今週の初めに、僕は「親切な小人さん、好意的空間、NDOメソッド」というエントリを書きました。ネットで不愉快な思いをしたり、ダメージを受けることはあるけれど、そればかりじゃないよ、と実に凡庸な話です。
そのエントリーで、「性善説」「好意」という言葉を使ってしまったのだけど、ネット上の行動の動機として不純物が入っても何らかまいません。「知ったかぶりをしたい」「俺にも言わせろ」とか。
そのような“行動≒コミュニケーション”がある程度健全に行われれば、みんなが「とくした」気分になれるのではないか、という楽観論です。実際に楽観視しているわけではなくて、希望に過ぎないのですが。
「とくする」という言い方をしているのは、モラルや礼儀ではなくて、(経済・ビジネスとは限らない広義の)「実利性」を尺度にしているからです。僕の漠然とした描像だけど、知識/情報/意見が交換されるさまが、ある種の仮想ポイントをやり取りしているように思えるのです。
1つ前のエントリーは、僕自身の事例で、50ポイントくらいを空間に放出したら100ポイントくらいは戻ってきた感じがするわけ。インカム/アウトゴーの比率が大きければ「とくした」と感じますよね、いつでもそうとは限らないけど。
乾いた実利性の尺度で収支を考えてみるのも、ひとつの精神衛生上の対処になり得るとも思います。ただし、「俺は損している」と落ち込む事態になったらゴメンナサイ(別な尺度を探してください)。