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参照用 記事

マルコフ圏から付点構成/合同商構成でダガー対称モノイド圏を作る

過去の記事「マルコフ圏におけるベイズの反転定理」の最後で次のように言いました。

ベイズ反転は、ほんとの逆射ではないから inversion と呼ぶのは不適切」という意見はもっともですが、適当なセッティングのもとでは、ベイズ反転を逆射と考えることが出来る気がします。今のところ確証はないですが、状況証拠は幾つかあります。「ほんとの逆射」まではいかないかも知れませんが、逆射扱いしていい状況がありそう。もし、ベイズ反転を逆射扱いしていいなら、計算はだいぶ気楽になります。ちょっと考えてみますわ。

この件、考えてみました。けど、フリッツ〈Tobias Fritz〉のテキストに必要なことはだいたい書いてありますね。p.76 "Definition 13.8" 周辺に記述されている圏 ProbStoch(C) が「ベイズ反転を逆射扱いしてもいい状況」を提供します。「逆射」は言い過ぎ(正確には逆射じゃない!)ですが、ダガーコンビネータ(対合的な反変自己関手となる)を構成できます。

フリッツのテキストの当該部分を読めばいいことではありますが、次の事実をこの記事で軽く説明します。

  • 条件化可能マルコフ圏からダガー対称モノイド圏を構成できる。
  • この圏の構成には、付点構成と合同商構成を使う。

得られたダガー対称モノイド圏は、対称性が高く豊富な構造を持つ圏で、ベイズ・ネットワーク、因子グラフ、テンソル・ネットワークなどの解釈〈意味論〉に使えます。今日は意味論まではやりませんが、条件化可能マルコフ圏から作られたダガー対称モノイド圏の最大の用途は、広義の“グラフィカルモデル”の意味論を与えることでしょう。

内容:

過去記事のリストと参考文献

2ヶ月ほど前の6月9日に、マルコフ圏に関する最初の記事を書いてから、立て続けに幾つかの記事を投稿しました。便宜のために、時間順にそれらの記事(マルコフ核、確率的圏に関する記事も含む)をリストしておきます。

  1. マルコフ圏 A First Look -- 圏論的確率論の最良の定式化
  2. マルコフ圏って、いいんじゃないのコレ
  3. マルコフ圏、ベイズの定理、陰関数定理
  4. マルコフ核: 確率計算のモダンな体系
  5. 圏論的確率論におけるCタイプとAタイプ
  6. 有限離散マルコフ核に関する注意
  7. マルコフ核と確率密度関数
  8. マルコフ圏の一族
  9. マルコフ圏の一族から典型例を7つ
  10. マルコフ圏におけるベイズの反転定理
  11. 確率的圏、存在命題とスコーレム・コンビネータ
  12. 確率的圏における期待値と雑音

よく参照する参考文献も挙げておきます。まず、マルコフ圏に関して総括的に述べられている標準的テキストは、フリッツの論文です。

  • Title: A synthetic approach to Markov kernels, conditional independence and theorems on sufficient statistics
  • Author: Tobias Fritz
  • Pages: 98 pages.
  • URL: https://arxiv.org/abs/1908.07021

マルコフ圏の定義には、余可換コモノイドの族が出現します。そのような族を“モダリティ”と呼びますが、人によりモダリティの定義は違っています(まったく別な意味の“モダリティ”もあります)。次の論文は、モダリティ概念(の一側面)を装備〈supply〉という形で明確に記述しています。(「マルコフ圏の一族 // 様々な装備圏」も参照。)

セリンガーの次の論文は、1999年に書かれたソフトウェアに関するものですが、マルコフ圏へと繋がるアイディアが含まれていて、今読んでも興味深いものです。

条件化可能マルコフ圏の付点化圏のASE合同商圏

この記事では、D条件化可能マルコフ圏〈conditionalizable Markov category〉とします。マルコフ圏の定義については「マルコフ圏の一族」で(周辺事情と共に)解説しています。さらに条件化可能マルコフ圏については「マルコフ圏におけるベイズの反転定理 // 条件化可能マルコフ圏」を参照してください。条件化可能マルコフ圏ではベイズの反転定理が成り立つので、D上にベイズ反転コンビネータが定義できます(「マルコフ圏におけるベイズの反転定理 // ベイズ反転」参照)。

