「掛け算の順序問題: 左右の意味あいが違う事例はあるけど…」:
掛け算順序区別論に反論する気もないです。理由は、めんどくさいからです。鬱陶しいからです。
反論しない主たる理由が「めんどくさい/鬱陶しい」からなのはホントです。
で、「それはそうだけど」の事例を幾つか出します。「もう、それは分かっているからさー」と言いたいから確認するだけです。そこから先の本論はしないけどね。
「そこから先の本論」はしたくないのです(したくなかったのです)。
実は、したくない理由がもうひとつありまして; そこから先の本論に入ると、僕は感情的になり強い言葉を吐くであろうことが予測できるからです。
僕は、根性主義や体罰を極度に嫌っているのですよ。2006年3月以前の、「アンチ根性主義」に関連する記事は、次のリンク集からたどれます。
そこから2016年までの間の記事は、次の記事内にリンクがあります。
2018年記事でも過去記事群を参照してます。
根性主義/体罰と、掛け算の順序問題は何の関係もないだろうと思えるのですが、過敏(ゆえに不正確)な僕のセンサーは反応してしまうのです。
非常に抽象度の高いくくり方をすると、「正しい目的のためには、多少は乱暴な/望ましくない手段も許される」という考え方が、それはそれは物凄く、とてつもなく嫌いなんです。
「正しい目的」があるがために、賛同や共感を得やすく、実際に多くの人が「乱暴な/望ましくない手段」を許容してしまう事態が、ほんとにほんとに腹立たしくイラつくのです。どんなに正しい目的(例:スポーツで優勝する)であっても、当事者の心身を傷付けるような行為はダメです。
直前の2つの記事で僕が書いている事は、掛け算順序問題の背後にある「正しい目的」についてです。「もう、それは分かっているからさー」と言いたいから書いたのです。(だから、もう繰り返し言わないで。)
掛け算順序問題の「正しい目的」のために、ローカル・ルールを押し付けて守らせる(服従させる、とも言える)のは、やはり「乱暴な/望ましくない手段」なので、僕は許容できません。完全にエモーショナルな理由で、理論的根拠なんてありません。