ちょっと挑発(コレの最後)してみたけど、どうせ反応はないだろな。しらけてしまわないうちに自分でテンション上げて解説を書いてみました。
内容:
前がき
すぐあとに続く「本編」では、ホントに「根拠のないイチャモンをつける方法」、もう少し正確に言うと「詭弁を弄して否定や反論をする方法」を律儀に真面目に解説しています。実を言うと、もう何年も前からこういう話題を書きとめておきたいと思っていました。もちろん、皮肉あるいは反面教師として記録したいのですけどね。
今読み返したら、2006年のエントリー「きくちさん、弾さんはエンタテイナーなんです」のコメント欄で、小飼弾さんの話芸について僕は
言ってる内容そのものもバカバカしいけど、僕の興味を引くのは(強いて言えば)やはり彼の話芸内で使われている詭弁(論理のアブユース)の数々。悪い意味での”レトリック”の宝庫ですね。論理ネタ(当ブログのレパートリー)で取り上げる価値はあるかもしれません。
と書いているんですね。西村さんのコメントでは:
詭弁の分析! 実はそんなにパターンは多くない気がしますが、類型化して実例分析をすると面白そうです。
「ウーム、面白いっ」によると:「(分析を)やってみたいのだけど、今それをやると、「はじめての圏論」のテンションが落ちそうだから、やらない。」ってことだったのね。4年前に宿題になっていたテーマを、(部分的には)やっと書けた感じ。
僕は、江本勝さんや郡司ペギオ-幸夫さんに対して何度か批判をしましたが、彼らはちょっと突出した存在なんです。江本さん/郡司さんほどに特異なキャラクターじゃなくても、著名な書き手じゃなくても、インターネット上の発言・主張には、論理的であるかのごとく装って、その実ひどく論理性が欠如しているものが見受けられます。僕は、そのような「普通によく見かけるニセ論理」の手口を紹介し、注意を喚起したかったのです。有り体にいえば、「こんな幼稚なトリックにだまされるなよ、情けないだろ」と(少し感情的に)言いたいわけね。
それで、実例を見つけたとき、それに批判的解説を加えようかと何度か思いはしました。しかし、特定の記事や人を「槍玉に挙げる」体裁となり、後味がいいものではありません。「論理的言明を装った感情論は嫌い、という感情論」で言及しましたid:JavaBlackさんは、どうやら“強い子”みたいだから、僕が素材に取り上げたくらいでヘコタレたりはしないでしょう。サンプルとして参照させていただきますね。
この1つのエントリーのなかに、後で紹介する詭弁のトリックが(全てではないですが)バランスよく含まれています。このサンプルが素晴らしいのは、天然モノであることです。僕がでっちあげた作為的な例文などでは得られないリアリティがあります(って、なにしろ本物だからな)。例えば:
プログラムは「文字の羅列」じゃないんだけどね.音楽家が楽譜を見ただけでそれが名曲か雑音かが判別できるように,コードを読んでそれが良いコードが悪いコードかを判別できる能力はすべてのプログラマが持つべき基本スキルの一つだ.
