なんばさんからのトラックバックを経由して、kikulogのこの記事を読んだのですが… うーむ、村上和雄さんは“いっちゃってる”のでしょうか。kikulogの菊池さん自身とその他の方のコメントをいくつか拾ってみます。
- 村上氏はちょっとナイーブにすぎたのではないかしら。
- 村上和雄氏は波動にも絡んでるし、意図的で無いとしても迂闊な人には違いない。
- 村上氏の業績を知ったあとでこの発言を読むと、本当に同一人物かどうか疑ってしまいますね。
- 結局この方は自分のやっていた蛋白質の生化学以外のことはよくわかってなかったのではないか、と思わざるを得ません。
- 村上氏は最近になって自分の信仰をあらわにし始めたという評判だったと思います。本当にやりたかったのはそれだったのかもしれません
- 村上氏は新聞紙上で不用意な発言をしたわけです
昨日のエントリで僕は、「水の詐欺師・江本勝さんへの強力な応援とも取れてしまう」と言いながらも、「村上さんの主張が現代科学と矛盾するわけでない」とか「村上和雄さんの意見そのものに反対する気は毛頭ありません」と、村上擁護な発言をしています。村上さんの正統科学者としての業績(これは事実でしょう)に敬意を払った、あるいは腰が引けているわけですが、「共感をおぼえる」のはホントのことです。
まー、「共感」の部分はまた別な機会に述べるとして、村上さんの発言を中心に『脳+心+遺伝子VS.サムシンググレート―ミレニアムサイエンス 人間とは何か』をザッと読み返してみたので、そのことを書きましょう。
まずはシンポジウム講演。高血圧の黒幕を追いかける話(トーク)はとても面白いですね。後半になると、心の働きが遺伝子のスイッチON/OFFに関わるという仮説が開陳されます。が、活字で読む限り、それほどにトンデモな印象は受けません。サムシンググレートに思い至る経緯を語った部分は次のようなものです。
わたしは遺伝子暗号を解読しながら、人間を超えるような大きな力とか、働きとか、法則というようなものがあるのではないか、というふうに考えました。ただ単にでたらめに遺伝子情報が書けたとすると、あまりにもうまくできすぎています。
これは本当に見事であります。そうすると、あの狭い空間に遺伝子が暗号を書き込んで、それを間違いなく、あるいは間違いがあっても直しながら働いている力とか働きというのを、どう考えたらいいのか。
そうすると、その遺伝子を支配しているものは何か、ということになりますが、これがよくわからないのであります。[檜山注:そのよくわからない何かをサムシンググレートと呼ぶことになる。]
次は養老孟司さん、茂木健一郎さんとの対談。『脳内革命』とか「環境ホルモン」が割と迂闊に言及されているのですが、当時(2000年)巷で評判の話題に反応した感じ。kikulogでも指摘されていたように、自分の専門分野以外のハナシには通俗的な理解で反応しているきらいはあります。
そらからインタビュー記事(インタビュアーは竹内薫さん)。出だしはまっとうだし、中盤の大学批判もストレートな本音トーク、公開鍵暗号は知らないと竹内さんに教えを請うあたりも正直で好感を持てます。が、後半はだんだんあやしい話になってきます。それでもなお節度は残っている印象ですけどね。
科学的なデイサイエンス[檜山注:通常の科学のこと]を無視せよ、ということではありません。それはそれで大切なんです。論理とか、特に科学の場合は論理という理屈が通らなければ成り立たない。それを成り立たせる裏側にそういう感性の世界がある。その感性の世界が直感、霊感まで行くと、サムシンググレートに通じるわけです。
二十一世紀の宗教というのは、信じる前にわかるとか感じるという世界、特にわかる世界は科学的にも納得できる。まったく科学と相反するのではなくて、科学から見てもリーズナブルなところに持って行けば、非常に多くの人がそれについて納得できるわけです。
『脳内革命』を気に入っている様子などからも、kikulogにおける指摘「天理教の『陽気ぐらし』という中心教義を、彼は『科学的に』追っているのではないでしょうか」はイイセンを突いていると思います。それはそれで別に悪いことではないでしょうが、とにかく、安めのジャーナリストや江本勝さん達が飛びつきそうなことを不用意に発言する迂闊さは何とかして欲しいですね、村上“ひょっとするとノーベル賞?”和雄・先生。