このブログの更新は Twitterアカウント @m_hiyama で通知されます。
Follow @m_hiyama

メールでのご連絡は hiyama{at}chimaira{dot}org まで。

はじめてのメールはスパムと判定されることがあります。最初は、信頼されているドメインから差し障りのない文面を送っていただけると、スパムと判定されにくいと思います。

参照用 記事

古典論理は可換環論なんだよ

酒井さんのコメントに対して、

{true, false}と{0, 1}の対応でも、ほとんどの場合trueを1にしますが、trueを0にしたほうが計算がスムーズな状況もあります。

なんて応えたわけですが、これでフト思い出したことがあります。

以前、「イデアルと論理」つうネタでいくつかのエントリーを書いたことがあるのですが(「はてなブックマーク - ideal+logicに関するm-hiyama-taxonのブックマーク」参照)、中途半端にうっちゃってあるなー、ダハハハ。

未完(永久にか? ^^;)の「イデアルと論理」シリーズの最初のほうでは、普通の(つまり、可換環の)イデアルを紹介してますが、最終的には論理の(つまり、ブール代数の)イデアルに結びつけようと思っていたわけです。で、「どうやって結びつけるのか」という筋書きは今日説明しようかな、っと。(とはいえ、基本的に自分の備忘用ですけど。)

ある程度の予備知識を仮定します、アシカラズ。しかし、計算は初等的運算(rudimentary calculation)だけで済みます。可換環と圏について多少(?)ご存知の方には、割といい練習になるかと思います -- それが、メモ編でなくてこの本編に書いた理由です。いちばん最後で、「trueを0にしたほうが計算がスムーズな状況」の説明もします。

記法の約束として、圏Cの対象(objects; Obj(C))を|C|のように書くことにします。その他、圏論の普通の記法は使います。

※ 僕の計算や推論が間違っていたら教えてください。

内容:

関連記事:

乗法的ベキ等可換環とその圏

CRを単位付き可換環(Commutative Ring with unit)の圏とします。法則 xx = x (乗法のベキ等律;Multiplicative Idempotency)を満たす可換環乗法的ベキ等可換環と呼び、その圏をMICRとします。|MICR|⊆|CR|、つまり「乗法的ベキ等可換環可換環である」は自明です。R, S∈|MICR|に対して、MICRのホムセットHomMICR(R, S) = MICR(R, S)は、CR(R, S)と同じとしてかまいません; これは、f:R→Sという単なる可換環の射(乗法的ベキ等性は特に気にしない)をMICR内でも射にすることです。というわけで、MICRはCRの充満部分圏です。

ベキ等性から (1 + x) = (1 + x)(1 + x) なので、右辺を展開して(再度 xx = xも使って) x + x = 0 を得ます。これより、「1 + 1 = 2 = 0」「-1 = 1」とかも成立します(ちょっとエキゾチックよ!)。

MICRのなかで整域*1がどんなものか調べておきます。まず、x(1 - x) = 0 はMICR(の対象=乗法的ベキ等可換環)のなかでは常に成立することに注意しましょう。Rが整域だとして、x∈R、x≠0 と仮定します。恒等式 x(1 - x) = 0 と仮定 x≠0 と、それからRが整域であること(零因子がないこと)から、1 - x = 0、つまり x = 1。結局、Rが整域なら、x≠0 ⇒ x = 1 なので、Rの元xとは、x = 0 または x = 1。整域Rは{0, 1}になります。

MICRのなかの整域が{0, 1}に限ることが分かりました。{0, 1}が可換体であることは直接的に明らかであり、体は整域であることから、MICRのなかの体も{0, 1}だけです。乗法的ベキ等可換環としての{0, 1}をBと記すことにすると、任意のR∈|MICR|に対して f:B→R は、f(0B) = 0R, f(1B) = 1Rで一意的に決まってしまうので、BはMICRの始対象です。0 = 1 である“つぶれた環”を除外すれば、B→R は埋め込みになり、(つぶれた環を除いた)すべての乗法的ベキ等可換環RはBを部分環として含みます。ちなみに、”つぶれた環”はMICRの終対象です。

可換環の教科書的一般論から、可換環RのイデアルIがRの極大イデアルならR/Iは体になり、Iが素イデアルならR/Iは整域になります。ところが、MICR内では体も整域もBしかないので、MICRでは「極大イデアル=素イデアル」が成立します。したがって、極大スペクトルと素スペクトルは区別する必要がないので、単にスペクトル(Spec(R))と呼びましょう。

ブール代数とその圏

ブール代数を補(コンプリメント)を持つ束として定式化して、演算記号として∨、∧、¬を使い、最大元、最小元はT, ⊥で表します。順序と演算の関係は、x ≦ y ⇔ x∨y = y ⇔ x∧y = x 。⊥∨x = x、T∧x = x から、⊥≦x、x≦T ですね。ブール代数(ブール束)の完全な定義(公理の等式群)はけっこうな量ですが、以下に列挙します。

∨に関して可換ベキ等モノイド:

