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参照用 記事

幾何代数、クリフォード代数って何だ?

先日行われた「量子と古典の物理と幾何@オンライン」において、中村匡〈Tadas Nakamura 中村匡 (@gandhara16) | Twitter〉さん(面識はないのですが「さん」と呼ばせていただきます)が時空代数とかマルチベクトルとかを紹介されていて、面白そうだなと思いました。その後、ブレークアウトルーム(中村さんは不在)で会話したことは:

  1. 微分形式(外積が入った双対空間)に似ているところがあるが、双対空間を取る必要はないようだ。
  2. スカラーもベクトルも“混ぜ混ぜ”に掛け算できるのが嬉しいみたいだ。

どうやら、ジョニー〈Hiroki Fukagawa (@hiroki_f) | Twitter さん〉もこの話題に興味を持ったようです。

内容:

オーバービュー

$`\newcommand{\G}{\mathcal{G}}
\newcommand{\mcl}[1]{\mathcal{#1} }
\newcommand{\mrm}[1]{\mathrm{#1} }
\newcommand{\Iff}{\Leftrightarrow}
\newcommand{\Imp}{\Rightarrow}
\newcommand{\BR}[1]{\langle #1 \rangle}
\require{color}
\newcommand{\Keyword}[1]{ \textcolor{green}{\text{#1}} }%
\newcommand{\For}{\Keyword{For } }%
\newcommand{\Define}{\Keyword{Define } }%
\newcommand{\Where}{\Keyword{Where } }%
%`$とりあえず、次のテキストの第2章 "Foundations" だけ斜め読みしてみました。

  • Title: Clifford algebra, geometric algebra, and applications
  • Authors: Douglas Lundholm and Lars Svensson
  • Date: 30 Jul 2009
  • Pages: 117p
  • URL: https://arxiv.org/abs/0907.5356

幾何代数/クリフォード代数と呼ばれるモノを次の三種類に分類するのが良さそうです。

  1. 抽象幾何代数〈abstract geometric algebra〉
  2. 具象幾何代数〈concrete geometric algebra〉
  3. 組み合わせクリフォード代数〈combinatorial Clifford algebra〉

抽象幾何代数は、体 $`K`$ 上の二次形式付きベクトル空間(後述) $`V = (V, q)`$ から構成される結合的単位的代数〈associative unital algebra〉$`\G(V)`$ です。体 $`K`$ は標数0である必要はなく、ベクトル空間 $`V`$ の次元も任意です。定義は圏論的普遍性に基づくもので、その意味で一般的かつ抽象的です。

具象幾何代数は、ベクトル空間のスカラー体〈係数体 | 基礎体〉を実数体 $`{\bf R}`$ に固定して、二次形式付き有限次元ベクトル空間 $`V = (V, q)`$ に制限した場合の $`\G(V)`$ です。有限次元なので、基底を取って具体的に計算できます。ユークリッド的3次元空間や、ミンコフスキー的〈ローレンツ的〉4次元時空に幾何的掛け算〈幾何積 | geometric product〉を載せた代数構造は具象幾何代数です。

具象幾何代数において、「基底を取って具体的に計算する」メカニズムに注目して、そのメカニズムを組み合わせ的に抽出して得られる構造が組み合わせクリフォード代数です。幾何的フレーバーを残す必要はないので、スカラーは可換環に一般化できます。基底付きで考えた具象幾何代数は、組み合わせクリフォード代数の事例〈インスタンス〉となります。

この記事では、幾何代数に関して、圏論的スピリッツを持つ抽象的定義から始めて、具体的な計算器具〈computing device〉をセットアップするまでの流れを概観します。

ニ次形式付きベクトル空間

$`K`$ を(必ずしも標数0とは限らない)体として、$`V`$ を(必ずしも有限次元とは限らない)$`K`$ 上のベクトル空間とします。スカラー値の関数 $`q:V \to K`$ が次を満たすときニ次形式〈quadratic form〉と呼びます。($`\lambda`$ はラムダ計算のラムダ抽象記号です。)

  1. $`\forall \alpha \in K, v\in V.\, q(\alpha v) = \alpha^2 q(v)`$
  2. $`\lambda\, (v, w) \in V\times V. q(v + w) - q(v) - q(w) \,:V\times V \to K`$ が双線形形式になる。

$`q`$ はスカラー倍作用に二乗で反応する関数ですが、内積のような“スカラー値掛け算”で与えられると思っていいものです。少し発見的な議論をしましょう; 二次形式のもとになっている(と想定される)スカラー値掛け算をドット '$`\,\cdot\,`$' で書くと:

