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参照用 記事

「代数」への三種のアプローチと回路代数

「代数」は色々な意味で使われる曖昧多義語です。代数学という数学の分野を「代数」と呼ぶことがあります。掛け算を持つベクトル空間(より一般には加群)を「代数」と呼ぶこともあります。ここでの「代数」は、特定の代数系(例えば群とか環とか)ではなくて、代数系一般のことだとします。様々な種類の代数系達を、まとめて一律に取り扱いたいという問題意識で考えます。

代数系一般をまとめて一律に取り扱うための手法として、次の三種のアプローチがよく知られています。

  1. ローヴェア・アプローチ〈Lawverian approach〉
  2. モナド・アプローチ〈monadic approach〉
  3. シーガル・アプローチ〈Segalic approach〉

それぞれのアプローチは、「代数とは何か?」に対して違った見方をします。見方は違っても、同じものを見ていることが分かると嬉しいのですが -- リントンの定理〈Linton theorem〉と脈体定理〈nerve theorem〉がそのことを保証します。

三種のアプローチでうまく取り扱える「代数」の重要な事例として回路代数に触れます。$`\newcommand{\mrm}[1]{\mathrm{#1}}
\newcommand{\cat}[1]{\mathcal{#1}}
%\newcommand{\twoto}{\Rightarrow }
\newcommand{\In}{\text{ in } }
%\newcommand{\Imp}{ \Rightarrow }
\newcommand{\Iff}{\Leftrightarrow }
%\newcommand{\hyp}{\text{-} }
\newcommand{\op}{\mathrm{op} }
%\newcommand{\id}{\mathrm{id} }
%\newcommand{\pto}{ \supseteq\!\to }
%\newcommand{\u}[1]{\underline{#1}}
`$

内容:

ローヴェア・アプローチ

ローヴェア・アプローチにおける代数〈algebra〉とは、集合圏への関手のことです。代数を $`A`$ とすると、それは次のように書けます。

$`\quad A : \cat{C} \to {\bf Set} \In {\bf CartCAT}`$

ここで、$`\cat{C}`$ はデカルト圏(直積を持つ圏)です。集合圏も標準的な直積によりデカルト圏と考えます。代数 $`A`$ はデカルト構造を保つ関手です。

代数の(関手としての)域をソース〈source〉、余域をターゲット〈target〉と呼ぶことにします。代数のソースはデカルト圏であると言いましたが、実際はもう少し条件があります。代数のソースとしての条件を満たす圏を、ローヴェア〈William Lawvere〉はセオリー〈theory〉と呼びました。つまり、代数とは、セオリーから集合圏へのデカルト関手(デカルト構造を保つ関手)です。

ローヴェアは、セオリーの理論を組み立てて提示したのです。Lawvere theory は、セオリー(と呼ばれる圏)なのか、ローヴェアのセオリー論〈theory of theoris〉なのか判然としません。そもそも「セオリー〈理論〉」という言葉は、混乱や余計な連想をまねいて好ましくないと思うので、ここでは使わずに、代わりに「代数のソース」を使います。

ソース(として適切な圏) $`\cat{C}`$ が与えられると、$`\cat{C}`$ をソースとする代数の全体は次のように書けます。

$`\quad {\bf CartCAT}(\cat{C}, {\bf Set})`$

$`{\bf CartCAT}`$ は2-圏だったので、そのホム〈homthing〉は圏(関手圏)になります。上記ホム圏を次のようにも書きます。

$`\quad \mrm{Alg}_\cat{C}`$

$`\cat{C}`$ が添字で小さくなるのが嫌なら $`\cat{C}\text{-}\mrm{Alg}`$ のほうがいいでしょう。

この圏の対象を$`\cat{C}`$-代数〈$`\cat{C}`$-algebra〉と呼びます。

$`\quad A \text{ is a }\cat{C}\text{-algebra } \Iff A \in |\mrm{Alg}_\cat{C}|`$

$`\cat{T}`$ を集合圏とは限らないデカルト圏とすると、ターゲットが $`\cat{T}`$ である代数の圏は次のように書けます。

$`\quad \mrm{Alg}_\cat{C}(\cat{T}) := {\bf CartCAT}(\cat{C}, \cat{T})`$

この圏の対象を$`\cat{T}`$内の$`\cat{C}`$-代数〈$`\cat{C}`$-algebra in $`\cat{T}`$〉と呼びます。

環境〈environment | ambient〉となる“圏の圏”も $`{\bf CartCAT}`$ 以外の2-圏(ドクトリン)に取り替えると、より一般化された“代数の圏”になります。

$`\quad \mrm{Alg}^\mathbb{D}_\cat{C}(\cat{T}) := \mathbb{D}(\cat{C}, \cat{T})`$

ローヴェア・アプローチでは「代数とは関手なり」なので、この手法を関手意味論〈functorial semantics〉とも呼びます。以下の過去記事で、関手意味論の応用事例を取り上げています。

モナド・アプローチとリントンの定理

モナド・アプローチにおける代数〈algebra〉とは、モナドのアイレンベルク/ムーア代数のことです。代数を(記号の乱用で) $`A = (A, \alpha)`$ とすると、それは次のように書けます。

$`\quad \alpha : F(A) \to A \In \cat{D}`$

ここで、$`\cat{D}`$ は圏、$`F`$ は $`\cat{D}`$ 上のモナド、代数の台対象としての $`A`$ は圏 $`\cat{D}`$ の対象です。圏 $`\cat{D}`$ 上のモナド $`F`$ は記号の乱用で次のように書きます。

$`\quad F = (F, \mu, \eta)/\cat{D}`$

代数の演算である $`\alpha`$ は単なる $`\cat{D}`$ の射ではなくて、モナド $`F`$ に関する結合性・単位性を持つような射です。

$`\cat{D}`$ 上のモナド $`F`$ のアイレンベルク/ムーア代数と、そのあいだの代数準同型射の全体は圏を形成するので、この圏をモナドのアイレンベルク/ムーア圏と呼び、次のように書きます。

$`\quad \mrm{EM}(F/\cat{D})`$

モナド $`F`$ のアイレンベルク/ムーア圏を次のようにも書きます。

$`\quad \mrm{Alg}_F(\cat{D}) := \mrm{EM}(F/\cat{D})`$

この圏の対象を$`\cat{D}`$内の$`F`$-代数〈$`F`$-algebra in $`\cat{D}`$〉と呼びます。$`\cat{D} = {\bf Set}`$ のときは $`\cat{D}`$ を省略します。

$`\quad \mrm{Alg}_F := \mrm{Alg}_F({\bf Set})`$

ローヴェア・アプローチにおける代数の圏 $`\mrm{Alg}_\cat{C}`$ と、モナド・アプローチにおける代数の圏 $`\mrm{Alg}_F`$ が、ソース $`\cat{C}`$ とモナド $`F`$ を上手に選ぶと圏同値(記号は $`\simeq`$ を使う)になる、という主張がリントンの定理〈Linton theorem〉です。

$`\text{Under the suitable conditions}\\
\quad \mrm{Alg}_\cat{C} \simeq \mrm{Alg}_F \In {\bf CAT}
`$

代数のターゲット圏/モナドの基礎圏を集合圏以外に拡張した同様な主張もリントンの定理と呼ぶことにします。リントンの定理が示せれば、ローヴェア・アプローチとモナド・アプローチは同値になります。

シーガル・アプローチと脈体定理

シーガル・アプローチにおける代数〈algebra〉とは、前層〈presheaf〉のことです。代数を $`A`$ とすると、それは次のように書けます。

$`\quad A :\cat{S}^\op \to {\bf Set} \In {\bf CAT}`$

ただし、どんな前層でも代数と呼ぶわけではありません。前層の圏の部分圏があり、それが代数の圏です。前層が代数かそうでないかを判定する条件をシーガル条件〈Segal condition〉といいます。

シーガル条件は前層に対する条件です。シーガル条件を満たす前層(それが代数)達を対象とする充満部分圏が、シーガル・アプローチにおける代数の圏となります。シーガル条件を $`\Sigma`$ として、$`\Sigma`$ から決まる代数の圏を次のように書きます。

