twitter上で忘却関手の話が出てたのでコッチで反応します。
バエズがどこかで言ってました、「『忘却』のちゃんとした定義は難しい」と。関手の充満性/忠実性を使うとか、自由と忘却の随伴(自由 -| 忘却)に根拠を求めるとかありますが、それで全てかどうかよく分かりません。
いくつかの例を考えてみます。
Grpを群の圏として、群Gの台集合をU(G)として、UをGrp→Setの関手まで拡張します。これは典型的な忘却関手です。
Catを小さい圏の圏として、圏C(Catの対象)に対して U(C) = |C| = (Cの対象の集合) とすると、Uは自然にCat→Setの関手とみなせます。この場合、圏の代数構造を忘れるだけではなくて、射の集合をゴッソリ忘れています。台集合の一部が欠損します。
Vectを係数体も自由に選んだベクトル空間全体からなる圏だとします。このVectはグロタンディーク構成で作れます。Vectの対象であるベクトル空間Vから係数体を取り出す操作をU(V)とします。U:Vect→Field という関手を作れますが、これもベクトル空間の本体を忘れて係数体だけを残す“忘却関手”と言えなくもないでしょう。
ブレイド図の圏の射であるブレイドにおいて、紐の上下関係(手前と奥の区別)を“忘れる”と単なる交差になり、ブレイド図の圏からアミダ図の圏への関手が定義できます。これは忘却関手でしょうか?