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参照用 記事

A/C流の量子情報処理の理論とは、たぶんこんなもの

たけを(id:bonotake)さんも酒井さん量子テレポーテーションに拘っているようです。僕もクック(Bob Coecke)の論文を拾い読みしてます。これらの事例から、次の法則が導かれます(またかよ)。

量子はハマる。

id:hiroki_fさんは、ゲージ場の話をはじめたようですが、そのhiroki_fさんのアドバイス「量子測定がキモ」に従って、クックとパヴロヴィックの測定(measurement)関係論文を少しを調べてみたのです。それで、なんとなくですが、A/C(Abramsky and Coecke)流の背景や意図が見えてきました。なんで彼らがあんな説明の仕方をするのか、なぜ僕らにとって「分かりにくい」のかも多少は見当が付きました(もちろん、見当違いの可能性はあるが)。

内容:

物理ではない

A/C(Abramsky and Coecke)流が定式化しているのは、量子“力学”でも量子“物理”でもありません。もっと実務寄り、工学的な話で、彼らは“量子情報処理の理論的な基盤”を構築しているのです。量子コンピュータのハードウェア・アーキテクチャや量子通信のプロトコルの設計/検証に実用的に使える理論を目指しているのです。

ミクロとマクロの階層性を説明しようとか、自然の究極的な実相に迫ろうとか、そんな問題意識はあまりないようです。従って、観測や解釈の問題に思弁的にコミットするようなこともありません。物理を自然哲学(の後継)と考えるなら、アブラムスキー/クック達がやっていることは正統的物理とは呼べないのかも知れません。

力学的連続変数を使わない

A/C流が対象とする領域のプリミティブは、量子デバイスや量子チャンネルです。それより下層の物理現象を知る必要はありません。電子や水素原子なんてまったく必要ないのです*1波動関数シュレーディンガー方程式も直接的には出てきません。そもそも、そんな力学的手段で解析すべき対象(素粒子とか)は出てこないのです。

回路やネットワークを抽象化したグラフが、量子的な振る舞いをする状況から出発します。グラフのような離散的対象の時間発展を追跡するのも力学(離散力学)と考えれば、量子力学と呼べなくはないでしょうが、空間も時間も離散化されているので、座標も連続時間も微分方程式も出てきません。

離散有限を扱う

いま、対象が離散的だと言いましたが、それだけでなく有限です。無限個のノードを持つグラフのようなものは考えません。これは、コンピュータが扱えるデータが離散有限であることに対応しています。量子コンピュータ/量子通信になっても、データが離散有限な事情は変わりません(ただし、個数が有限なのではなくて、状態空間の次元が有限なのですが)。

物理的/力学的な量子論が、量子解析学や量子幾何学を必要としているのに対して、A/C流の量子論は、量子組み合わせ論、あるいは量子版の離散有限数学(つまり算数)を基礎にしています。アブラムスキー/クックが自分たちの理論が「やさしい、簡単だ」と言っているのは、解析学幾何学に比べたら算数はやさしいに決まっているでしょ、という意味が含まれていると思います。

絵図言語/絵図計算

「やさしい、簡単だ」のもうひとつの根拠は、説明や計算に、A/C流では絵を使うことです。このお絵描きの体系を、最近は graphical language と呼んでいるようです。A/C一派の人々は、例外なく絵図/絵算の使い手ですが、各人で微妙に描き方が違います。同じ人でも描き方が時と共に変わってきているので注意が必要です。

僕も「絵算(pictorial/graphical/diagrammatic calculation)は面白いぞ」と以前から言っていましたが、それでもそのパワーを過小評価していたようです。メモ編のこのエントリーで、「自明なモノイド」という言葉を使ってます。この「自明」は、「すぐにわかる」「当たり前すぎる」「とるに足らない」といった意味で使っていました。実際、絵を描くと当たり前なんで、それ以上に書くこともなかったのです。

ところが、この「自明なモノイド」を等式的なテンソル計算で書き下してみると、全然自明じゃないのですよ。テンソル計算だけを出されたら、僕は理解も計算もとてもできないだろう、というシロモノでした。

クックは、絵図/絵算を使った量子力学(量子情報学というべきでしょうが)なら、幼稚園児でもわかると(まー、ネタ/煽りですけど)いっています。幼稚園児はともかくとして、計算が異常に簡略になるのは事実です。

彼らはなぜヒルベルト空間を出さないのか

A/C一派がヒルベルト空間を使わないのは、意地になっているのかと思っていましたが、どうもそういうことではなさそうです。ヒルベルト空間は不適切だし、使う必要性/必然性がないから使わない、というだけなんでしょう。ヒルベルト空間を使う方式との対応関係の説明もあるにはあるのですが、熱心に説明する気はないようです。

白紙の幼稚園児の時期から、ヒルベルト空間なしで教えてしまえば、ヒルベルト空間なんて概念は一切不要なのかも知れません。しかし、他の人々や教科書がヒルベルト空間を使っているので、現状ではヒルベルト空間方式との対応/翻訳がないと困ります。ヒルベルト空間方式とA/C流の両方を知ってないと翻訳表を作れないので、これはなかなかにシンドイ状況ですね。

単純なアイディア、洗練された定式化

ヒルベルト空間の代替として使われる枠組みはダガー・コンパクト閉圏(dagger compact closed category)*2です。A/C流は徹底して圏論ベースです。圏論を使って絵算を合理化します。ただし、背景を知らなくてもいいと割り切るなら、四角、三角、線などを変形していくルールさえ憶えれば計算はできます。だから、「幼稚園児でもできる」と言っているわけです。

しかし、大人である僕たちは、絵の変形が「どんな意味があるんだ?」と考え込んで前に進めなくなってしまうのです。しちめんどくさいテンソル計算に落としてやっと納得したりするわけです。

量子測定に関しても、測定を含む計算のルール自体は難しくはありません。絵に色を付ける必要があるぶんだけ面倒になりますがね。で、そのルールがやたらにご都合主義的でイイカゲンな印象がありました。どうやって合理化するんだろう? と思ったら、かなりの大道具を持ち出してきました。

フロベニウス余代数上の余加群の圏、あるいはコモノイドによるスタンピング・コモナドの余Kleisli圏を使う定式化です -- ウゲーッ、なんだそりゃあー!? でしょ。でも、気を落ち着かせてみると、洗練された整合的な定式化に思えます。ヴィカリィ(Jamie Vicary)が、この定式化が以前から使われているもの(C*環)と同値なことを示しているようです*3

悲しき大人達

A/C流の量子情報学はまだ完成はしていません。もし完成すれば、今までとはまったく違った、効率的な教育カリキュラムを構成できるかもしれません。しかし、子供のときからA/C流でトレーニングされたわけではない僕は(そして、多くの大人達は)、100パーセントA/C流で考えるのは無理です。

非効率的でダサイのは承知のうえで、テンソル計算で追いかけないと理解できないみたい。脳細胞も考え方も硬直化しているのでしょう、悲しい。

*1:水素原子をA/C流で定式化したり調べたりすることはできそうです。

*2:最近では、より短く †-compact category と表記しているようです。

*3:僕の知識では、なんだかよくわかんないものを別のなんだかよくわかんないものに帰着させているので、なにがなんだかわかりません。