$`\quad q(v) = v\cdot v`$

$`q`$ の引数〈argument〉に $`v + w`$ を入れてみると:

$`\quad
q( v + w) \\
= (v + w)\cdot (v + w) \\
= v\cdot v + v\cdot w + w \cdot v + w \cdot w \\
= q(v) + v\cdot w + w \cdot v + q(w)`$

これから、

$`\quad v\cdot w + w \cdot v = q(v + w) - q(v) - q(w)`$

この等式の左辺(したがって右辺)で表される量の 1/2 を $`\beta = \beta_q`$ と置きます。$`\beta`$ の定義は発見的なものではなくてオフィシャルな定義となります。なお、標数2の体だと $`2 = 1 + 1 = 0`$ となって2で割れないので、以下、体 $`K`$ は標数2ではないと仮定します。

$`\For q \:\text{ a quadratic form on }V\\
\Define \beta = \beta_q := \lambda\, (v, w)\in V\times V.\, \frac{1}{2}(q(v + w) - q(v) - q(w))`$

$`\beta = \beta_q`$ を二次形式 $`q`$ の偏極双線形形式〈polarization〉と呼びます。定義から、偏極双線形形式は対称双線形形式です。次の等式(和の平方展開公式)が成立します。

$`\quad q(v + w) = q(v) + 2\beta(v, w) + q(w)`$

任意の双線形形式 $`b:V\times V \to K`$ が与えられたとき、$`b`$ をスカラー値掛け算だと思って二次形式 $`q = q_b`$ を定義できます。

$`\For b \:\text{ a bilinear form on }V\times V\\
\Define q = q_b := \lambda\, v\in V.b(v, v) \,: V \to K`$

$`q = q_b`$ に対する偏極双線形形式 $`\beta_q`$ はもとの双線形形式(スカラー値掛け算)$`b`$ の対称化になっています。

$`\quad \beta_q(v, w) = \frac{1}{2}(b(v, w) + b(w, v))`$

次のことは心に留めておいてください; 二次形式 $`q`$ がなんらかの積〈双線形形式〉'$`\,\cdot\,`$' から誘導されたモノである場合、$`q`$ の偏極双線形形式 $`\beta`$ の2倍は“積の反交換子〈anticommutator〉”になっています。

$`\quad 2\beta(v, w) = v\cdot w + w\cdot v`$

交換子〈commutator〉$`v\cdot w - w\cdot v`$ は、積の“可換性からのズレ”を測る量ですが、反交換子は、積の“反可換性〈交代性〉からのズレ”を測ります。もし、偏極双線形形式がゼロなら、もとの積〈双線形形式〉は反可換〈交代〉です。

$`K`$ 上のベクトル空間 $`V`$ に二次形式 $`q:V \to K`$ を一緒にした構造 $`(V, q)`$ を二次形式付きベクトル空間〈vector space with quadratic form〉と呼びます。記号の乱用により、$`V = (V, q)`$ とも書きます。

内積ベクトル空間は、双線形形式を備えたベクトル空間なので、そこから二次形式付きベクトル空間を定義できます。内積の条件である非退化性・正定値性・対称性がなくても二次形式付きベクトル空間は作れます。極端な例として、値が常にゼロな二次形式を $`z`$ として、$`(V, z)`$ は立派な(?)二次形式付きベクトル空間です。

抽象幾何代数

二次形式付きベクトル空間 $`V = (V, q)`$ では、スカラー値としての“ベクトルの二乗”は定義されていますが、通常の掛け算、つまり結合的単位的二項演算〈associative unital binary operation〉は持ちません。“ベクトルの二乗”をうまく拡張する形で掛け算が定義できないでしょうか?

$`A`$ が、通常の掛け算を備えたベクトル空間、つまり結合的単位的代数〈associative unital algebra〉だとします。$`A`$ が二次形式付きベクトル空間 $`V`$ の拡張になっているということは、$`V`$ を $`A`$ に埋め込む線形写像 $`f`$ が存在することです。(現時点では、$`f`$ が埋め込みであるとは断言しませんが、気持ちは埋め込みのつもり。)

$`\quad f: V \to A \:\text{ a nice linear map}`$

二次形式 $`q`$ の役割・機能性(ベクトルの二乗であること)も、うまいこと $`A`$ に埋め込めることは次の可換図式で表現できます。

$`\require{AMScd}
\begin{CD}
V @>{f}>> A \\
@V{q}VV @VV{\Delta}V\\
K @. A\times A\\
@| @VV{m}V\\
K @>{u}>> A
\end{CD}\\
\text{where }\\
\quad \Delta := \lambda\, a\in A. (a, a) \:: A \to A\times A\\
\quad m := \lambda\, (a, b)\in A\times A. ab \:: A\times A \to A\\
\quad u := \lambda\, \alpha\in K.\alpha 1 \:: K \to A`$

可換図式の条件を等式で書くなら:

$`\quad \forall v\in V.\, f(v)f(v) = q(v) 1`$

仮に $`v`$ と埋め込み像 $`f(v)`$ を同一視して $`v = f(v) \in A`$ とするなら、上の等式は次のように書けます。

$`\quad \forall v\in V \subseteq A.\, vv = q(v) 1`$

つまり、$`A`$ に埋め込まれた $`v`$ の二乗(スカラーと思ってよい)は、もとの二次形式による値 $`q(v)`$ と一致します。「ベクトルの二乗」という演算は $`A`$ への拡張で保存されるわけです。

そんな“うまい結合的単位的代数” $`A`$ と“うまい線形写像” $`f:V \to A`$ が在るかどうかは一旦棚上げにして、“うまい結合的単位的代数”のなかで普遍的(あるいは規準的)なヤツを定義しましょう。

$`f:V \to A`$ と $`g:V \to B`$ が上記の条件を満たす“うまい結合的単位的代数”だとします。結合的単位的代数の準同型写像 $`\psi: A \to B`$ であって、下の可換図式を満たすものを“うまい結合的単位的代数”のあいだの準同型写像とします。

$`\begin{CD}
A @>{\psi}>> B \\
@A{f}AA @AA{g}A \\
V @= V
\end{CD}`$

$`V = (V, q)`$ に対して“うまい結合的単位的代数”達と、そのあいだの準同型写像達は圏を形成します。この圏の始対象(があれば、それ)は普遍的(あるいは規準的)な“うまい結合的単位的代数”だと言えます。

二次形式付きベクトル空間 $`V = (V, q)`$ に対して、普遍的な“うまい結合的単位的代数”を $`V`$ の幾何代数と呼び、$`\G(V) = \G(V, q)`$ と書くことにします。この定義はだいぶ抽象的なので、「オーバービュー」で抽象幾何代数と呼んだのです。

定義の仕方から、二次形式付きベクトル空間 $`V`$ に対する幾何代数 $`\G(V)`$ が存在するならば、(“うまい結合的単位的代数”の圏内で)up-to-iso で一意的に存在します。

$`V`$ の幾何代数 $`\G(V)`$ がホントに存在することを示すには、$`V`$ のテンソル代数 $`\mcl{T}(V)`$ の商代数として幾何代数を構成します。アイディアとしては、幾何代数内で $`vv = q(v)1`$ が成立して欲しいので、$`vv - q(v)1`$ 達で生成される両側イデアルでテンソル代数 $`\mcl{T}(V)`$ を割ってやります。当該の両側イデアルを $`\mcl{I}`$ とすると:

$`\quad \G(V) := \mcl{T}(V)/\,\mcl{I}`$

規準的な埋め込み〈構造射〉$`V \to \G(V)`$ も自然に構成できます。

この構成の詳細は「オーバービュー」に挙げたテキスト Clifford algebra, geometric algebra, and applications などを参照してください。

具象的セッティング:直交フレーム

抽象幾何代数は実感がわかないので、手でさわれるように、実数体 $`{\bf R}`$ 上の有限次元ベクトル空間 $`V`$ をベースに考えましょう。$`(V, q)`$ は、二次形式付き有限次元実ベクトル空間とします。

二次形式付き有限次元実ベクトル空間 $`V`$ において、ベクトルの直交性〈orthogonality〉を定義します(直交性は有限次元実でなくても定義できますが)。

$`\For v, w\in V\\
\Define v \perp w :\Iff q(v + w) = q(v) + q(w)`$

ピタゴラスの定理(とその逆)とのアナロジーから直交性を定義しています。偏極双線形形式 $`\beta = \beta_q`$ を使えば次のように書けます。

$`\For v, w\in V\\
\Define v \perp w :\Iff \beta(v, w) = 0`$

偏極双線形形式 $`\beta`$ は“内積のようなもの”なので、「直交するとは内積ゼロ」というお馴染みの定義です。

$`V`$ では、有限集合である基底を取れますが、基底ベクトルに番号を付けたフレーム〈frame〉を考えます。$`V`$ のフレーム $`\{e_1, \cdots, e_n\}`$ は、線形同型写像 $`{\bf R}^n \to V`$ と同一視できます(無理に同一視しなくてもいいですけど)。

