過去記事「アドホック随伴系と自由対象・台対象」において、次のように書きました。
抽象的構造を記述する際に、その構成素〈constituent〉達の名前(記号ラベルと役割り名)をどう付けるかはどうでもいいのです...[snip]...
名前のズレがあると「どうでもいい」と思っている僕も、実は嫌な気分になります。名前を置き換える作業がけっこうな手間とストレスになるからです。あー、名付けは憂鬱だ!
ラベルの貼り替えや役割り名の置き換えが面倒で嫌だ、という話です。面倒なだけならまだいいのですが、もっと深刻な問題は、ラベル/呼び名が変わると、同一の構造や類似の構造が認識できなくなることです。なんでそんな事態が生じるかというと、我々は「名は体を表す」とか「似た概念には似た名前が付いている」とかを無意識に信じてるからでしょう、たぶん。実際は「名は体を表さない」し「似た概念にまったく違う名前が付いている」こともあります。$`\newcommand{\mrm}[1]{\mathrm{#1}}
\newcommand{\cat}[1]{\mathcal{#1}}
\newcommand{\twoto}{\Rightarrow }
\newcommand{\In}{\text{ in } }
%\newcommand{\Iff}{\Leftrightarrow }
\newcommand{\hyp}{\text{-} }
\newcommand{\op}{\mathrm{op} }
%\newcommand{\id}{\mathrm{id} }
\require{color} % 緑色
\newcommand{\Keyword}[1]{ \textcolor{green}{\text{#1}} }%
\newcommand{\For}{\Keyword{For } }%
\newcommand{\Define}{\Keyword{Define } }%
\newcommand{\Subject}{\Keyword{Subject } }%
`$
内容:
はじめに
「カン拡張の普遍性により」という文言をたまにみかけます。「圏論の普遍性が難しい理由」において:
「普遍性により」とか言われても何の意味だかサッパリ分からない事態になります。
「カン拡張の普遍性」について言えば、「サッパリ分からない」は大げさで、次のような印象は持ちます(少なくとも僕は)。
- カン拡張に関する“なにか”が、カン拡張を定義する“なんか”のメカニズムから、だいたい一意に決まるんだろう。
「少しは分かっている」と言えますが、「ろくに分かってない」とも言えます。もうちょいハッキリさせましょう。
「普遍性」という言葉を使う場合のセッティングは、前層の表現系という構造/系でした。カン拡張の場合は、前層の表現系の特殊ケースであるアドホック随伴系がより適切なセッティングを与えます。前層の表現系とアドホック随伴系については次の記事で書いています。
カン拡張には左と右があります(「それでもカン拡張の左右を忘れてしまう」参照)。ここでは左カン拡張を考えることにします。すると、一般から特殊へと次の系列*1があります。
余前層の余表現系 → 忘却関手を持つアドホック随伴系 → 左カン拡張
一般的枠組みである「余前層の余表現系における余普遍性」が、特殊ケースである左カン拡張ではどうなっているかを見るのが、この記事の目的です。
やることは、ラベルの貼り替えと役割り名の置き換えだけです。
“余前層の余表現系”も“忘却関手を持つアドホック随伴系”も“左カン拡張”も、過去記事で定義と記述はしています。しかし、それぞれに使ったラベルと役割り名はバラバラです。なので、バラバラなラベルと役割り名の対応をとります。ほぼ機械的な作業ですが、憂鬱になる程度に面倒です。
余表現系とアドホック随伴系
余前層の余表現系で使われる記号ラベルと役割り名〈呼び名〉を表にまとめます。内容に関しては「圏論の普遍性が難しい理由」を見てください。
記号ラベル | 役割り名 |
---|---|
$`\cat{C}`$ | (特になし) |
$`F`$ | 余前層 |
$`A`$ | 余表現対象 |
$`\varphi`$ | 余表現自然変換 |
$`a`$ | 余普遍元 |
忘却関手を持つ〈自由関手が欠如している〉アドホック随伴系で使われる記号ラベルと役割り名〈呼び名〉を表にまとめます。内容に関しては「アドホック随伴系と自由対象・台対象」を見てください。
記号ラベル | 役割り名 |
---|---|
$`\cat{C}`$ | (特になし) |
$`\cat{D}`$ | (特になし) |
$`U`$ | 忘却関手 |
$`A`$ | 台対象 |
$`W`$ | 自由対象 |
$`\varphi`$ | 転置 |
$`\iota`$ | アドホック単位 |
役割り名の対応を表にすれば以下のようです。空欄は直接的対応物がないことを示します。
余表現系 | アドホック随伴系 |
---|---|
余前層 | |
忘却関手 | |
台対象 | |
余表現対象 | 自由対象 |
余表現自然変換 | 転置 |
余普遍元 | アドホック単位 |
アドホック随伴系における余前層の直接的対応物がないので、ここで定義しておきます。役割り名〈呼び名〉は付けませんが、記号ラベルは $`\Phi`$ としておきます。$`\Subject`$で定義すべきものを宣言して、その後に定義を書きます。
$`\Subject \Phi : \cat{D} \to {\bf Set} \In {\bf CAT}\\
\quad \For X \in |\cat{D}|\\
\quad \Define \Phi(X) := \cat{C}(A, U(X)) \;\in {\bf Set}\\
\quad \For f:X \to Y \In \cat{D}\\
\quad \Define \Phi(f) := (\cat{C}(A, U(f)): \cat{C}(A, U(X)) \to \cat{C}(A, U(Y)) \In {\bf Set} )
