もし、上の推測のようだったとすれば、黎明期における圏は、茫漠としたかなり巨大(huge)なものだったでしょう。手にとって扱う対象物というよりは、そのなかに棲み議論(活動)を行える世界だったと思えるのです。
が、“圏の圏”とか“圏の圏の圏”とかを考える段になると、そのなかに安住しているだけでは済まなくなり、外から圏を眺める態度が必要になったはずです。そして、点と矢印の上に載った代数構造というドライな定義が定着したのでしょう。
いったんドライな定義を受け入れてしまえば、いたるところに圏があります。組みひもを射(矢印)とする圏とか、証明図を射とする圏とか、2項関係を射とする圏とか、…。モノイドや順序のような既存の構造も圏として解釈できます。
そうなれば、オートマトンを圏とみなしたり、オートマトンの全体を圏とみなすのも自然な成り行きだったのかもしれません。実際、オートマトンの圏論的定式化は古くて、アイレンバーグ&ライト(Samuel Eilenberg, Jesse B. Wright)の"Automata in General Algebras"という論文は1967年のものですね。このなかで、F. W. Lawvereのalgebraic theories (1963)を使ってます -- Lawvereは圏論に(その他の分野にも)随分と影響を与えた人です。
そしてここ4半世紀は、MoggiやGoguenのような人々が、コンピューティング・サイエンスに圏を使いまくったわけです。
といったジジイの雑談で、多少は「感じ」をつかめたり、「親しみ」が湧くといいのですけどね :-)