フレームが直交している〈orthogonal〉とは、フレームに所属するどの2つのベクトルを取っても直交していることです。

$`\For \{e_1, \cdots, e_n\} \in \mrm{Frame}(V)\\
\Define \text{IsOrthogonal}(\{e_1, \cdots, e_n\}) :\Iff \\
\quad \forall i, j \in \{1, \cdots, n\}.\, i\ne j \Imp e_i \perp e_j`$

どんな二次形式付き有限次元実空間 $`V`$ でも、直交フレームが存在します。そのことは次のように書けます。

$`\forall (V, q) \in (\text{The set of (finite dim. real vector space with quadratic form)s}).\\
\quad \exists \{e_1, \cdots, e_n\} \in \mrm{Frame}(V).\, \text{IsOrthogonal}(\{e_1, \cdots, e_n\})`$

これは、おおよそ次のように示します; 二次形式 $`q`$ がゼロのときは任意のフレームが直交フレームなので、直交フレームが存在すると言えます。$`q(v) \ne 0`$ であるベクトルがあるとき、$`v`$ の直交補空間 $`W`$ が取れます。$`W`$ は次元が1下がった部分ベクトル空間〈超平面〉です。部分ベクトル空間 $`W`$ 内に直交フレームを取れるなら、そのフレームに $`v`$ を付け足したものは $`V`$ の直交フレームになります。次元に関する数学的帰納法の体裁を整えれば、任意有限次元の $`(V, q)`$ に対して「直交フレームの存在」を主張できます。

$`\{e_1, \cdots, e_n\} = \{e_i\}_{i\in \{1, \cdots, n\}}`$ を $`V = (V, q)`$ の直交フレームだとします。直交フレームに所属するベクトルの“長さの二乗” $`q(e_i)`$ は、次のように場合分けできます。

  1. $`q(e_i) \gt 0`$
  2. $`q(e_i) \lt 0`$
  3. $`q(e_i) = 0`$

物理的用語を拝借するなら、それぞれ、空間方向、時間方向、ヌル方向の軸を張るベクトルと言えるかも知れません。物理的時空と違うのは、直交フレームのベクトルとしてヌルベクトルが登場する可能性があるので、ヌルベクトル達がゼロではない部分ベクトル空間をガッツリ張るかも知れないことです。これは、長さや内積に退化〈degenerate〉を許しているからです。

物理的用語を使い続けることにして; 与えられた直交フレーム内の空間的ベクトル、時間的ベクトル、ヌルベクトルの本数を勘定して $`(n_+, n_-, n_0)`$ とします。もちろん次の等式が成立します。

$`\quad n_+ + n_- + n_0 = n = \mrm{dim}(V)`$

自然数の三つ組 $`(n_+, n_-, n_0)`$ は、直交フレームの取り方に寄らないことが示せます(シルベスターの慣性律)。よって、$`(n_+, n_-, n_0)`$ は二次形式付き有限次元実ベクトル空間 $`(V, q)`$ を特徴づける量だと言えます。

$`\quad (n_+, n_-, n_0) = (n_+, n_-, n_0)_V = (n_+, n_-, n_0)_{(V, q)}`$

を、$`V = (V, q)`$ の符号〈signature〉と呼びます。$`q`$ が(あるいは、$`\beta = \beta_q`$ が)非退化なら $`n_0 = 0`$ です。よく出会う例は非退化のケースが多いです。

直交フレームのベクトルがヌルベクトルでない(i.e $`q(e_i) \ne 0`$)とき、$`1/{\sqrt{q(e_i)}}`$ でスカラー倍して正規化してやると、正規直交フレーム〈orthonormal frame〉ができます。ただし、正規直交フレームのベクトルの長さ(の二乗)が 0 や -1 かも知れないので注意してください。

具象幾何代数の構造定数行列

引き続き $`V = (V, q)`$ は二次形式付き有限次元実ベクトル空間だとします。$`V`$ のフレーム(直交とも正規とも仮定しない) $`E = \{e_i\}_{i \in \{ 1, \cdots, n\}}`$ から、次のような行列 $`M`$ を作っておきます。