`$
今定義した $`\Phi`$ を含めてラベルの対応を表にすれば:
余表現系 | アドホック随伴系 |
---|---|
$`F`$ | $`\Phi`$ |
$`U`$ | |
$`A`$ | |
$`A`$ | $`W`$ |
$`\varphi`$ | $`\varphi`$ |
$`a`$ | $`\iota`$ |
「余普遍性」という言葉の主要な用法は:
- 余表現系の $`A`$ 〈余表現対象〉の余普遍性とは $`\varphi`$ 〈余表現自然変換〉のことです。
- または、$`\varphi`$ が自然同型であるコトも余普遍性と言います。
- そして、余普遍性と普遍性を区別せずに「普遍性」と言うのが普通です。
アドホック随伴系のほうに「余普遍性」を移して解釈すると:
- アドホック随伴系の $`W`$ 〈自由対象〉の普遍性とは $`\varphi`$ 〈転置〉のことです。
- または、$`\varphi`$ が自然同型であるコトです。
アドホック随伴系とカン拡張
$`K`$ に沿った $`F`$ の左カン拡張 $`\mrm{Lan}_K F`$ を単に $`L`$ と書くと、次の同型が成立します。
$`\quad [\cat{D}, \cat{E}](L, Y) \cong [\cat{C}, \cat{E}](F, K*Y)`$
ここで、$`[\hyp, \hyp]`$ は関手圏で、'$`*`$' は関手の図式順結合記号です。詳しくは「それでもカン拡張の左右を忘れてしまう」を見てください(ただし、過去記事は右カン拡張を例にしています)。
記法を簡潔にするために、次のように置きます。
$`\quad \cat{C'} := [\cat{C}, \cat{E}]\\
\quad \cat{D'} := [\cat{D}, \cat{E}]\\
\quad U(\hyp) := K*\hyp = \hyp \cdot K
`$
この記法を使うと、先の同型は次のように書けます。
$`\quad \cat{D'}(L, \hyp) \cong \cat{C'}(F, U(\hyp) )`$
$`\Phi := \cat{C'}(F, U(\hyp) )`$ と置くと、上の同型は余前層の余表現可能性を意味します。
$`\For \Phi \in |[\cat{D'}, {\bf Set}]|\\
\quad \cat{D'}(L, \hyp) \cong \Phi \In [\cat{D'}, {\bf Set}]
`$
左カン拡張 $`L`$ は余前層 $`\Phi`$ の余表現対象です。この同型を与える自然同型を $`\varphi`$ 〈余表現自然変換〉と置いて、対応する余普遍元を $`\lambda`$ と置きます。米田の補題から、
$`\quad \lambda\in \Phi(L) = \cat{C'}(F, U(L) ) = [\cat{C}, \cat{E}](F, K*L)`$
書き方を変えれば:
$`\quad \lambda :: F \twoto K*L : \cat{C} \to \cat{E} \In {\bf CAT}`$
左カン拡張を構造/系と考えたときの記号ラベルと役割り名は次のようになります。
記号ラベル | 役割り名 | 備考 |
---|---|---|
$`\cat{C'}`$ | (特になし) | |
$`\cat{D'}`$ | (特になし) | |
$`U`$ | (特になし) | $`K`$ によるプレ結合引き戻し |
$`F`$ | (特になし) | 最初に指定された関手 |
$`L`$ | 左カン拡張 | |
$`\varphi`$ | (特になし) | ホムセット同型 |
$`\lambda`$ | (特になし) | 実際は左カン拡張の一部 |
こうして見ると、構造/系と考えた左カン拡張では、ほとんどの構成素達に役割り名が与えられてません。結局、構造/系の構成素が匿名化/暗黙化されて、「そこは察しろ、悟れ」となります。カン拡張が分かりにくい理由かも知れません。
忘却関手を持つアドホック随伴系と左カン拡張の対応をとります。カン拡張では役割り名がないので、記号ラベルの対応を表にします。
アドホック随伴系 | 左カン拡張 |
---|---|
$`\Phi`$ | $`\Phi`$ |
$`U`$ | $`U`$ |
$`A`$ | $`F`$ |
$`W`$ | $`L`$ |
$`\varphi`$ | $`\varphi`$ |
$`\iota`$ | $`\lambda`$ |
アドホック随伴系の $`W`$ 〈自由対象〉の普遍性とは、$`\varphi`$ 〈転置〉のことでした。上の表から左カン拡張に移して考えると、左カン拡張 $`L`$ の普遍性とは、ホムセット同型を与える自然変換 $`\varphi`$ のこと、または $`\varphi`$ が自然同型であるコトです。
狭義の左カン拡張は $`L`$ ですが、ペア $`(L, \lambda)`$ を左カン拡張と呼ぶほうが適切でしょう。余前層の余表現系の言葉で言えば、ペア $`(L, \lambda)`$ は余前層 $`\Phi`$ の余表現ペアです。余表現ペアがキッチリ決まるのはホムセット同型 $`\varphi`$ のおかげです。
したがって、「カン拡張の普遍性により◯◯◯」という言い回しは、構造/系と考えた左または右カン拡張の構成素のひとつであるホムセット同型 $`\varphi`$ のおかげで◯◯◯である、という意味になるのでしょう。
「圏論の普遍性が難しい理由」でも書いたけど、「普遍性」という暗示的な表現を使うより、構造/系とその構成素達を明示して、もっと直接的な表現で書いたほうがいいと思いますけどね。
*1:様々な定義が循環しているので、「一般から特殊」も、その場その場で恣意的に決めているだけですけどね。