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参照用 記事

大乗仏教中観派と一般モデル理論

ダイアコネスクの次のエッセイ風論文を読みました。

タイトルにあるMadhyamaka(マーディアミカ サンスクリット語)は、大乗仏教の学派である中観派(ちゅうがんは)のことです。タイトルを見ての印象は、逆方向の『「知」の欺瞞』かな? というものでした。

ソーカルとブリクモンの著書『「知」の欺瞞』で批判の対象となったのは、人文系の論文において、意味も分からずに数学や物理の専門用語をトンチンカンに散りばめては権威付けする行為でした。このケースでは:

  • 主題的内容:人文系
  • 用語の借用:数理科学系

逆にすると:

  • 主題的内容:数理科学系
  • 用語の借用:人文系

ダイアコネスクのエッセイの主題はインスティチューション(Institutions)と一般モデル理論(Universal Model Theory)です。ダイアコネスクはこの分野における第一人者なので、その主題的内容は完全に信用できるものです。となると、“欺瞞”かどうかの分かれ目は、この主題に対して仏教や中観派を持ち出すのが適切なのか? 仏教/中観派に関する理解が行き届いているのか? あたりでしょう。

しかし、仏教がうんぬんなんて、僕には全く判断できません。とりあえず、仏教/中観派に関するダイアコネスクの記述を信用することにしてザッと読んでみると、なかなかに説得力がある論説でした。

ダイアコネスクの主張は、ゴグエンとバーストル(Joseph Goguen and Rod Burstall)に始まるインスティチューション理論大乗仏教の中観派思想は類似のものであり、モデル理論に対して中観派思想を適用・実践したものがインスティチューション理論だとも言える、といったことです。

特に注目すべきは「空(Shunyata)」の概念です。般若心経(Heart Sutra)の「色即是空」とかのアレでしょう、たぶん。ダイアコネスクによれば、「一切が空である」とは、この世には何も存在しないという虚無的発想とは全く違う、ということらしいです。この世に存在物はあるが、「これが本質(essence)だ」とか、「これが基底(ground)だ」とか呼べるようなモノはない、そいうことらしい。中観派アプローチはnon-essentialでgroundlessということになります。

存在物にそれ自体の固有性なんてないのです(もちろん、受け売りで言ってますが)。モノ自体が独立して在るわけではなくて、すべてが相互依存(dependent origination, interdependence)のネットワークのなかにある、ということです。

インスティチューション理論は、論理系(logical system)の定式化なのですが、論理的観点(logical view)を全く持っていません。No logical viewは「この世に論理なんて存在しない」とも取られかねませんが、実際は「本質的/基底的論理なんて存在しない」という前提です。そうです、中観派の空の概念に通じるものがあります。

すべてが相互依存のネットワークのなかにあることを明確に記述するために、インスティチューション理論は圏論をヘビーに使うことになります。そもそも圏論が、対象より射を重視する点において中観派アプローチだと言えます。

先日紹介した谷村先生の「物理学者のための圏論入門」のなかに次のような記述があります。

対象たちが無関係にばらばらにあるのではなく, 射の有機的なネットワークでつながっている, というのが圏の大事な性質です.


[対象である] a や b は集合のように内部を持っているかどうかすらわかりません. いまのところ a, b の内部には立ち入らず, さしあたって対象と呼んでいるだけです. 圏論では, 元や集合の存在に先立って, 射の存在を認めるのです.


対象 a の性質を圏論的に知りたかったら, [a 自体ではなくて] 射の連動関係・絡み具合を調べることによって対象 a の特徴を探ろうとします. [...snip...] 物理学や化学では, 未知の物質に光や音や熱や他の粒子をぶつけるなどの刺激を与えて, そこから出て来る光や破片などを見て, その物質の性質や正体をつきとめようとします. このような方法は, 物理と化学に限った話ではなく, 生物学や心理学でも似たような方法が使われるでしょう.

これは、「存在物にそれ自体の固有性なんてない」「すべてが相互依存のネットワークのなかにある」という中観派アプローチと符合していますね。現代の自然科学のアプローチは、実は中観派アプローチと類似している/相性が良い、という指摘もよくされるようです。

さて、中観派のモットーによれば、特定のナニカを特別扱いしたり基底と考えるべきではない、となります。そうすると、特別扱いする論理/基底と考える論理もないわけです。たとえ一階述語論理であっても特別な論理ではなく、基底となる論理でもありません。数多〈あまた〉ある論理のひとつに過ぎず、それ自体の固有性も価値もないのです。

こういう発想で展開される古典モデル理論の再構築版が、インスティチューション独立モデル理論(Institution-independent Model Theory)です。「インスティチューション独立」は、個々のインスティチューション(論理系)に依存しないということであり、インスティチューション理論をベースにした一般(汎用、普遍的)モデル理論です。

特定の基底論理に依存したいという気持ち(邪念?煩悩?)はけっこう強烈なものなので、その誘惑を排除してニュートラルであり続けるのは大変です。確かに修行と悟りが必要そうですね。