$`\For E = \{e_i\}_{i \in \{ 1, \cdots, n\}} \:\text{ a frame of }V\\
\Define M := (\mu_{i, j})_{i, j\in \{1, \cdots, n\}}\\
\Where\\
\quad \mu_{i, i} := q(e_i)\\
\quad \mu_{i, j} := 2\beta_q(e_i, e_j) \:\text{ if } i\ne j`$

行列 $`M`$ は、二次形式付き有限次元実ベクトル空間 $`(V, q)`$ と選んだフレーム $`E`$ から一意的に決まるので、

$`\quad M = M(V, q, E)`$

のように書くべきでしょうが、記法を簡略化するために単に $`M = (\mu_{i, j})`$ と書きます。

フレーム付き二次形式付き有限次元実ベクトル空間(長い!)$`V = (V, q, E)`$ から作られた実係数のn×n行列 $`M`$ は、$`(V, q)`$ の構造を決める情報を含んでいます。それだけではなく、$`V = (V, q)`$ から作られる具象幾何代数 $`\G(V)`$ の構造も $`M`$ にエンコードされています。以下、この事情を見ていきます。

一般に(有限次元実でなくても)、二次形式付きベクトル空間 $`V = (V, q)`$ から(抽象的に)作られた幾何代数 $`\G(V)`$ の掛け算は幾何積〈geometric product〉と呼びます。定義より、幾何積は結合的単位的です。幾何代数の幾何積は要素の併置 $`a b`$ で書きますが、紛らわしいときは明示的なドット $`a\cdot b`$ も使います。

「抽象幾何代数」の節では、$`V`$ の幾何代数 $`\G(V)`$ を、テンソル代数 $`\mcl{T}(V)`$ の商代数として構成したのですが、この構成手順を $`V`$ のフレーム $`E`$ を使って具体的に噛み砕いて言えば以下のようになります。

  1. フレーム $`E`$ のベクトル達の形式的な(記号的な)積 $`e_i\cdot e_j, (e_i\cdot e_j) \cdot e_k, e_i\cdot (e_j \cdot e_k)`$ などを準備する。積は結合的だと仮定して、$`(e_i\cdot e_j) \cdot e_k = e_i\cdot (e_j \cdot e_k) = e_i\cdot e_j \cdot e_k`$ のような同一視をする。積の可換性は仮定してないので、$`e_i\cdot e_j = e_j \cdot e_i`$ のような同一視はしない。
  2. フレーム $`E`$ のベクトル達、上の手順で作った $`E`$ のベクトル達の形式的積、それと記号 $`1`$ を基底とする形式的実係数線形結合をすべて考える。例えば、$`2\BR{1} + 1\BR{e_1} + (-1)\BR{e_2} + \frac{1}{2} \BR{e_1\cdot e_3 \cdot e_3}`$ はそのような線形結合。記法が混乱しないように、基底の要素は山形括弧で囲んだ。
  3. 上の手順で作った線形結合達の足し算と非可換掛け算は、掛け算の交換法則以外“通常の”計算法則に従って計算してよい。
  4. $`e_i\cdot e_i = \mu_{i, i}`$ と $`e_i\cdot e_j + e_j\cdot e_i = \mu_{i, j} \:(i \ne j)`$ を計算法則として使ってよい。

最後の計算法則は、より紛れなく山形括弧付きで書くなら次のようです。

  1. $`\BR{e_i\cdot e_i} = \mu_{i, i}\BR{1}\:\text{ in }\G(V)`$
  2. $`\BR{e_i\cdot e_j} + \BR{e_j\cdot e_i} = \mu_{i, j}\BR{1} \:(i \ne j) \:\text{ in }\G(V)`$

一番目は二乗の法則、二番目は反交換関係です。

今述べた手順で $`(V, q, E)`$ から具象的に構成された幾何代数 $`\G(V)`$ を(「オーバービュー」で言ったように)具象幾何代数と呼びます。具象幾何代数 $`\G(V)`$ の要素はマルチベクトル〈multivector〉と呼びます(抽象幾何代数の要素もマルチベクトルというかも知れません)。

具象幾何代数は、生成元と関係〈generators and relations〉で定義されているので、機械的な計算が可能です。関係を決めているのは、$`(V, q, E)`$ から作った行列 $`M = (\mu_{i, j})`$ です。このことから、行列 $`M`$ は、$`V`$ の、あるいは具象幾何代数 $`\G(V)`$ の構造定数行列〈structure constants matrix〉と呼んでいいでしょう。