一般に、特定された終対象1を持つ圏Cに対して、付点化構成〈make-it-pointed construction〉*1が行なえます。圏C内の付点対象〈pointed object〉とは、Cの対象Xと、射 p:1 → X のペア (X, p) のことです。2つの付点対象 (X, p), (Y, q) のあいだの準同型射は、次の図式を可換にする f:X → Y in C のことだとします。

\require{AMScd}
\begin{CD}
{\bf 1}  @=      {\bf 1} \\
@V{p}VV          @VV{q}V \\
X        @>{f}>> Y \\
\end{CD}

Cの付点対象と付点対象のあいだの準同型射は圏を成します。この圏を Pointed(C) と書きます。アンダー圏の記法を使うと:

  • Pointed(C) := 1/C

右辺は、終対象1によるアンダー圏を意味します。付点化構成Pointedは簡単な圏論的構成です。Pointed(Set) は、付点集合の圏〈category of pointed sets〉と呼ばれ、PointedSet または PtSet とも書かれます。

Dがマルコフ圏のとき、マルコフ圏は終対象(兼モノイド単位)を持つので、付点化構成Pointedを適用できます。Dが確率的解釈を持つ圏(「確率的圏、存在命題とスコーレム・コンビネータ // 確率的圏」参照)のとき、Dの付点対象 (X, p) は確率空間に相当します。この事情からフリッツは、Dの付点対象を確率空間と呼んでいます。確率的解釈を持たない圏、例えば Set(集合圏)、NonDet(射が非決定性写像である圏), CComoncmnp(余可換コモノイドと余乗法保存を要求しない写像の圏、cmnp = "comultiplication non-preserving")などでも付点対象を考えることができるので、一般論では用語「確率空間」を使わないことにします。

一般論を続けます; C = (C, \otimes, I) (記号の乱用、α, λ, ρ 省略)がモノイド圏だとして、Cの射の集合(大きい集合かも知れない) Mor(C) 上の二項関係R(R⊆C×C)が、モノイド圏の合同{関係}?〈coguruence {relation}?〉*2だとは、次のことです。(f, g)∈R を f~g と書きます。

  • f〜g ならば、dom(f) = dom(f) かつ cod(f) = cod(g) 。
  • 各ホムセットC(X, Y)上で〜は同値関係である。
  • f〜f' かつ g〜g' ならば、f;g 〜 f';g' (f, g は結合可能だとして)
  • f〜f' かつ g〜g' ならば、f\otimesg 〜 f'\otimesg'

合同関係は、各ホムセット上の同値関係となりますが、Mor(C) 全体の同値関係にもなります。商集合 Mor(C)/R を新たに射の集合として圏を作ることができます。得られた圏を、合同関係RによるCの商圏、あるいは合同商圏〈quotient category by congruence〉と呼びます。

上記の合同の定義は、「PROと代数系 -- toward 量子と古典の物理と幾何@名古屋 // 指標と等式的公理系によるPROの構成」からコピーしています。合同と、合同による商圏の例は次の記事にあります。

マルコフ圏Dの付点対象の圏 Pointed(D) において、次の関係ASEは合同関係になります。


 \mbox{For }f, g:(X, p) \to (Y, q) \:\mbox{   in } Pointed(\mathcal{D}), \\
 \:\: (f, g)\in ASE :\Leftrightarrow p;\Delta_X;(\mbox{id}_X\otimes f) = p;\Delta_X;(\mbox{id}_X\otimes g) 
 \: : I \to X\otimes Y

(f, g)∈ASE を f =as g とも書き、f と g はほとんど等しい〈almost surely equal〉*3といいます。驚くべきことに、等式的に定義される「ほとんど等しい」は、「測度ゼロの集合を除いて等しい」という測度論的概念に対応します(詳細は、フリッツのテキストの13章)。

合同関係ASEによる Pointed(D) の商圏は Pointed(D)/ASE と書きます。フリッツは同じ圏を ProbStoch(D) と書いています。ここでは、確率的解釈を持たない圏も扱いたいので、Pointed(D)/ASE に特別な名前や記号を与えることはしません。条件化可能マルコフ圏Dに対する Pointed(D)/ASE は、良い特徴を備えた非常に使いやすい圏になります*4

