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参照用 記事

概括的な理解と細部への拘り

概念や手法をとりあえず大づかみに理解することは大事です。最初から細部にこだわるのは得策とは言えません。既に知っている事との類似や対比を通じて把握するのも効果があると思います。

それでいいのです。そこまではいいのです。ですが、ほんとに困るなー、と思うのは、大づかみな、類似や対比に基づく理解をもってワカッテシマウことです。以前、「なかなか分からない、という能力」というエントリーを書いたことがあるのですが、いま同じことを言ってます。

例えば、アドレスとポインターと参照は、まー似たようなもんだ、と、そう理解するのは別にかまわないと思うし、僕もそう説明します。しかし一方で、「アドレス=ポインター=参照。はい、ワカッタ。オワリ」って完全に割り切ってしまって、それ以上詮索する意志や興味をまったく持たないってのは、いったいどういうことだ? と、幾分腹立たしく感じたりもするのです。

違う言葉が存在するってのは何らかの背景があってのことです。違う言葉は、あるいは同じ言葉が違う文脈では、異なった意味を持ち得ます。その違いは微妙かもしれません、似たり寄ったりだと言えるかもしれません。しかし、大づかみに理解したその次には、微妙な違いを分析し、細部に拘ってみる作業が残されています。

もちろん、すべてのことに対して細部に拘ることはできませんが、自分の専門領域 -- たとえば技術者にとっての特定技術領域 -- に関しては、微に入り細を穿つ態度で臨んでもいいんじゃないの、と。

いつもの年寄りの愚痴と言われそうだがね。