレナリン・ジャンキー」と呼んだりするくらいで、過酷な環境に耐性があり、かつ快楽を感じる人が一定数いるのも事実。

アドレナリン・ジャンキー、ストレス・エリートがその才能により、過酷な状況を乗り切ったとき、快楽と成功が結びつくのだから、その体験に強くポジティブな価値を与えるのは、まー必然で、ジャンキーのグッドトリップが判断基準に組み込まれてしまう。だけどその判断基準は間違っている。合理性/科学性がないジャンキー理論だ。

苦しみを濾過しないで正確に思い起こして欲しい。「とてもつらい」ことは「とてもつらい」のだ。ジャンキーでさえ消耗し疲弊する。ジャンキーならぬ回りの人々はさらに深く傷を負い、回復不能に損壊する。そんな惨状のドコが自慢げに語るに値する?

長谷川教授は不謹慎過ぎた。死者に鞭打つ言動で糾弾された。しかし、おそらく彼は、生者に鞭打っている。無自覚的だろうが、自分と同じ「とてもつらい」思いを周囲にも強いているはずだ。そうでなければ、あんな言葉は出ない。そのジャンキーな思考法を変えられないなら、若者達と接触すべきではない。