$`\quad \mrm{Alg}_\Sigma \subseteq {\bf CAT}(\cat{S}^\op, {\bf Set})`$

$`\mrm{Alg}_X`$ を、ローヴェア・アプローチまたはモナド・アプローチ、あるいは何か別な方法で定義した“代数の圏”だとします。$`X`$ は「なんだか分からないナニカ」ということで、特別な意味はありません。“代数の圏” $`\mrm{Alg}_X`$ から前層の圏への関手 $`N`$ があるとします。

$`\quad N: \mrm{Alg}_X \to {\bf CAT}(\cat{S}^\op, {\bf Set}) \In {\bf CAT}`$

色々と都合が良いセッティングのもとで、関手 $`N`$ の像(正確には本質像〈essential image〉、以下では $`\mrm{EssImg}`$ と書く)が、シーガル条件で定義した代数の圏 $`\mrm{Alg}_\Sigma`$ と一致する(ほんとにイコールになる)ことがあります。

$`\text{Under the suitable conditions}\\
\quad \mrm{EssImg}(N) = \mrm{Alg}_\Sigma \In {\bf CAT}
`$

このようなことが成立するには、関手 $`N`$ はテキトーに持ってきてもダメです。$`\mrm{Alg}_X`$ や $`\cat{S}`$ などをもとに $`N`$ を作る処方箋は決まっています。その処方箋に従って作られた関手 $`N`$ は脈体関手〈nerve functor〉と呼びます。シーガル条件 $`\Sigma`$ もうまく見つかったときにはじめて、上記の等式が成立します。

諸々のセットアップのもとで、上記の等式が成立することを主張する定理が脈体定理〈nerve theorem〉です。前層のターゲット圏を集合圏以外に拡張した同様な主張も脈体定理と呼ぶことにします。

リントン定理で結ばれたローヴェア・アプローチ/モナド・アプローチによる代数の圏 $`\mrm{Alg}_X`$ に対して、脈体定理が示せれば、ローヴェア・アプローチ、モナド・アプローチ、シーガル・アプローチがすべて同値になります。

回路代数

回路代数〈circuit algebra〉については「回路代数とグラフ置換モナド」で紹介しました。回路代数の創始者はドロー・バーナタン〈Dror Bar-Natan〉とのことです。ダンクソ/ハラーチェバ/ロバーツォンの次の論文において、回路代数におけるリントン定理(に相当する定理)が示されています。

  • [DHR20]
  • Title: Circuit algebras are wheeled props
  • Authors: Zsuzsanna Dancso, Iva Halacheva, Marcy Robertson
  • Submitted: 21 Sep 2020
  • Pages: 29p
  • URL: https://arxiv.org/abs/2009.09738

回路代数は、ローヴェア・スタイル〈関手意味論〉でまずは定義されます。それとは一応別に、グラフ置換モナド〈the monad of graph substitution〉を定義します。グラフ置換モナドのアイレンベルク/ムーア代数である車輪付きプロップ〈wheeled prop〉達の圏も定義します。なんやかんやと頑張ると、回路代数の圏と車輪付きプロップの圏は圏同値だと分かります。

[DHR20] により、回路代数に対するローヴェア・アプローチとモナド・アプローチが同値なことが分かりました。では、シーガル・アプローチとの同値性はどうでしょう? ソフィー・レイノア〈Sophie Raynor〉が、回路代数に対する脈体定理〈graphical nerve theorem for circuit algebras〉を示しています。

  • [Ray21]
  • Title: Brauer diagrams, modular operads, and a graphical nerve theorem for circuit algebras
  • Autor: Sophie Raynor
  • Submitted: 10 Aug 2021 (v1), 18 Nov 2022 (v2)
  • Pages: 65p
  • URL: https://arxiv.org/abs/2108.04557

[Ray21] により、回路代数に対するローヴェア・アプローチ、モナド・アプローチ、シーガル・アプローチがすべて同値だと分かります。めでたしめでたし。