なんて素敵なセリフなんでしょう。以下の本編をお勉強するさいにもサンプルを適宜参照してみてください。
本編
以下に挙げるテクニックは、誰でも簡単に実践できる基本的なものです。なにごとも基本が大事。これらの基本をマスターし組み合わせることにより、論理性に無頓着な人々をたやすくダマスことができて、あたかも知的・論理的な人であるかのごとき印象を与えながら、ムチャクチャなことを言いたい放題です。
最後の2つの項目はオマケで、論理性を装うこともかなぐり捨てた場合に使うメソッドです。
定義の違いを真偽の議論にすり替える
A:「C君は毎週1冊本を読んでるんだって、読書家だよねぇ。」
B:「間違い。C君は読書家じゃない。最低でも週に5冊は読まないと読書家とは呼ばない。」
願望・怨念、趣味嗜好、審美的な判断などを、真偽の議論に見せかける、というのもありますね。
言ってもない事を否定して印象操作をする
A:「俺、子供って苦手なんだよね。」
B:「子供に暴力をふるうなんてヒドイね。私はそんなこと許さないからね。」
絶対に正しい/誰も反対できないことを、ナニカへの反論のように言う。実際にそんなことは言ってなくてもOK。相手を貶<おとし>めるのに、コレは使えます。
傾向や量に関する主張に、勝手に全称限量子を付けてしまう
A:「甘いモノが好きな女性って多いよね。」
B:「大間違い。甘いモノが嫌いな女性だっている。」
「全称限量子」ってのは、「すべてのナニナニはナントカである」の「すべての」にあたる修飾部のこと。「かなりの程度…」、「…である場合が多い」、「…のこともある」のような意味あいで言った主張に、勝手に(あるいはコッソリと)全称限量子を付けて否定してみせるのは、みんながよく使ってる必須テクニックだよ。
とある階層でなされた主張を、別な階層で否定する
A:「この絵は鉛筆画だよね。」(絵は実際に鉛筆画だとする。)
B:「なに言ってんのオマエ、この絵に描かれた女性の美しさがワカンないの? センスないね。」
特に説明は要らないでしょ。簡単だからやってみてね。
[追記 dateTime="2010-12-25T11:43"]もちろん、階層の上下を逆にしたパターンもあります。
A:「この絵に描かれた女性は美しいね。」
B:「素人はこれだから困るなー、この絵は鉛筆画なんだけどね。」
[/追記]
権威や前例に訴える
もとネタは「言葉は通じることが一番だいじ」。
A:「来月の“なのか”にミーティングね。」
B:「『なのか』ではない。『なぬか』! 広辞苑に出てる。」
無理筋の主張も、権威や前例を引き合いに出せばそれらしく見えるよ。
権威や前例に訴える 別バージョン
多くの意見のなかから自分に都合のいいものだけを選び出し、あたかもそれが多数派であるかのごとくに演出する。多数派もまた権威のひとつだからね。印象操作のテクニックでもあるよ、ジワジワ効きまっせ。
このテクニックは、AさんBさんの会話では表現しにくいので、サンプルとかを参照してくださいな。
論点ズラシ、意図・論点の曲解
A:「バナナ、オレンジ、イチゴのなかでどれが好き? 僕はバナナだな」(単なる質問)
B:「ダメだよ好き嫌いしちゃ、だいたいバナナばっかり食べていたら体によくないよ。ゴハンをちゃんと食べないとね!」
「言ってもない事を否定して印象操作をする」と類似のテクニック。こっちのほうがバレにくい。リアルな例が(だいぶ古いけど)、http://d.hatena.ne.jp/m-hiyama/20050427 の「議論をメタる」以下にあります。
ところで、論点ズラシの名人芸と言えば小飼弾さんでしょう。「きくちさん、弾さんはエンタテイナーなんです」あたりも参考になるかも。
論点ズラシ、意図・論点の曲解 感情バージョン
A:「バナナ、オレンジ、イチゴのなかでどれが好き? 僕はバナナだな。」(単なる質問)
B:「僕はこのあいだ腐ったバナナで食中毒したのに、ひどいことを言うね。このヒトデナシ。」
被害者面してあえて感情的になってみるのも有効。
意味もなく自分の経験や知識を強調
A:「バナナ、オレンジ、イチゴのなかでどれが好き? 僕はバナナだな。」(単なる質問)
