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参照用 記事

モノイドや半環は、群や環とはかけ離れている

二値真偽値 {true, false} のブール代数は、論理ORを足し算、論理ANDを掛け算として半環となります。集合Aのベキ集合Pow(A)は、合併を足し算、共通部分を掛け算として半環です。アルファベットΣの言語の代数 Lang(Σ) = Pow(Σ*) も(たいていは非可換の)半環です。

これらの半環の足し算部分は可換モノイドであり、ベキ等でありω-総和可能です。論理、形式言語理論、プログラム意味論などに登場する半環/可換モノイドは、ベキ等性やω-総和可能性を持つ場合が多いのです。

モノイドや半環の理論は、できるだけ群や環の理論に似せて作りたい、という希望があります。しかし、ベキ等性やω-総和可能性を要求すると、群や環から離れてしまい、ある意味で対極的な構造になってしまいます。群や環の常識は通用しないことを覚悟しなくてはなりません。この記事では、その覚悟を促すいくつかの状況証拠を示します。

内容:

ベキ等なアーベル群はつまらない

以下では、可換モノイドMの演算を足し算の形に書いて M = (M, +, 0) とします。Mのすべての元(要素)に、逆元(負の元、反元)があれば、Mはアーベル群(可換群)となります。

理論OR、論理AND、集合の合併、集合の共通部分などは、いずれも可換でベキ等な演算になっています。つまり、それらの演算に注目してベキ等可換モノイドを作れます。ベキ等可換モノイドがアーベル群になるのはどういうときでしょう? あるいは、ベキ等アーベル群とはいかなるものでしょうか?

Mがベキ等アーベル群だとして、x∈M を取ってくると、Mはベキ等なので x + x = x 、Mはアーベル群なので -x がありますから、両辺に -x を足して x + x + (-x) = x + (-x) 、計算して x = 0 。つまり、M = {0} です。

ベキ等アーベル群は自明な単元群に限るのです。事実上、ベキ等アーベル群はないに等しいのです。別な言い方をすると、ベキ等であることと逆元を持つことは両立せず、ベキ等可換モノイドと逆元を持つ可換モノイド(アーベル群)は、完全に分離された世界を形成しています({0}が接点ですが、無視できる接点です)。

可逆な元と消約可能な元

Mが可換モノイドとして、x∈M に対して x + x' = 0 となるx'が存在するとします。すると、x'はxの逆元です。逆元が存在する元は可逆(invertible)と呼びます。Mの可逆な元の全体を Inv(M) とします。

Inv(M) は空ではありません。0が可逆だからです。Inv(M)はMの部分モノイドですが、アーベル群であるような部分モノイドで最大のものです。Inv(M)が大きいほどMはアーベル群に近く、特に Inv(M) = M ならMはアーベル群です。

前節の結果は、「可換モノイドMがベキ等ならば、Inv(M) = {0}」ということです。ベキ等可換モノイドはアーベル群成分をまったく含まない、ということですね。

「可逆」という性質を少し弱めたものとして「消約可能」という性質があります。a∈M が消約可能(cancellable)とは次のことです。

  • 任意の x, y∈M に対して、a + x = a + y ならば x = y である。

a∈M に対して、λx∈M.(a + x) という写像 M→M を定義すると、この写像単射ならaは消約的です。

Mの消約可能な元の全体をCanc(M)とします。aが可逆なら消約可能となるので、Inv(M)⊆Canc(M) です。Canc(M)の大きさも、アーベル群との“近さ”を計る尺度となるでしょう。

Canc(M) = M 、つまりCanc(M)が最大となる可換モノイドを消約的可換モノイド(cancellative commutative monoid)と呼びます。小学校以来お馴染みの可換モノイド N = ({0, 1, 2, ...}, +, 0) は消約的可換モノイドです。次の消約律 (cancellation property、cancellation law)が成立します。

  • a, n, m∈N に対して、a + n = a + m ならば n = m 。

Nでは、Inv(N) = {0} で、可逆元は全然ないのですが、Canc(N) は最大であり、すべての元が消約可能です。

ベキ等性と消約可能性

可換モノイドMのなかで、x + x = x (ベキ等)であるような元xの全体をIdem(M)とします。Idem(M)は空ではありません。0がベキ等だからです。Idem(M)はMの部分モノイドとなります。特に、Idem(M) = M ならMはベキ等可換モノイドです。

Idem(M)∩Canc(M) がどうなっているか見てみましょう。a∈M がベキ等な元だとします。もしaが消約的でもあるなら、a = a + a = a + 0 から a = 0 が導けます。これから、Idem(M)∩Canc(M) = {0} です。

