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僕らが大好きだったWebはなくなるのかもしれない

Webはなくなるのかもな、と思います。

あの頃のWeb

「Webとは何か」を定義しなければ、なくなるか/存続するかなんて議論は意味をなしません -- それは承知ですが、ここでは曖昧な、あるいは感傷的なWebのイメージに基いて話します。

Webはブラウザで閲覧するものでした。ブラウザはHTML文書の表示装置です。ハイパーリンクをたどってインターネットを“サーフィング”できます。あるいは、検索エンジンを利用して目的のWebサイトを探します。たまにフォームを使ってWebに“書き込み”をします。それが、今までの(「かつての」かもしれない)Web体験です。

このようなスタイルのWebの盛り上がりのピークは2005年からのWeb 2.0ブームだったと思います。Web 2.0の提唱者だったティム・オライリーの真意はどうであれ、Web 2.0を象徴するものはブログシステムでした。ブログの登場により、Webを媒体とした表現は、劇的に簡単になりました。「誰でもインターネットで情報発信できる」という(割と陳腐な)キャッチフレーズです。

ブログ記事はある程度のサイズを持つWebページです。ですから、ブログ全体はWebサイト(=Webページの集まり)と言えます。ブログシステムは、誰でもが、ブラウザだけでWebサイトを作成できるようにしたのです。表現媒体であるWebを万人に開放したのです。

Webという表現媒体は完全にフラットでフェアです。URIによって識別される点においては、政府機関や大企業のサイトも、個人のブログサイトも差がありません。これは、なんだかとっても素敵なことに思えました。

それからのWeb

「誰でもインターネットで情報発信できる」に基いた素朴で楽観的な“Web民主主義”は夢想でした。「誰でもインターネットで情報発信できる」メカニズムが整備されても、表現すること=書くことは容易ではありません。ブログジャーナリズムの試みも成功したとは言えません。Web上のニュースサイトは定着しましたが、新聞・雑誌・テレビの様式をWeb上で焼き直した(むしろ劣化させた)マスメディアです。

テレビなど従来のマスメディアを置き換えるかと期待されたWebも、気がついてみればすっかりテレビ化していた、という顛末。

Web 2.0の楽観的/希望的側面を喧伝していた梅田望夫さんがWebからフェードアウトしたことも、「それからのWeb」を象徴しています。「それからのWeb」とは、Web 2.0で過剰に膨らんだ理想論的な夢がしぼんでいく過程です。

ブログ後に、Webを席巻した概念・テクノロジーといえば「ソーシャル」です。僕自身は、当初のSNSの非公開性が肌に合わず、SNSをほんとんど使ってないので経験から言えることはありません。傍から眺めている印象では、SNSもかつての勢いはないようです。「ソーシャル」も様変わりの時期に差し掛かっているのでしょう。

何が変わったのか

今のWebは、かつてのWebと何が変わったのでしょう。標語的にまとめれば次のようなことだと思います。

  • PCからモバイルへ
  • サイト/サービスからアプリへ
  • ページからメッセージへ

これらの変化に伴い、Webの基本技術であるHTTP、HTML、URIもその有効性を失いつつあります。技術的な制度疲労とも言えます。

大きなディスプレイとキーボードが付いたPCは、もはや特定の職業の人が使うビジネスツールです。インターネットに接続するデバイスの多数派はスマートフォンタブレット端末です。そうであっても、ブラウザによるWeb体験が存続するなら、かつてのWebの概念とテクノロジーの多くは生き残るでしょう。ですが、「ブラウザによるWeb体験」が主流のままかどうかはアヤウイです。

例えば、うちの長男がiPadを使うのを見ていると、ブラウザは検索アプリの位置付けみたいです。YouTubeも、ブラウザからではなくて、YouTube専用プレーヤーを使っています。Webサイト/Webサービスの存在を意識することは少なく、見えているのはアプリです。

ブログやSNSに疲れた人が、短いメッセージで自己表現できるtwitterに流れた現象がありました。そういう人は、twitterをWeb上の表現手段の一種として捉えていたと思います。まー、道理が分かっているということです。しかし、2013年に頻発した、コンビニ店員などの度が過ぎた悪のり行為のtwitter投稿は(行為自体の問題は置いといて)、twitterの特性を理解してなかったのでしょう。

実世界の音声対話は記録に残りません。その場で消えてなくなります。ですから、メッセージの伝搬範囲は限定的で時間と共に消えてしまうが直感的には自然です。実際に、そのようなメッセージングサービスも利用されているようです。

短くて文字とは限らない(数秒の動画とか)範囲限定ですぐに消滅するメッセージが、インターネットトラフィックの多くを占めるようになったとき、HTTP、HTML、URIがどれほどの意味を持つのでしょうか?

技術的には、HTTPはHTTP2.0へと進化するし、HTML5が巻き返しを図るかもしれません。URIも、一意識別子が必要なのは明らかなので、「クールだ」「パーマネントだ」とか言わない形では生き残ります。しかし、それらの役割、使われ方、認知のされ方は変わるでしょう。

その変化を感傷的に表現するならば、「僕らが大好きだったWebはなくなる」のです。