対称モノイド圏上のダガー構造

V, W が内積ベクトル空間のとき、f:V → W に対して、随伴線形写像 f:W → V を対応させることができます。この対応 f \mapsto f は、内積ベクトル空間のテンソル積とうまいこと協調します。この状況の一般化/公理化として、対称モノイド圏上のダガー構造があります。

対称モノイド圏C*5上のダガー関手〈dagger functor〉(あるいは単にダガー)は、次の性質を持つ反変自己関手 (-):CopC です。

  1. For X in C, X = X (対象に関しては恒等)
  2. For f:X → Y in C, f†† = (f) = f (対合的)
  3. For f:X → Y, g:Z → W in C, (f \otimes g) = f\otimesg
  4. 対称モノイド圏の構造射達 αX,Y,Z, λX, ρX, σX,Y に対するダガーは、逆射に一致する。(構造射のユニタリ性)

ダガー関手を備えた対称モノイド圏は、ダガー対称モノイド圏〈dagger symmetric monoidal category〉とか対称モノイド・ダガー〈symmetric monoidal dagger category〉と呼ばれます。(以下も参照。)

ダガー対称モノイド圏は絵算〈{graphical | pictorial | diagrammatic} calculation〉との相性が良く、アブラムスキー/クック〈Samson Abramsky, Bob Coecke〉流のお絵描き量子力学の主要な道具になります。ひとつだけ過去記事を挙げれば:

前節で構成した Pointed(D)/ASE は、ダガー対称モノイド圏になります。f:(X, p) → (Y, q) in Pointed(D) に対して、ベイズ反転 Convs(f, p):Y → X が存在します*6。簡単な計算で、Convs(f, p) は (Y, q) → (X, p) in Pointed(D) とみなせることが分かります。Convs(f, p) はASE(ほとんど等しい)の意味で一意に決まります。したがって、(Pointed(D)/ASE)(​(X, p), (Y, q)) → (Pointed(D)/ASE)(​(Y, q), (X, p)) というコンビネータが構成できます。この形のコンビネータとみなしたConvsの性質を調べると、ダガー関手になっていることが分かります。今日は詳細を割愛しますが、フリッツのテキスト13章(p.73から)にちゃんと書いてあります。

それと

Dが条件化可能マルコフ圏のとき、Pointed(D)/ASE はダガー対称モノイド圏となりますが、合同商を取る前の Pointed(D) にもダガーのもとになるコンビネータ(Daggと書く)は存在します。Daggは、ダガー関手の公理を等式として満たすことは期待できません。が、up-to-ASE ならダガーの条件を満たします(なので合同商構成の後でダガーになる)。

ASEによる商を取らずに、Pointed(D) と、up-to-ASEなダガーであるコンビネータDaggとの組み合わせのままで扱ってもいいかも知れません。法則を等号で書けない鬱陶しさはありますが、射が同値類ではなくて実際の射であるメリットがあります。

冒頭で述べたように、Pointed(D) や Pointed(D)/ASE の想定される用途は、広義の“グラフィカルモデル”の解釈です。グラフィカルモデルの意味論と共に細部を詰めていけばよさそうです。

*1:形容詞"pointed"の名詞化がうまく出来ないので、苦し紛れで"make-it-pointed"を使いました。

*2:「合同{関係}?」の疑問符「?」は、「関係」を省略してもいいことを示します。詳しくは「用語のバリエーション記述のための正規表現」参照

*3:「ほとんど確実に等しい」が正確な訳ですが、しつこい表現なので「ほとんど等しい」にします。

*4:ただし、Pointed(D) がつまらない圏になってしまうこともあります。例えば、Pointed(Set) はつまらない圏です。

*5:モノイド構造を持たない単なる圏に対してもダガー構造は定義できます。

*6:Dは条件化可能マルコフ圏だと仮定していました。条件化可能なら反転可能です。また、条件化可能なら因果的〈causal〉であることも出ます(フリッツのテキストp.55 Proposition 11.34)。因果性〈causality〉(フリッツのテキストp.53)も重要な性質です。