正規直交フレームを使った具体例

二次形式付き有限次元実ベクトル空間 $`(V, q)`$ のフレームとして、前々節で述べた正規直交フレームを取ります。正規直交フレーム付き二次形式付き有限次元実ベクトル空間 $`(V, q, E)`$ の構造定数行列は次のように単純化されます。

$`\quad M = (\mu_{i, j})_{i, j\in \{1, \cdots, n\}}\\
\Where\\
\quad \mu_{i, i} \in \{1, -1, 0\}\\
\quad \mu_{i, j} := 0 \:\text{ if } i\ne j`$

$`M`$ の対角成分は 1, -1, 0 のいずれかで、非対角成分はすべて 0 です。

計算法則の形は次のようになります。(念のため山形括弧を付けてますが、後では括弧を外します。)

  1. $`\BR{e_i\cdot e_i} = (1 \text{ or } (-1) \text{ or } 0)\BR{1}\:\text{ in }\G(V)`$
  2. $`\BR{e_i\cdot e_j} + \BR{e_j\cdot e_i} = 0 \:(i \ne j) \:\text{ in }\G(V)`$

二番目の法則(反交換関係)から幾何積は反対称〈交代的〉であることが分かります。

となると、フレーム(あるいは基底)のベクトルの二乗 $`e_i e_i = e_i\cdot e_i`$ の値を、1, -1, 0 から指定すれば構造定数行列が確定します。

ユークリッド平面

非自明で一番簡単な例はユークリッド平面でしょう。

  • $`V := {\bf R}^2`$
  • $`q(v) = q( (v_1, v_2)) := v_1^2 + v_2^2`$
  • $`\beta(v, w) = \beta( (v_1, v_2), (w_1, w_2)) := v_1 w_1 + v_2 w_2`$
  • $`E = \{e_1, e_2\},\; e_1 = (1, 0), \, e_2 = (0, 1)`$

上記のセッティングで正規直交フレーム付き二次形式付き2次元実ベクトル空間 $`(V, q, E)`$ を考えた場合、その構造定数行列は2次単位行列になります。

$`\quad \begin{pmatrix}
1 & 0 \\
0 & 1
\end{pmatrix}`$

対応する計算法則は:

  1. $`e_1\cdot e_1 = 1`$
  2. $`e_2\cdot e_2 = 1`$
  3. $`e_1\cdot e_2 = - e_2\cdot e_1`$

$`e_1\cdot e_2\cdot e_1`$ のような“三重積”は、上記の計算法則から通常の〈1階の〉ベクトルに落ちてしまいます。

$`\quad
e_1\cdot e_2\cdot e_1\\
= e_1\cdot (e_2\cdot e_1)\\
= - e_1\cdot (e_1\cdot e_2)\\
= - (e_1\cdot e_1)\cdot e_2\\
= - (1) \cdot e_2\\
= - e_2`$

$`(V, q, E)`$ から作った具象幾何代数 $`\G(V)`$ の基底集合は:

$`\quad \{1, e_1, e_2, e_1\cdot e_2\}`$

0から3で番号つけてフレームにしましょう。

  1. $`X_0 := 1`$
  2. $`X_1 := e_1`$
  3. $`X_2 := e_2`$
  4. $`X_3 := e_1\cdot e_2`$

このフレームを使って、$`\G(V)`$ の要素 = マルチベクトル は次の形に書けます。線形結合のスカラー係数は上付き添字にしています。

$`\quad \xi^0 X_0 + \xi^1 X_1 + \xi^2 X_2 + \xi^3 X_3 \,\:(\xi^i \in {\bf R})`$

番号だけ抜き出した掛け算九九の表(横方向に第一因子)は次のようになります。△はマイナスを表します。例えば、△3 と書いてある欄は $`X_2 X_1 = X_2 \cdot X_1 = -X_3`$ を意味します。

0 1 2 3
0 0 1 2 3
1 1 0 △3 △2
2 2 3 0 1
3 3 2 △1 △0

この簡単な例からも、幾何代数の特徴が分かります。

  • スカラーとベクトルと疑スカラー($`X_3 = e_1\cdot e_2`$ の部分)を混ぜた計算ができる。
  • スカラーとスカラーの幾何積は、通常のスカラーの掛け算。
  • 異なる2つのベクトルの幾何積は、外積と同じ。
  • 同一のベクトルの幾何積は、ユークリッド計量〈長さ〉の二乗。
  • 疑スカラーと疑スカラーの幾何積は、対応するスカラーの積の -1 倍。
  • したがって、$`X_0 = 1`$ と $`X_3 = e_1\cdot e_2`$ から生成される2次元部分代数は複素数体 $`{\bf C}`$ と同型になる。(複素数体は、負定値二次形式を備えた1次元ユークリッド空間の幾何代数としても得られます。)
ミンコフスキー平面