Idem(M)とCanc(M)は(ほぼ)排他的なので共存することは出来ず、片方が大きくなるともう一方が小さくなります。最初に「ベキ等なアーベル群はつまらない」で述べた結果は、 Idem(M)∩Inv(M) = {0} と同じ意味です。これは、Inv(M)⊆Canc(M) と Idem(M)∩Canc(M) = {0} から出るものでした。

有限な消約的可換モノイド

ちょっと横道にそれますが、Mが消約的可換モノイドで、台集合が有限だとします。このとき、Mはアーベル群になります。

Mは消約的なので、すべての元は消約可能です。これは、 a∈M に対して λx∈M.(a + x):M→M が単射なことでした。有限集合Mにおいて、M→M という単射全射でもあるので、全単射となり λx∈M.(a + x) は可逆です。つまり、任意の b∈M に対して、方程式 a + x = b が一意的に解けるわけです。b = 0 と置いたときの解(xの値)がaの逆元を与えます。

この事実は、消約的可換モノイドがアーベル群に近いことを示唆するでしょう。しかし、有限集合のときに「消約的可換モノイド = アーベル群」であっても、台集合が無限になると、アーベル群とは違った様相になることは注意すべきです。

ω-総和可能性と消約可能性

引き算と無限個の足し算は両立しない」において、ゼロ和自由という概念を出しました。可換モノイドMに対して、その定義を繰り返し述べておくと、Mがゼロ和自由(zerosumfree)とは、

  • x, y∈M、x + y = 0 ならば、x = y = 0 。

これは、「可逆な元は0に限る」と言っているので、Inv(M) = {0} と同じことです。

  • Mがゼロ和自由 ⇔ Inv(M) = {0}

引き算と無限個の足し算は両立しない」で述べた結果は次のように言い換えられます。

  • Mがω-総和可能ならば、Inv(M) = {0}

ω-総和可能性が、Inv(M)の大きさを最小に縮めてしまうのです。では、ω-総和可能性とCanc(M)の関係はどうでしょう?

N = N∪{∞} を例に考えてみましょう。足し算は ∞ + n = ∞ として定義します。無限和が発散するときは、値を∞にしてしまうことにより、Nはω-総和可能に出来ます。

ω-総和可能な可換モノイドNにおいて、Inv(N) はもちろん{0}ですが、Canc(N)はけっこう大きいのです。Canc(N) = N であることが分かるでしょう。

これから、Mがω-総和可能だからといって、Canc(M)が小さくなるわけではないのが分かります。しかし、Nの例でも Canc(M) = M は成立していません。次の形の命題は言えそうです。

  • Mがω-総和可能ならば、Canc(M) ≠ M

オッと、M = {0} ならば、「Mがω-総和可能、かつ Canc(M) = M」となるので条件を加えましょう。

  • Mが{0}ではなくてω-総和可能ならば、Canc(M) ≠ M

Mは{0}ではないので、a≠0 である a∈M を取れます。aを可算無限個足した値をbとします。

  • b = a + a + a + ...

Mはω-総和可能なので、bは確定して b∈M となります。次の計算をします。

b = a + a + a + ...
b = a + (a + a + ...)
b = a + b
b + 0 = b + a

もしbが消約可能ならば、0 = a が導けます。しかし、aは0でないと最初から仮定しているのでこれは起こりえず、bは消約可能ではありません。Mのなかに消約可能でない元bが存在するので、Canc(M) = M は否定されて、Canc(M) ≠ M です。

このことから、ω-総和可能な可換モノイドでは消約律を維持することは出来ず、どこかで消約可能性が壊れていることが分かります。実際、Nでも、∞ + 0 = ∞ + 1 ですが、0 = 1 は導けません。

何が分かったか

可逆性や消約可能性は、可換モノイドがアーベル群に近いことを計る尺度で、Inv(M)やCanc(M)が大きければ、Mが扱いやすくなることが期待できます。(実際のところ、意味不明・中途半端に大きくても仕方ないでしょうが。)

ところが、ベキ等性はCanc(M)を{0}に潰してしまいます。Inv(M)⊆Canc(M) なので、当然にInv(M)も潰れます。ω-総和可能性もInv(M)を{0}に潰します。Canc(M)は、ω-総和可能性のもとでもある程度の大きさを保てますが、Canc(M) = M になることは許されません。

ベキ等性やω-総和可能性が成立する世界にいる限り、可逆性や消約可能性の恩恵は受けられないのです。引き算や消約律を使った議論は成立しないので、諦めるか他の手段を使うしかありません。