このブログの更新は Twitterアカウント @m_hiyama で通知されます。
Follow @m_hiyama

メールでのご連絡は hiyama{at}chimaira{dot}org まで。

はじめてのメールはスパムと判定されることがあります。最初は、信頼されているドメインから差し障りのない文面を送っていただけると、スパムと判定されにくいと思います。

参照用 記事

イデアルと論理 (2):割り込みで、よしなしごと

『ダイハード』のクイズの続き、の予定だったけど、予定を変更して、なんか雑感のたぐいをダラダラ書いてみます。

なんで、「イデアルと論理」とか書き出したか、いまだによくわかりませんね。「イデアルと論理 (0)」に書いたように、“気晴らし”という感じだったのだけど、特に「イデアル」をネタにする必然性はないもの。

だから:

どういう展開になるかサッパリわからないので、予定の目次さえ今は書けない。

わけです。でも、“『ダイハード』のクイズ=水を升で量る問題”を導入にしたのは悪くない出だしだとは思います。

さて、それから先の展開は? と、これが問題。気分に従って書いてけばいいのですが(気晴らしだから)、若干の展望を与えておきましょう -- いやっ、展望にはならないね、たぶん。個人的な思い出ばなしに近いかな。予備知識(用語と概念)ナシってわけにはいかないけど、単なるオシャベリだから、雰囲気が伝われば十分。この次は、また“『ダイハード』のクイズ”に戻るからさ。

●面白くっても大丈夫(なのか?、なにが??)

標数2の体Z2 = Z/2Zの上で幾何学を考えたら、それは古典論理になってしまう、ってことは、ある人々には自明のことでしょう。僕にとっては自明ってわけではなかったのだけど、「たぶん、そうだろうな」程度の感触はありました、二、三十年前のことだけど。

そのことを論理の専門家(少なくとも論理で学位は持っている)に話したら不審な顔をしていたし、代数幾何の専門家(少なくとも代数幾何で学位は持っている)に話したらまったく興味がない様子でした。確かに、「こことあそこを架橋してみて、何がうれいしか?」と問われると、答えに窮<きゅう>してしまうのだけど、「僕には面白い」とは言えます。まーこれも「いや、面白くない」と言われれば、それっきりね。

そういうわけで、以下の話は、「僕は面白いと感じた」以上の意味はないですから、よろしく。

●あてにならない歴史的な話

僕は歴史的なことにまったく無知だけど、イデアルの発祥は整数論でしょう、たぶん。整数(代数的整数)と代数関数(「函数」と書いた方が感じがでるかな?)の類似性は、19世紀には認識されていたのでしょう、たぶん。で、代数関数は形式的な側面が強いけど、実際の関数とも思えるから、“ナントカ関数の全体”(可換環になる)に、整数論的な概念や手法が適用できると考えるのも自然でしょう、たぶん。

「たぶん」ばっかりだ。で、確か(今度は「確か」かい)、複素(完備可換)ノルム環(抽象的)をコンパクト・ハウスドルフ空間上の連続関数環(具体的)で表現したのはゲルファンド(Gelfand)だったかと。このとき、極大イデアルを点とする空間が使われてましたね。

[追記 dateTime="10月27日午前"]: 完備ノルム環をバナッハ環というので、ここで言っているノルム環は可換バナッハ環と呼ぶのが正確。[/追記]

圏論の言葉でいえば、複素ノルム環の圏とコンパクト・ハウスドルフ空間の圏が、反変に圏同値ってことです。もっとミもフタもなく抽象化すれば、複素ノルム環の圏は、コンパクト・ハウスドルフ空間の圏の反対圏(opposite category)とみなせる、ってことです。もちろん、圏同値を与える関手や自然変換をものすごく具体的に与えたのがゲルファンドのえらいところ。

このゲルファンドのやり方をみると、ブール代数からストーン空間を作るのと似てる、いや、まったく同じです。違うところは、基礎体がC複素数体)かZ2(2元体)かってところだけ。

●根底にあり続けた発想(指導原理)

圏の反対圏を形式的に与えるのは、何の手間もいらないけど、具体的に構成するのはけっこう大変だったりします。そして、具体的な構成は大事なことだと思います。だって、形式的な反対圏って、まるで空をつかむような話ですから、実体がなくて気持ち悪すぎ

例えば、集合圏の反対圏は、atomicな完備束の圏で具体的に与えることが出来ます。ゲルファンドもストーン(Stone)も、可換環のとある圏の反対圏を、位相空間のとある圏として具体的に与えたわけです。

これらの“具体的な構成法”を“おもいっきり抽象化した”のがグロタンディーク(Grothendieck)ですね。アフィン・スキームの圏は、可換環の圏の反対圏ですから。ここで、極大イデアルの代わりに素イデアルを使ったのが、グロタンディークの慧眼<けいがん>なんでしょうが、ここらへんになると僕はジェンジェンわかりませんから、素イデアル(Spec)の話はもうしない。

ともかくも、「イデアルが図形の部分/構成素(最小の構成素は点)と、反変的(あるいは双対的)に対応する」という発想は、ずっとずっと根底にあり続けたのは確かでしょう(これは、「確かです」と言ってもいいな)。

●で、論理はどうなの

ストーン空間/ストーン表現を使えば、ブール代数と空間の対応を具体的にキッチリ与えられます。「代数と空間の対応」としては、話がこれで完結してしまうのだけど、論理では、代数や空間だけでなく構文が問題になりますね。というより、むしろ構文から話がはじまる感じ。

となると、与えられた構文(項、論理式、演繹系とか)からモデル領域なり代数なりをひねり出す必要があります。このへんをやったのは、リンデンバウム(Lindenbaum)、タルスキー(Tarski)、エルブラン(Herbrand)あたりでしょう、たぶん -- また「たぶん」なのは、人物や年代をよく知らないからだけど、そのやり方は、極大イデアル(同じことだがウルトラ・フィルター)を作り出す手続きを与えているものです。極大無矛盾理論(maximal consistent theory)なんてのは、ずばり極大イデアルですがね。

人によっては、構文の議論に代数(的対象)や空間(的対象)を持ち出すのを嫌うけど、僕は、構文だけの形式的な変形は面倒で退屈でついていけない。背後に代数や空間があるんだ、と思った方が精神衛生上よいと感じるわけ(精神衛生だから、これは個人的特性の問題ではあるけど)。

例えば、論理の「コンパクト性定理」は実際にある空間のコンパクト性を主張している、とか、モデルに超準元を追加することはある空間に理想境界を付けること、とか解釈した方が楽しい気分になれるのです(つまり、精神衛生です)。

●結局

雑感と思い出話はもうこれでいいや、満足(自己満足ってこと)。そして、「イデアルと論理」シリーズは、“『ダイハード』のクイズ”の延長として、ストーン表現の説明ができれば満足。論理の構文的なことが、ブール代数(あるいはリンデンバウム代数)やストーン空間とどう対応するか、まで話せればさらに満足。

これが、いちおうの予定と目標です。