次に、$`{\bf R}^2`$ に、符号 $`(1 , 1)`$ のミンコフスキー計量〈ローレンツ計量〉を入れた二次形式付き2次元実ベクトル空間を考えます。

  • $`V := {\bf R}^2`$
  • $`q(v) = q( (v_1, v_2)) := v_1^2 - v_2^2`$
  • $`\beta(v, w) = \beta( (v_1, v_2), (w_1, w_2)) := v_1 w_1 - v_2 w_2`$
  • $`E = \{e_1, e_2\},\; e_1 = (1, 0), \, e_2 = (0, 1)`$

このセッティングにおける正規直交フレーム付き二次形式付き2次元実ベクトル空間 $`(V, q, E)`$ の構造定数行列は次の行列になります。

$`\quad \begin{pmatrix}
1 & 0 \\
0 & -1
\end{pmatrix}`$

対応する計算法則は:

  1. $`e_1\cdot e_1 = 1`$
  2. $`e_2\cdot e_2 = -1`$
  3. $`e_1\cdot e_2 = - e_2\cdot e_1`$

ユークリッド平面のときと同様に、$`X_0, X_1, X_2, X_3`$ というフレームを作れます。掛け算九九の表は以下のとおり。

0 1 2 3
0 0 1 2 3
1 1 0 △3 △2
2 2 3 △0 △1
3 3 2 1 0

ユークリッド平面の場合とは違った幾何代数が出来上がります。

ヌル平面

$`{\bf R}^2`$ に、値が常に 0 になる二次形式を一緒にした二次形式付き2次元実ベクトル空間を考えてみましょう。

  • $`V := {\bf R}^2`$
  • $`q(v) = q( (v_1, v_2)) := 0`$
  • $`\beta(v, w) = \beta( (v_1, v_2), (w_1, w_2)) := 0`$
  • $`E = \{e_1, e_2\},\; e_1 = (1, 0), \, e_2 = (0, 1)`$

この場合の構造定数行列はゼロ行列です。

$`\quad \begin{pmatrix}
0 & 0 \\
0 & 0
\end{pmatrix}`$

対応する計算法則は:

  1. $`e_1\cdot e_1 = 0`$
  2. $`e_2\cdot e_2 = 0`$
  3. $`e_1\cdot e_2 = - e_2\cdot e_1`$

これは、$`{\bf R}^2`$ 上の標準的外積代数と同型になります。

一般に、値が常に 0 になる二次形式を $`z`$ 、有限次元実ベクトル空間 $`V`$ の外積代数を $`\bigwedge(V)`$ と置くと次が成立します。

$`\quad \G(V, z) \cong \bigwedge(V) = \sum_{k = 0}^\infty \bigwedge^k(V)`$

反ユークリッド平面

通常のユークリッド平面とは符号が逆、つまり負定値な二次形式を考えます。

  • $`V := {\bf R}^2`$
  • $`q(v) = q( (v_1, v_2)) := - v_1^2 - v_2^2`$
  • $`\beta(v, w) = \beta( (v_1, v_2), (w_1, w_2)) := - v_1 w_1 - v_2 w_2`$
  • $`E = \{e_1, e_2\},\; e_1 = (1, 0), \, e_2 = (0, 1)`$

構造定数行列は次の行列になります。

$`\quad \begin{pmatrix}
-1 & 0 \\
0 & -1
\end{pmatrix}`$

対応する計算法則は:

  1. $`e_1\cdot e_1 = -1`$
  2. $`e_2\cdot e_2 = -1`$
  3. $`e_1\cdot e_2 = - e_2\cdot e_1`$

$`i := e_1, j := e_2, k := ij = e_1 \cdot e_2`$ と置きます。すると、次の法則が成立します。

$`\quad i^2 = j^2 = ijk = -1`$

これらの関係から、$`\G(V)`$ がハミルトンの四元数代数に同型になることが分かります。

空間代数、時空代数

以上、最も簡単な次元 2 のケースを例示しました。一般に、ユークリッド計量から導かれる具象幾何代数を空間代数〈space algebra〉、ローレンツ計量から導かれる具象幾何代数を時空代数〈space-time algebra〉と呼ぶようです。次元が 3, 4 の空間代数/時空代数はリアリティがある対象物ですね。