B:「そういう君は、いったいバナナについてどれだけ知っているというのだ? えっ。いいか、バナナとはな、(ウンチク、うんちく、薀蓄、…)」
問題点を他の事情により帳消しにする
A:「C君はさ、床に唾吐くのやめて欲しいよね。」
B:「でもC君て、すごく面白い冗談言ったりして、楽しい人よ。」
「いまだに続く「バルト9」コメントへの対応が面倒になってきたので、まとめてエントリーにしておこう」の「欠点だけをあげつらうのはどうか -- 欠点があるという事実が消えますか?」、特に最後の体育教師の例え話も参照。あの親のように食い下がろう。*1
意味不明でもいいから難しそうなことを言ってみる
B:「まったく取るに足らないね。それは、実存主義的エクリチュールから言えばオデンだよ。」
「インテリだなー」と感心する人もいるかもよ。別な例が「不快感をもよおす衒学的文章とはどんなものか」にもあるぞ、参考にしてね。
普通とは異なる解釈を持ち出す
A:「(x + y)2 = x2 + y2 は間違いです。」
B:「二元体なら正しいよ。」
ニ元体とは、{0, 1} で足し算が 1 + 1 = 0 と計算される数の体系。何を言いたいかというと、数学の公式でさえも、解釈の違いで真偽が変わるってことね。これを利用すると、常識で正しいことも否定できるよ。
(ちょっとマジな補足)Aさんの発言に出てくる等式は、正確には全称限量子を付けて ∀x, y.[(x + y)2 = x2 + y2] となります。例えば、足し算と掛け算の記号を、実数の普通の足し算・掛け算と解釈し、等号も常識通りに解釈すれば、この論理式は偽です。反例がありますからね。しかし、ニ元体の上で演算、関係、変数を解釈すると、Bさんの言うとおり真となります。
反論されたときは最小コストでごまかす
次のような短い言葉で応酬しましょう。
「もう何言ってんだか、あのオヤジは」
「素人の意見ですね」
「わかってねーな、コイツ」
「これはヒドイ。呆れてモノも言えない。」 (後は黙っていればいいので、お奨めの捨て台詞)
コストが非常に小さい割に、けっこう効果的です。みなさんも、最後はこういう言葉で締めましょう。そうすれば「あなたの勝ち」です。
「知的とか論理的なんてカッコ付けはどうでもいい」という方は、捨て台詞に次を使ってもいいでしょう。
「ヴァカか!」
「なんだハゲ」
「黙れ、デコ助」
余計なお世話な悪口も辞さない
「知的とか論理的なんてカッコ付けはどうでもいい」ということであれば、悪意に満ちた罵詈雑言を使うのもアリです。
B:「そんなこと言ってるんじゃ、ウチに帰ったら嫁にも子供にもさぞや馬鹿にされてんだろうな。」
言い張る
これも、「知的とか論理的なんてカッコ付けはどうでもいい」方向け。ほぼ無敵。
B:「カラスは白い。」
A:「黒でしょ。」
B:「カラスは白い!」
A:「黒でしょ。」
B:「カラスは白い!!」
A:「だから、カラス、黒でしょ。」
B:「カラスは白い。」
A:「…」
B:「カラスは白い!」
B:「カラスは白い!!」
B:「カラスは白い!!!」
後がき
彼[注:JavaBlackさん]の「大間違い」6項目が、論理的にいかにメチャクチャでグダグダであるかを形式的に(formally)説明してあげてもいいのだけど、[...snip...]
リクエストがあれば、感情論は抜きで教科書的な説明を書くかもよ。
と書いたのですが、形式的・教科書的な説明を書くのはちょっとシンドイなー、ということでこんなオチャラケたモノを書いてしまいました。このエントリーで挙げたテクニックは、論理的にはまったく正当化されません。そのことを理解するには、本来の論理についてある程度は知っておく必要があります。
このブログ内に、論理の概念/用語の断片的な解説はけっこうありますから、ご興味があれば検索で拾ってみてください。
*1:マジメな注:「問題点を他の事情により帳消しにする」のは、現実の世界ではある程度許容されると思います。「遅刻はするが、仕事ができるから許す」とかは普通ですね。「仕事はカラッキシできないが、笑顔が可愛いから許す」となると、微妙な判断ですけど。