怖い話。
内容:
スノーグローブ現象
スノーグローブ現象(snowglobe phenomenon)とは、世界(あるいは環境)の構造が、世界のなかのモノに写し込まれる現象です。特定のモノが持つ構造が世界の構造を反映することになります。スノーグローブ現象については、次の記事とそこから参照されている記事群を見てください。
上記「スノーグローブ現象 再び」から、「入れ子の世界が大好きだけど怖い」という記事が参照されています。タイトルにも「怖い」とありますが、再帰/循環/入れ子/階層/フラクタルのような構造には、得体の知れない恐怖感が伴うのです(少なくとも僕にとっては)。
スノーグローブ現象は、外側の世界の構造が内部のモノに反映するのですが、それとは逆のような状況もあります。内部のモノの構造が、外側の世界の構造を要求することがあるのです。
マイクロコスモ原理
https://ncatlab.org/nlab/show/microcosm+principle
Microcosm principle: Certain algebraic structures can be defined in any category equipped with a categorified version of the same structure.
マイクロコスモ原理: 特定の代数構造は、その代数構造を圏化した構造を備える圏のなかで定義可能である。
引用したnLabエントリーにも載ってますが、マイクロコスモ原理の典型例はモノイドです。モノイド構造を持った対象を定義しようとすると、世界(あるいは環境)としての圏はモノイド圏である必要があります。つまり、モノイド対象を定義できる世界には、モノイドの圏化であるモノイド圏の構造が要求されるのです。
モノイドを調べようと思うなら、当のモノイド達が棲む世界も調査の対象になるでしょう。ところが、モノイド達がいる世界は、モノイドより複雑なモノイド圏です。では、モノイド圏達が棲む世界はどんな構造を持つのでしょう? モノイド圏よりもっと複雑な構造なのでしょうか?
もし、マイクロコスモ原理が本当なら、あるモノが棲む世界はそのモノと同種だがより複雑な構造を持ち、その世界が棲むメタ世界はもっと複雑な構造を持ち …… と、悲観的無限後退を余儀なくされる気がします。
スノーグローブ現象も怖いけど、マイクロコスモ原理はもっと怖いような …
僕が出会った例:モノイド圏
僕はモノイド圏について調べていました。調べる対象物であるモノイド圏を (C, , I, a, ℓ, r) とします。Cはモノイド構造が載る台圏(underlying category)ですが、小さい圏としておきます。a, ℓ, rは、結合律子(associator)、左単位律子(left unitor)、右単位律子(right unitor)です(律子に関しては「律子からカタストロフへ」を参照)。通常、律子はギリシャ文字小文字で書かれますが、事情があって(すぐ後で判明します)ラテン文字小文字を斜体にしました。
混乱を避けるために、モノイド積をPとも書くことにします。
- P(A, B) = AB
- P(f, g) = fg
Pは C×C→C という関手(二項関手)です。
さてここで、モノイド圏Cの結合律子aについて考えましょう。aは自然変換ですが、次の形に書けます。
- a::(P×IdC)*IdC⇒(IdC×P)*IdC:C×C×C→C
'*'は関手の図式順結合です。成分で書けば、(A, B, C)∈C に対して:
- aA,B,C:P(P(A, B), C)→P(A, P(B, C)) in C
あるいは、
- aA,B,C:(AB)C→A(BC) in C
特に問題はないような …。いやっ、注意深く見てください。関手 (P×IdC)*IdC と (IdC×P)*IdC の域(ドメイン)は同じでしょうか? どちらもC×C×Cが域ですか? 違います。(P×IdC)*IdC の域は(C×C)×Cで、(IdC×P)*IdC の域はC×(C×C)なのです。
(C×C)×CとC×(C×C)のあいだを繋ぐには、圏の直積に関する結合律子 αC,C,C:(C×C)×C→C×(C×C) in Cat が必要です。自然変換aの正確なプロファイルは次のようになります。
- a::(P×IdC)*IdC⇒αC,C,C*(IdC×P)*IdC:(C×C)×C→C
英字斜体のaはCの結合律子ですが、ギリシャ文字のαは、小さい圏の圏Catの結合律子です。調査対象物であるCの結合律子の定義に、世界(環境)である圏Catの結合律子が入り込んでしまうのです。ウーム。これは、マイクロコスモ原理が発動された状況と言えるでしょう。
結合律子a(英字斜体)を調べたいなら、結合律子α(ギリシャ文字)の性質について知ってなくてはならない、と。ウーム。フーム。ウェー(泣)。
どうやって無限後退を避けるか
なんか困った状況ですが、冷静に考えてみると、なんとかなりそうではあります。
モノイド圏(C, , I, a, ℓ, r)は、圏Catのなかで定義されます。別な言い方をすると、作業をする我々は、Catのなかにいて、Catの対象であるCを外から眺めている状態になります。
この状態で、我々は自分がいる世界であるCatについての知識は必要ですが、それほど深く知る必要はなさそうです。例えば、Catの結合律子αの存在や基本的性質は必要ですが、αに関する一般法則までは要らないのです。個別的な知識でなんとかなります。これは、Catの外に立たないと分からないようなマクロな知識は不要で、Catのミクロな知識だけで済むだろう、ということです。
また、我々がそこで行動する世界であるCatは具体的な圏なので、ある程度の直感が働きます。調査対象物であるCより分かりやすく、ハッキリとしたことが言えるのです。なので、得体の知れないモノを調べるために、さらに得体の知れない世界に迷い込むわけではありません。
モノイド圏Cが棲む世界はCatですが、Catのモノイド圏構造(Cat, ×, J, α, λ, ρ)は要求されます(Jは単一対象と恒等だけの圏)。それだけではなくて、自然変換、つまり次元2の射が必要です。結果として、Catは単なるモノイド圏ではなく、より複雑なモノイド2-圏の構造まで要求されます。
マイクロコスモ原理では、今述べたように、外側の世界がより複雑になり、どんどん複雑さが増していく印象(=恐怖感)があります。でも実際には、複雑さは安定化(stabilize)するのではないでしょうか? モノイド圏に関して言えば、マックレーンの五角形・三角形等式よりもさらに高次の法則は不要だと思えます。つまり、自然変換までは構造に関与するが、それより高次の射が登場しなくなるのです。
マイクロコスモ原理自体が発見的原理であり、複雑さの階層が安定化することはさらに漠然とした(希望的)観測に過ぎません。しかし、マイクロコスモ原理が悲観的な主張じゃないとは言えます。
マイクロコスモ原理とスノーグローブ現象
マイクロコスモ原理により、世界は世界内存在物より複雑な構造を持つでしょう。しかし、世界に関して局所的・断片的知識しかなくても、世界内存在物をかなり精密に調べることができます。
調べた世界内存在物が、スノーグローブ現象により世界の構造を模倣しているとすれば、間接的に世界の構造を精密に調べたことになります。世界内存在物を調べることが世界を調べることだ、という循環構造が生まれるのです。
「階層的世界のタワーが安定化するだろう」という希望的観測は、タワーの上部ではマイクロコスモ原理とスノーグローブ現象が一致してしまい、世界が世界内存在物と完全に同じになっているだろう、という期待です。ほんとに無限に続く階層は怖い、怖すぎる。いずれは安定した循環に取り込まれる、と考えたほうが幾分かは安心できるのではないでしょうか。
過去記事
再帰や入れ子に関する記事は、次の記事を基点にしてだいたいたどれます。
ですが、参照の入れ子をフラットにしてリストすれば: