何日か前にブックマークを集めていたコレ、「読めない名前(暴走万葉仮名)の女子学生が多い大学は偏差値がね、ちょっとアレなのです」ってオハナシ。
週刊文春9月20日号の「私の読書日記」(酒井順子)にも、似たような話題があった。酒井さんの記事に『読みにくい名前はなぜ増えたか』(asin:464205636X)という本(僕、読んでません)が紹介されているのだけど、そこから孫引きすると:
(どのような名前をつけるかは)親の教養、ないしは彼らが所属している階層・環境による。伝統的な文化にさして違和を覚えず、従来通りの文化を享受することのできる保守的富裕層と、自分の居場所を模索し、価値観に『個性的』というマークを刻印せずにはおれない新興勢力の層とは、分極化が著しい。
これは、「読めない名前…」内の呉智英さんの
三浦展『下流社会』で下流の指標の一つとして「自分らしく生きる」が挙げられているが、暴走万葉仮名にもその「自分らしさ」が感じられてならない。
と符合する。
このテの発言は、「差別的だ」とか「他人を見下している」とかの批判もあるだろうけど、内容としては「偏差値と名前のあいだの相関の可能性を示唆したと」と言える。
314 この際きっちり統計取ってみたら面白いかもだぜ?
統計取るのは、そんなに難しくなさそうだ。キッチリとした統計的的結果が出なくても、多くの人の日常感覚が、“読めない名前”と“偏差値や収入”との相関関係を認めてしまえば、
67 まあ名前である程度判断できるから便利じゃね
145 某名門幼稚園の入試では 名前がDQNだとそれだけで選考から外されるらしいが
347 DQN名つけられてなにが悲しいかっていうと それだけで低学歴に認定されることだな
といった事態(上記の引用は眉唾だとしても)が起きるだろうね。
でもそうなれば、「読めない名前」は敬遠され、揺り戻しでみんな「読める名前」を付けるようになるんじゃないのかな。僕は、「読めない名前」現象がそう長く続くとは思わないですね。10年後には、良夫だの花子だのがメジャーになってるような。