組み合わせクリフォード代数ちょこっと

具象幾何代数 $`\G(V)`$ の計算に使った $`V`$ の正規直交フレーム $`E`$ を、有限個のベクトルの全順序集合〈totally ordered set〉と考えます。$`e_1 \lt \cdots \lt e_n`$ と順序が付いているということです。

幾何積が反対称であることから、幾何代数 $`\G(V)`$ を張る基底は、昇順の添字 $`j_1 \lt \cdots \lt j_r`$ に対する積 $`e_{j_1}\cdot \cdots \cdot e_{j_r}`$ 達の集まりとすればいいことが分かります。このタイプの昇順の積は、集合としての $`E`$ の部分集合と1:1に対応します。全順序構造を忘れた単なる集合としての $`E`$ を $`\underline{E}`$ と書くと、次の同型が成立します。

$`\quad \G(V) \cong \mrm{FreeVect}_{\bf R}(\mrm{Pow}(\underline{E}))`$

ここで、$`\mrm{Pow}(-)`$ は集合のベキ集合のことで、$`\mrm{FreeVect}_{\bf R}(-)`$ は集合から構成される自由$`{\bf R}`$-ベクトル空間(形式的線形結合のベクトル空間)のことです。

例えば、$`\underline{E} = \{e_1, e_2 \}`$ (単なる二元集合)の場合であれば:

$`\quad \G(V) \\
\cong \mrm{FreeVect}_{\bf R}(\mrm{Pow}(\underline{E})) \\
= \mrm{FreeVect}_{\bf R}(\mrm{Pow}(\{e_1, e_2\})) \\
= \mrm{FreeVect}_{\bf R}(\{\{\}, \{e_1\}, \{e_2\}, \{e_1, e_2\}\}) \\
\cong {\bf R}\{\} \oplus {\bf R}\{e_1\} \oplus {\bf R}\{e_2\} \oplus {\bf R}\{e_1, e_2\}\\
\cong {\bf R}^4`$

これでベクトル空間はできますが、積を定義するには、$`e_i \mapsto q(e_i)`$ が必要です。逆に、$`e_i \mapsto q(e_i)`$ が与えられれば、自由ベクトル空間に積を導入して結合的単位的代数を構成できます。

この状況からベクトル空間 $`V`$ を消し去って、有限集合 $`\underline{E}`$ から組み合わせ的に結合的単位的代数を構成する手順に注目しましょう。そうすると、組み合わせクリフォード代数の概念が得られます。

組み合わせクリフォード代数〈combinatorial Clifford algebra〉とは、有限集合 $`X`$、可換環(体でなくてもよい)$`R`$、写像 $`r:X \to R`$ から次のように構成される結合的単位的$`R`$-代数です。

  • 代数の台$`R`$-加群〈underlying $`R`$-module〉は自由$`R`$-加群 $`\mrm{FreeModule}_R(\mrm{Pow}(X))`$。
  • 代数の掛け算は次を満たすように定義する。(掛け算は単なる併置で表記。)
    1. $`\For x\in X,\; \{x\}\{x\} = r(x)\{\}`$
    2. $`\For x, y\in X, x\ne y, \; \{x\}\{y\} = - \{y\}\{x\}`$
    3. $`\For A \in \mrm{Pow}(X),\; \{\}A = A\{\} = A`$

構成された結合的単位的$`R`$-代数、つまり組み合わせクリフォード代数を $`\mathcal{Cl}(X, R, r)`$ と書きます。

この定義から分かるように、組み合わせクリフォード代数は、幾何代数のアルゴリズム的側面に注目したものです。具象幾何代数の計算をコンピュータにやらせるとき、組み合わせクリフォード代数として定式化するのが便利そうです。また、必ずしも具象幾何代数とは関係しない組み合わせクリフォード代数固有の応用があるかも知れません。

組み合わせクリフォード代数もなかなか面白そうですが、今日はサワリだけにしておきます。

おわりに

幾何代数/クリフォード代数の幾何積/クリフォード積は、外積やベクトル積〈クロス積〉の台頭で、日陰の存在に追いやられていたようです。実際、幾何積/クリフォード積を知っている人はあまりいないでしょう(僕も知りませんでした)。もっと広く知られ、広く使われてもいいと思いますね。