  1. (x ∨ y)∨ z = x ∨(y ∨ z)
  2. x∨⊥ = ⊥∨x = x
  3. x ∨ y = y ∨ x
  4. x ∨ x = x

∧に関して可換ベキ等モノイド:

  1. (x ∧ y)∧ z = x ∧(y ∧ z)
  2. x∧T = T∧x = x
  3. x ∧ y = y ∧ x
  4. x ∧ x = x

∧と∨の関係:

  1. (x ∨ y)∧ z = (x ∧ z)∨(y ∧ z) (分配律1)
  2. (x ∧ y)∨ z = (x ∨ z)∧(y ∨ z) (分配律2)
  3. (x ∨ y)∧ x = x (吸収律1)
  4. (x ∧ y)∨ x = x (吸収律2)

¬の特性:

  1. x ∧ ¬x = ⊥
  2. x ∨ ¬x = T

補を持つ束として定義したブール代数の圏をBLとします、'BL'の'L'はlatticeから。BLの射は、演算∨、∧、¬を保存する写像として定義します(少し冗長だけど、形が整っているからこの定義がいいと思う)。f:A→BがBLの射のとき、f(⊥A) = ⊥B、f(TA) = TBとかは¬があるので導出できます。

Aがブール代数のとき、F⊆Aがフィルターであるとは、

  1. T∈F
  2. a∈F, a≦x ならば x∈F、つまりFは上方閉(upper closed)である。
  3. a, b∈F ならば a∧b∈F、つまりミート∧に関して閉じている。

ちなみに、フィルターの双対概念として束のイデアルがあります。束では、双対原理が働くので、フィルターとイデアルは事実上同じようなもんです。

ブール代数AのフィルターFがF≠Aであって、ギリギリまで膨らんでいるとき、つまり、何かを足すとAになってしまうとき極大フィルターと呼びます。

乗法的ベキ等可換環からブール代数を作る

可換環の圏の充満部分圏として定義したMICRと、束論的に定義したBLですが、この2つの圏は同型(当然に圏同値)になります。同型を与える関手の定義はいくつかありますが、その1つを具体的に作ってみます。

ここでの注意点は、台集合(underlying set, carrier)が同じでも、演算が違えば異なる代数構造となることです。目的の関手は、同じ台集合に別な演算を定義することで構成されます。

先に、MICR→BL方向の関手から定義します。R∈|MICR|(つまり、Rは乗法的ベキ等可換環)に対して、同じ台集合上に、演算∨、∧、¬と定数⊥、Tを次のように定義します。

  • x∨y := xy
  • ⊥ := 1
  • x∧y := x + y + xy
  • T := 0
  • ¬x := 1 + x

こうして定義した∨、∧、¬、⊥、Tが、先に列挙したブール代数の等式群を満たすことを示すには、愚直にrudimentary calculationを実行してください(実際の計算)。

Rと同じ台集合(仮に[R]と書く)上に定義したブール代数([R], ∨、∧、¬、⊥、T)をΩ(R)と書くことにすると、愚直な計算結果からΩ(R)∈|BL|がわかります。MICRの射、つまり環の準同型f:R→Sが、ブール代数の射Ω(f):Ω(R)→Ω(S)をうまい具合に導くのも容易に示せます(やってみてください)。よって、Ω:MICR→BLは関手です。

MICRとBLは同型

逆方向の関手Ψ:BL→MICRは次の定義をもとに組み立てます。(MICRでは、x + x = 0 から x = -x なので、単項演算としての-を定義する必要はありません。)

  • xy = x・y := x∨y
  • 1 := ⊥
  • x + y := (x∧y)∨(¬x∧¬y) = (x∨¬y)∧(¬x∨y)
  • 0 := T

A∈|BL|に対して、Ψ(A)は([A], +, ・, 0, 1)で定義される代数系とします。これまたひたすら単純計算をすれば、Ψ(A)が乗法的ベキ等可換環となること、f:A→BがMICRの射Ψ(f):Ψ(A)→Ψ(B)をうまく導くことを確認できます(実際の計算)。よって、Ψ:BL→MICRは関手となります。

ここで再び注意しておくと、関手ΩもΨも台集合に関しては恒等写像です。別な言い方をすると、圏Setへの忘却関手をU:MICR→Set、U':BL→Setとすると、Ω;U' = U、Ψ;U = U' となります。

そういう事情で、Ω;Ψ = IdMICR, Ψ;Ω = IdBLを示すとは、同じ台集合上で作業して、「可換環から束を定義して、その束から可換環を定義したら元に戻った」と「束から可換環を定義して、その可換環から束を定義したら元に戻った」の両者を示すことになります。これも、紙と鉛筆と手で単純計算あるのみ(実際の計算)。

というわけで、具体的に構成された関手の組Ω、ΨによりMICRとBLは同型な圏になります。

ストーンの表現定理とか

MICRとBLが同型(圏同値で十分だが)であることがわかると何がうれしいかというと、可換環論の結果と束論の結果を互いに翻訳できることです。なかでも、イデアルとフィルターの対応が面白い。

関手ΩとΨの作り方から、MICRのイデアル概念とBLのフィルター概念が対応します。もっとハッキリいうと、同じ台集合上で考えて、可換環イデアル達と束のフィルター達は同じ部分集合族になります。よって、可換環の極大イデアル(MICRでは素イデアルでもある)を集めたSpec(R)は、BLで考えれば極大フィルターを集めたものです。

ブール代数(束)の極大フィルター達に適当な位相を入れた空間がストーンの表現空間です。この位相の入れ方をMICR上に移して追いかけてみると、なんのことはない、スペクトルへの標準位相(抽象的ザリスキー位相)ですね。これは驚くことではなくて(僕は驚いたのだけど)、スペクトルの作り方はストーン(Stone)やゲルファンド(Gelfand)の表現定理をお手本にしたのでしょう、たぶん。

ブール代数Aのストーン表現空間をStone(A)と書くことにすると、Stone:BL→Topという関手(Topは位相空間の圏)になります、つうか、そうできます。Specも同様にMICR→Topの関手を与えますが、先のΩとΨを使えば、Ω;Stone = Spec、Ψ;Spec = Stone です(可換図式書いてミソ)。関手Stoneの(したがって関手Specの)像となっている空間はうまく識別できてブール空間と呼ばれています。ブール代数は(したがって乗法的ベキ等可換環は)、ブール空間上で{T, ⊥}({0, 1})の値をとる連続関数が作る関数環として(up to isoで)再現できます。

ブール空間の圏(Topの部分圏)をBSとすると、結局、MICR, BL, BSの3つの圏は事実上同じものなのです(正確に言えば、圏同値)。面白いのは、MICR, BL, BSを含むより大きな圏が、CR(可換環の圏)、Latt(束の圏)、Top(位相空間の圏)という性格を異にする圏なのに、完全に重なる部分圏を持つことです。なんか深遠な背景があるんでしょうか?

論理に戻ると

古典論理の形式的体系(証明系)からそのリンデンバウム代数を作るとブール代数になります。そして、形式的体系におけるセオリー(定理集合)は、対応するブール代数のフィルターに対応します。矛盾するセオリー(すべての命題を定理にしてしまった定理集合)は最大のフィルターとなり、論理的真しか認めないセオリー(トートロジーだけを定理とする定理集合)が最小のフィルターへと対応しますね。

古典論理の形式的体系(証明系)からリンデンバウム代数を作る構成を関手と考えて、Lind:CL→BLとしましょう(CLはClassical Logicから)。CLとLindはうまく定義できると仮定します(実際できます)。Lind;Stone という関手(リンデンバウム代数構成とストーン空間構成の結合)は、形式的体系にブール空間を対応させます。セオリーとフィルターの対応を経由して、セオリーとブール空間内の図形(部分空間、clopen set)が対応します。矛盾セオリーは空集合トートロジー・セオリーは全空間。そして、矛盾しない極大なセオリーが1点(からなる図形)に対応します。

とまー、こんな感じで論理(形式的体系)と位相(ストーン表現空間、あるいは可換環のスペクトル)の翻訳を進めることができます。すると、古典論理のコンパクト性定理は、実際に位相的コンパクト性を主張していることがわかるし、ヒルベルトの零点定理の論理における対応物は何か?とかの問題設定もできます。

Tを0に対応させたわけ

関手Ω:MICR→BL、Ψ:BL→MICRによる対応では、束の最大元(または論理のtrue)が可換環の零に対応するのですが、なぜそう定義したかというと; 方程式 f(x) = 0 で定義される図形を代数幾何(algebraic geometry)の記法でV(f)と書いたりするのですが、僕はこのV(f)を、「命題fを公理とする(つまり、fで生成される)セオリー」と解釈したかったのです。なんやかんやゴニョゴニョで結局、Tを0と解釈したほうが具合が良いことになります。

でも実は、Tを1に対応させることも出来て、そのほうが関手の構成は直観的で楽だったりします。

  • x∨y := x + y + xy
  • ⊥ := 0
  • x∧y = xy
  • T := 1
  • ¬x := 1 + x

ブッチャケ、別にどっちでもよかったんですよね。だけど f(x) = 0 と f(x) = 1 を比べたとき、右辺が0のほうが気分がいい、と、主にこの理由でこだわってしまったんです。やっぱり、向きや符号のハナシは趣味的だな。

蛇足

この話題/素材は僕のお気に入りなのだけど、なぜかと言えば:

  • 枠組みは抽象的だ(アブストラクト・ナンセンスっぽい)が、実質的/本質的な部分は、初等的な計算(calculation)ばっかり。
  • 位相的な議論を入れても、実質/本質はやっぱりプリミティブな集合と写像の推論ばっかり。
  • 難しいのは、「点の存在」(スペクトルが空でないこと)を示すのにツォルンの補題が要るのと、コンパクト性定理に(たぶん)チコノフの定理が要るところ -- どっちも洗濯行李、じゃなくて選択公理
  • それで、“抽象的で中身は乏しい枠組み”と“単純で退屈な手作業”と“超越的で神がかりな存在論”が適度に混じっている。

*1:整域(integral domain)といえば、コレ参照、いやっ、まー、どうでもいいけど。